賀川豊彦の畏友・村島帰之(114)−村島「アメリカ巡礼」(7)

   「雲の柱」昭和7年3月号(第11巻第3号)への寄稿の続きです。


         アメリカ巡礼(7)
                          村島帰之

    (承前)
    市営公衆浴場

 私たちはそこを去って、直ぐそばの公衆浴場 Public bath of City New-York を見る。石鹸タオル持參の者は無料。それを借りるものは五銭を支払へばいゝのだ。

 奥には廣いプールがあって泳ぐことさへ出来るやうになってゐるが、男女隔日になってゐて、プールを使用出来ぬ性のものは、シャワーにかかることになってゐる。

 けふは女がプールを使ふ日で、私たちはそれを見ることが出来ず、今井さんだけが、それを見る特権を与ヘられた。
 一日の入浴者千三百を越えるといふ。

 向ひには動物愛護会の事務所があったが、人間愛護の方を見たいので素通りにする。

    ニューヨークのドン底

 いよいよ西部ニューヨークの貧民窟に奥深く這入って来た。
煉瓦敷の舗道といへば綺麗にも聞えるが、掃除の行届いてゐないことは、その舗道一面に散らかった紙屑で知れやう。まるでゲームの終わった後の日本のグラウンドのやうな落花狼籍の有様だ。

 家は同じ煉瓦作りの七八階建。といっても、中央部に見るやうなアパートとは事変わって、黒く煤けた見るからにきたならしい巣だ。

 各階の一つ一つの窓から青ざめた顔が覗いてゐるばかりではなく、各戸の入ロには、大勢の人々が、日本の夕涼のやうに外へ出てゐる。室内は暗く、そして風通しが悪いので、かうして明るみに出て涼を入れてゐるのだ。戸外は高層建築が立てつまってゐるので、風一つ通らないが、それでも室内よりは涼しいといふのだらう。

 聞けば、此の陽も射さぬ部屋が、どんなに安いところでも月十一弗はするとかで、そのため一室をカーテンで仕切って二家族以上が同室してゐるのもあるといふ。

 夜も、もちろん、ドアを開け放って寝なけれぼ眠れない。
 毎夏、ニューヨークに暑熱のため死人があるといふのは、実にこの辺の事なのだと首肯された。

 「何しろ、一つのべッㇳに五六人のものが寝てゐるんだから悲惨ですよ。この辺からワナメーカーあたりの賣子が出てゐますが、年頃になれぼ飛び出して娼婦の群に入るのも、或は当然なのかも知れませんね」
と香西さんは嵯嘆される。
 娘の誘拐事件の多いこともうなづかれる。

    一セント食堂
 マンハッタン橋に近いところへ出ると「壹銭食堂」といふのがあったが、生憎、夏季で休んでゐた。

 香西さんの説明によると、パン四枚とコーヒーとシチューとで一仙だが、ここへ来るやうな人たちは、一仙も無駄には費さぬやうに心がけて、四枚出たパンの内、二枚だけはタンマリとバターをつけて喰べて、残り二枚は、明日の分としてふところに納めて婦って行くのだといふ。

 私たちが、その食堂の前にゐると、附近のこども達が集って来て、じろじろと見る。おとなの連中もじろじろと眺める。
 「あの中に猶太人がゐるのが判りますか」
と香西さんがいふ。
 「鼻が高くって、眼の太い、額の廣いのは、大概ジュ―ですよ」

 私はべニスの商人のシャイロックを胸に思ひ浮べた。
 表通りへ出る。市区改正で、一部の貧民窟が取払われて、貧民長屋の裏が表通りに出てゐるところなどがある。三十間道路に面して、洗濯物の吹き流しの見えるなんぞは、確に珍景である。
 この辺の映画館はさすがに入場料二十仙にしてゐる。

    萬 國 教 會

 漢字で「萬國教會」と記し、脇にall naitions と書いた一つのセツルメントへ這入る。
こゝは元賭博場で、殺人なども屡々行われ、また自殺惧楽部などもあったといふ物凄い場所だ。中身の廣さに比し入口の狭いのもそれらしい感じがする。

 その後、ここを借りた一人の老婆が、気の毒な支那人の孤児を養育したのが発端で、その後諸外國の移民のこどもの世話をするやうになり今日に及んだのだといふ。

 現在では伊、露、支、英の各國人を米化するために英語學校をやったり、授産事業の一つとして印刷をやったり、裁縫をやったりしてゐる。そして此處の特色は他のセツルメントが雑種國民に一つの宗教を強制するのは悪いといって宗教教育をやってゐないのに反し、ここは新教、奮教、猶太教の各宗教を時間を替へて礼拝させてゐることだ。「萬國教會」の名はそこから出てゐる。

 そのために、此處の事業を支持しやうとして三十四箇國の國民が浄財をさゝげてゐるといふ。
 プールもあった。屋上ではゲームも出来た。

    救世軍の共同宿伯

 去って、此度はバーレー区域の救世軍のメモリアルホテルヘ行く。ホテルの前には大勢の労働者が集ってゐた。その中を這入って行くと、暗いオフィスに働いてゐる士官が、快く案内してくれる。

 エレベーターに乗ると、そこには「禁酒」といふ制札が大きく記してあるのが目につく。他のホテルでは、禁を破って呑む手合もあるのだ。

 ここには約二百のベッㇳがあるが、一夜の泊り賃參捨銭を出せば、洗濯もたゞ、バスもたゞ、それに朝飯にはカフェの残り――といふても食べ残しではなく、台所に売れ残ったもの――のオートモミールと監獄製のパンが提供される。そして、六日泊ったものは七日目の一日は宿泊料を免除することになってゐる。

 なほ朝のミールは、宿泊者以外の失業者にも与へるが、日に二千人内外の人がつめかけるといふ。大分、疲れたので貧民窟視察を打切って帰る。

      (つづく)