賀川豊彦の畏友・村島帰之(119)−村島「アメリカ巡礼」(4)

  「雲の柱」昭和7年4月号(第11巻第4号)への寄稿の続きです。

         アメリカ巡礼(4)
         太平洋沿岸
                          村島帰之

   (承前)
    南加農業者大會
  九月九日
 午前七時からホテルの直ぐ前の教會で感謝祈祷會を持つ。早朝だのに一杯の參會者だ。賀川先生は「パウロの祈り」について奨励される。

 八時から送別朝飯會。最初は幹部の方数人で行はれる予定だったのが殖えて、三十数人の人が一時に押しかけたので、ホテルの食堂はてんてこまいだ。そのため、遠慮して居られた町田牧師などは、ベーコンのないフライエッグスを喰べさせられるといふ騒ぎ。打解けた愉快な集りであった。

 九時から、佛教會館に開れた南加日本人農業者大會に出席。日に焼けた同胞が三四十名集まってゐて、節くれた手を差出す。この手だ、と思ふ。若杉桑港總領事も来てゐた。
 賀川先生は北米農業者発達策について述べられる。

 けふは加州の独立記念日だ。一八四九年のけふ、加州はメキシコ領から合衆國へ移って、これによって初めてアメリカが太平洋に出ることが出来た。日本との交渉もこれがために深められた訳だ。

 独立のためにはバレーオ将軍の武勇も力あったが、その後、サター氏が統一して、最後には五百萬弗の金でこの廣い土地を買取ったのである。サクラメントが州の首府になったのは一八五一年からで、その前はサンノゼにあった。

 農業大會の終るのを待兼ねて、スタクトンから出迎への坂口牧師と長老の石丸さんの自動車に飛乗る。村岡牧師も「是非僕の家を表からだけなりと見てほしいから」といって同乗される。村岡牧師は日本人牧師のパイオニアだ。もうお孫さんが十何人もあるといふ。

    ハイウェー

 自動車はハイウェーを疾走する。アメリカヘ来て一番に驚かされるのはこの道路だ。殊にハイウェーの発達には参る。ハイウェーの発達は自動車を進歩させ、人間の足を退化させた。自動車は、最早アメリ力人の靴に外ならない。少し値は張るが、月賦で買へる靴だ。

 人は、はき古した靴をぬぎ替るやうに、新式へ新式へと、ミシンを買替へて行く。アメリカの至るところに古ミシンの如何に多く捨てられてゐる事か。今に古ミシンの供養塔でも建つ事だらう。

 ハイウェーの発達のためには、初めは自動車の車体に課税してゐたのが、今では使用するガソリンが一ガロンにつき三仙づつの課税をしてゐるといふ。それに沿道の土地にも土地増し課税を課税するといふが、無理をして土地を買った日本人などで、その納税のために見すみす土地を放擲した人もあったといふ。

 ハイウェーの発達は第一に歩く人を減少させた。ハイウェーをドライブしてゐると、特にその感が深い。歩いてゐる人間に會ふのはブランケットを肩にかけて、前かがみにトボトボと歩いて行くトランプか、道路修繕の人夫か位だ。それも極めて稀だ。

 人間は歩く動物ではなくて、四つの輪の車に乗って歩く宿借りの一種かも知れぬ。人間の足は退化して行って、支那婦人の足のやうになるのも近いかも知れない。

    ジプシーの群れ

 自動車の中では、村岡さんの元気な話が、私たちの退屈を忘れさせてくれる。この附近にジブシーの天幕を張ってゐる處があるといふ事から、村岡さんの「ジプシー研究」が話題になる。

 ジプシーは出埃及記と関係が有る。彼らは埃及を出てアラビアにゐる間に、馬を好む習性を得た。それから西印度に渡って種々の占卦をする事を覚え、更にヨーロッパに這人って賣淫その他善からぬ生計の術を知った。

 アメリカに来たのは第一、英國が對インデアン戦争にこれを兵として送った事、第二は西班牙がジプシーをその國から駆逐するため、犯罪人等を此處に追ひやった事。第三は愛蘭が、飢饉のために、ジプシーを此處に移民させた事、此の三段階による。
 彼等は馬を御することが巧みで、音楽を好み卜占が得意だ。

 村岡さんのジプシー談は、夏にいみじきローマンスに及ぶ。

 或るジプシーの娘が王の略取するところとなった。彼女には同じジプジーの仲間に愛人があった。彼は幽囚のやるせなさを自ら慰めるために、携えて来たヴァイオリンを奏でてゐた。王はそれを聞いて痛く感興を覚えて、王の前でヴァイオリンを奏でよと命じた。女は已むなく楽器を手にしたが、たへなるメロデーの奏で出ると共に泣き伏して了った。

 王は「何故泣くのか」と問ふたところ、女は「私のこのヴァイオリンの絃は父なのです。皮は母なのです。そして胴は兄なのです。悲しい音の出るのはそのためです」と答へた。王は哀れに感じて女をその愛人のふところに返してやった――。

 そのジプシーの群が、私たちの自動車の行手にゐた。人家のない平原の唯中に小さなテントを張ってゐた。附近にはカゥボーイのやうな姿をした馬上の男も見かけたし、ワーゴンを御して行く女の姿も見た。家財を車に積んで、甲地から乙地へと渡って行くらしい一家族連れの姿も見かけた。

 放浪性と犯罪性とが、彼等の特性なのだ。そして賣娼とが。

 村岡さんの話のつきぬ内に、早や五十哩を走り了えてスタクトンに着いた。

      (つづく)