賀川豊彦の畏友・村島帰之(113)−村島「アメリカ巡礼」(6)

   「雲の柱」昭和7年3月号(第11巻第3号)への寄稿の続きです。


         アメリカ巡礼(6)
                           村島帰之

    (承前)
    マージー百貨店
  二十八日

 午後からマージー百貨店へ買物に行く。今井さんの忠告でトランクを一個買ふ。九弗。それから真理子のために人形を一つ。
 拾銭店ウルウォースヘ行って、ごたごたと拾銭の品物を買ふ。
 夜は寄席に行くつもりだったが、今井さんがお友達に會ひに行かれて帰りが遅くなったためやめにする。晩食も十時まで待ってゐたが、ひとリで出かける。

    貧民窟視察
  二十九日

 起床早々――といっても十時頃だが――サブで正金銀行へ出かける。
前に書くことを忘れたが、私は、クリーブランドのホテル(多分さうだらうと思ふ)で、信用状のサインを盗まれた。信用状とサインの台帳とは別々に保存せよとの注意を銀行から受けてゐたので、信用状は腹巻に、旅券と一緒にふところ深く保存し、サインの方は、銀行からくれたサックに入れたまま、鞄の中へしまっておいた。盗んだ人間に、そのサックが紙入になってゐるのを見て、テッキリ金だと思って持って行ったのであらう。

 「でも信用状でなくてよかったですね。近頃は善く信用状を盗まれて、大騒ぎをする人がチョイチョイあるんですよ」といって、行員の人は快く金を出してくれた。腹巻の有難さを泌々と思ふ。

 十二時、約束によって、日本人會に香西さんを訪ねる。そして近所のカフェーで午飯をすませて、貧民窟視察に出かける。

    市営共同宿泊所

 まづ東二十五街四三二〜四三八の市営共同宿泊所へ行く。書記のテーラー氏が案内してくれる。ここは三弗以上の金を所持してゐる者は泊めない。またニューヨーク州の者は五日まで継続宿泊を許すが、ニューヨーク州以外の人間は一日しか泊めてくれぬ。

 ここへ泊りに来た者は入口で宿料を支払ひ、まづ消毒所へ行って、着衣を網戸の中へ放り込んでシャワーにかかる。からだが綺麗になったところで、御仕着せの白のナイㇳガウンを着てベットヘ行く。着衣は網戸に這入った儘、消毒されて、翌日彼が仕事に出かける時には、無菌のものを着ることが出来る仕掛けだ。

 ベットは二階仕立で一室に二百以上も並んでゐるが、その一つひとつがスプリング附で新しいシーツと、毛布とが、賓客を待ってゐる。女子供の部屋は別になってゐて、そこにはピアノやおしめ洗ひまでが備えてある。

 宿泊者は一夜千二百人を越えるが、常に満員の盛況なので、隣接の造船所を買収し、宿泊所に急造したので、そこで三千の人間を泊められるといふから、都合四千二百の人がここに眠りをとる勘定である。

 ドックの宿泊所へ行って見ると、だだっ廣いそして天井の高いところに、三千のベットがまるで公会堂のベンチのやうに行儀よく並んでゐる。何だか、兵隊屋敷のやうな気がした。

 食事は二食附、散髪もお互同志でやるやうにと、バリカンも備えつけてある。
 宿泊所は同時に労働紹介所を兼ねてゐるので、宿泊者はその世話で日々どこかへ仕事にやって貰へる。そして稼いだその日の賃金の中から食費、宿泊、その他の費用として五拾參銭を引去って、その残りが手渡されるといふ訳。

 しかし、五拾三銭といふ金を引かれる事を苦痛とする者は、或は一夜貳拾五銭の救世軍の世話になり、或は夏季、雨のない際などは、公園に眠ることを許されてあるのを幸ひ、青天井の下で夢を結ぶ者も少くないといふ。

 なほ宿泊所では、一般失業者のため、毎夕食事を給与してゐるが、一月以来の給食数は八月まで五拾銭入の多きに達してゐるといふ。

 ここの所長ユーゴー・デイスといふ四十格好の青年は、市長選挙の際に応援演説をやってその功でこの所長の椅子を勝ち得たのださうだ。

 「けふは日本のレディーが来るといふので、彼奴、ネクタイをしてゐるが、ふだんは、宿泊者と同化するため、わざわざネクタイもしてゐないんですよ」と、香西さんは今井女史を顧みて説明した。

    (つづく)