賀川豊彦の畏友・村島帰之(111)−村島「アメリカ巡礼」(4)

   「雲の柱」昭和7年3月号(第11巻第3号)への寄稿の続きです。


         アメリカ巡礼(4)
                          村島帰之

    (承前)
    赤煉瓦の旧市街
 みちすがら、旧市街を通ると、赤い煉瓦建の多いのが目につく。聞けば、これはワシントン以前からの建物で、英國から移住した人々が、郷里の煉瓦をその儘こゝに移したものだといふ。

 案内者がいふ「ワシントン」が、ジョージ・ワシントンの事か、ワシントン市の事か判らないので、戸惑ふ。ワシントンの発音も、日本流の発音とは大分違ふので、うっかり発音も出来ない。すべて今井さんの通訳による。

 私たちは、けふはワシントンで泊って、明日はフィラデルヒアに出かける予定だったが、アーリングトンで雨の中を降り立たせられ、風邪をひきさうな気持がするので、今井さんにはすまないが、予定を変更してニューヨークへ帰ることとする。

 六時、ステーションで夕飯をたべて、ニューヨークに向ふ。雨は愈々激しい。
 ニューヨーク着は十二時過ぎてゐたが、キー生活の有難さは、同宿者への気兼ねも要らず、勝手にキーでドアをあけて自分の臥床に這入る事が出来た。


   ニューヨーク

   ロキシー劇場へ

  二十三日
 前日、雨にぬれたので、風邪薬を用心のため呑んで寝たので、けふはからだの調子もいゝ。
午飯をたべてから暫く昼寝をして、夕方からニューヨーク一のショーといはれるロキシーヘ出かける。日曜だから大人だ。小屋の前へ行列を作って順の来るのを待つ。

 入場料は一弗。中へ這ると、大きな金ビカのホールがあって、いろいろの彫刻などがある。軽騎兵式のボーイが直立不動で立ってゐるのを合せて、寄席や活動へ来てゐる気がしない。

 最初は映画「バッドガール」。ジェームスダン主演の筋のよいものだ。その後で音楽、ダンスなどがあった。

 トーキーが、日本では到底聞かれぬほどの明瞭さを以て聞かれる。それに映書館の構造によるのだらう。靴でビロードの上を歩くのと、下駄でコンクリートの上を歩くのとの差だ。

    メトロポリタン芸術博物館
  二十四日

 朝飯は、例によって今井さんが作って下さったのを頂く。
 午後から中央公園脇のメトロポリタン芸術博物館へ出かける。

 アテネ時代の墓石に赤い色彩を施してあるのなどは目新しく見えた。しかしその以後の彫刻に彩色してあるのは、折角の線の美しさを消して、昧ひを減殺してゐるやうな気がした。

 ローマの大建築のイミテーションは壮大なものである。ミケランジェロモーセなどが実物大で作られてあるのには一種の感慨の湧くのを覚えた。

 画画ではミレーの牧場や、コローの風景、ドガの踊子など、日本に紹介されてゐる人たちのものが興を引いた。

 博物館のうしろにあるエジプトから持って来たといふ尖塔は、世界に三つしかないもので、恐らくキリストも御覧になったらうといふ。

 弗の国は金のあるに委せて他の國の宝物でも、何でも持って来るんだから耐らない。日本も國宝制度の制定がモット遅かったら、どんなに多くの宝物が國外へ流出したか判るまいと思ふ。その意味で、國宝制度を創った九鬼男の業績を称へたいと思ふ。

 夜は松本さんのとこゐへ行く。そして、蘆村博士から頼まれて来た翰血機の買入方をお願ひする。

 折柄、須藤さんといふカフェテリア経営者がやって来て、カフェーヘ食べに来る職業婦人たちが、みな淫賣に見えて仕方がないといふやうな話や、警官が金次第で違反行為を見逃してくれる話などをされる。

 カフェーでは客の椅子十五に對し、一つづつの便所を作る法律になってゐるさうだが、そんな事を実行してゐるカフェはニューヨークに一軒もない。いづれも警官に掴ませて済してゐるのだといふ事であった。

   (つづく)