賀川豊彦の畏友・村島帰之(116)−村島「アメリカ巡礼」(1)

   「雲の柱」昭和7年4月号(第11巻第4号)への寄稿分です。

          アメリカ巡礼(1)
          太平洋沿岸                         村島帰之
    再び米大陸を横断

  九月四日

 眼がさめたら私は米大陸横断列車の中にゐるのだった。コーンの畑がつゞく。平凡な汽車の旅だ。

 夕方になって、あたりの景色が三宅克己の水彩画のやうに、単色に近いさまざまな色で彩られ始めた。旅愁を感じる。

 隣りのセクションにゐたアメリカ紳士が私の處へ来て、欧洲戦争に出征して日本人とフランスの戦線で一緒に戦った話や、現在やってゐるといふ児童保健事業の話をする。今井さんのカーは三つほど離れたところだから、通訳を頼む訳にも行かす、小一時間、ブロークンで話す。

  五日

 けふも汽車は砂漠の間を驀地に走る。
 朝飯は、汽車がグリーンリパー駅に着いた時、急いで降りて行って、待合室の食堂でメロンと牛乳とで済ます。

 昼飯は今井さんとー緒にオグデン駅の食堂でたべる。四十分余の停車なので、ゆっくり喰べることが出来た。

 そこの賣店にアメリカインデアンの子供の玩具がその儘郵便で出せるやうになってゐるので、健一に送ろうとしたが、郵便箱が小さくて這入らぬので困ってゐると、「あっちに大きいポストがある」と白人が教へてくれた。

 なるほど、小包でも這入るほどの大きな郵便箱があった。果して、このオモチヤの郵便が日本に届くかどうか甚だ疑問だ。

 夕方近く、ソルトレーキを過ぎる。塩が固くなって、しょうが糖のやうに白く固形化してゐるところもあれば、白い粉になってゐるところもある。また、まだ水のまゝのもありる。それがいづれも一つ一つの湖をなしてゐるのだから素晴しい。

 塩の加減で岩まで浮いてゐる――と洒落たかったが、そばには誰もゐない。

    シラネバタ山彙

   六日

 目をさますと、リノ市だ。有名な「離婚の市」だ。上品なコテージが点綴して見える。

 景色は漸次美しくなって来た。前日来の砂漠とは違って、アメリカ松の密林が見られる。シラネバダ山脈に這入って来たのだ。汽車は断崖絶壁を行く。

 美しい湖水が木の間から瞰下される。カメラを向けると汽車はトンネルに這入って了ふ。トンネルを出れば、また雪崩を防ぐとりでのやうな組木の中を行くので寫真がとれない。

 崖の下のドライブウェーを自動車の走るのが小さく見える。至るところ巌石だ。木だ。トンネルの補修工事の工夫の中に、日本人らしいのが、こっちを凝と見てゐるやうだ。

 シラネバタ山彙を過ぎて平原にかかる。サクラメントの附近は至るところに、マグサの野とそこに放牧された牛馬の姿を見た。オグデンから隣のセクションへ乗った米人の娘二人が私にチョコレートをくれた。人情に色の差別はない。

 午後になって海が見え出した。
 太平洋だ! なつかしい太平洋だ。バークレーの町は湾に面した斜面に箱庭のやうな美しい人家を見せてゐる。やがて金門湾が見えた。

 あの向ふが日本だ――。さう思ふと、富士山が直ぐ向ふから顔を出しさうな気がしてならない。なつかしい太平洋の波が、午後の陽に金色に映える。

      (つづく)