賀川豊彦の畏友・村島帰之(110)−村島「アメリカ巡礼」(3)
「雲の柱」昭和7年3月号(第11巻第3号)への寄稿の続きです。
アメリカ巡礼(3)
村島帰之
(承前)
リンコルン記念堂
車はその記念塔の周囲を一周した後、ゴルフリンクスの前を通り、大きな堂の前に止った。「リンコルンの記念堂です、下りて見ませんか」と案内人がいふ。しかし、はげしい雨足を見ると、車中の誰もが下りやうとはしない。只硝子窓に顔をつけて、一心に見上げるばかりだ。
記念堂はクリスマスケークを想はせるやうな白い函型のもので、大理石の屋根――といふよりは蓋といひたい――を十二本のローマ風の圓柱がガッチリと支へてゐる。この圓柱がまた世界一だといふのだ。そしてその正面、少し奥まったところに、大きなリンカーンの大理石像が見える。
リンカーンはドッカと大きな椅子に腰を下して、その巨大なる手を椅子の肱掛けに置いてゐる。いつも寫真で見る凹んだ眼、手入れせぬ顎髯、そして奮式なフロック、筋目のつかぬズボン――。
私たちは、遠くからではあるが、その堂内に電燈に照らされて、此方を瞰下してゐるその像を神々しくふり仰いだ。
ホワイト・ハウス
私たちの自動車は、叉動き出した。ワシントンとアーリングトンをつなぐ美しい記念橋を遠望して引返す途中、ホワイトハウスの西人口の前を通る。
名の如く白い平家作りが、ローンや樹木の間から窺れる。前面には噴水が水をふいてゐる。花園には赤い花が咲いてゐた。毎日午前十時から二時まで、特にその東の間だけを公開して見せるといふが、雨は、またしても、みんなの出足を渋らせた。
自動車は、それから郊外の方へ走って、閉鎖されてゐるロシア大使館やウィルソン、フーバー邸宅の前を通って、公園に出る。道の両側に鹿の家などが見える。別に動物園などに限定せず、一般の見るに委せてあるところが気に入った。
無名戦士の墓
森林のやうな公園を抜けると、やがてアーリングトンの兵隊墓地に出る。古きは独立戦争から新しいのは欧洲戦争までの戦死者の白い墓が約一尺ぐらゐの高さで、まるで、マーヂャンのパイのやうに並べられてある。そして、その無数の低い墓碑を囲んで、美しい樹木が立並んで永遠に静まりかへる勇士の魂をいたはってゐる如くに見える。
アーリングトンの墓地の元の地主の家を見て有名な「無名戦士の墓」へ行く。
そこにはギリシャ式の圓形舞台の所謂アンヒシヤターがある。円柱の並んだ美しい白亜の円形劇場の中は、矢張り白の大理石のべンチが並べられて、正面はギリシヤ一流の舞台になってゐる。
舞台の裏へ出ると、そこは無名戦士の墓だ。ワシントン市街を一眸の裡に瞰下して、大きな白い石が置かれてある。その上には美しい花環。
アメリカの兵隊さんが、テントの下で立ってゐる。
雨はまだ止まない。私たちは、その儘引返すことになった。
(つづく)