賀川豊彦の畏友・村島帰之(109)−村島「アメリカ巡礼」(2)

   「雲の柱」昭和7年3月号(第11巻第3号)への寄稿です。


       アメリカ巡礼(2)                          村島帰之

    (承前)
    北米合衆国政廳
 街路樹の上に、白い大きなドームが見える。それがキヤピタルであらうことは直ぐ想像出来た。車は雨に洗はれた美しいアスファルトの道をすべるやうにして走る。両側のポプラがぬれて目ざめるやうな美しさに光ってゐる。

 丘の上に立てられた合衆國政廳は、尾をひろげた孔雀のやうに、華やかな中に威巌を以て立ってゐる。王冠のやうなドームと、その尖頭に立てられた「武装せる自由」の像に一種の威圧を感じゐ。それに前面の階段が高く且つ廣いのも、いよいよ政廳の重みを添へる。

 ローマ時代の建築を思はせる多数の圓柱は、美しい縞のやうに見える。その大建築の上に、へんぽんとして飜る星條旗も、外では昧へぬ巌粛さを感じさせる。

 この政廳の中には議事堂、大審院等々があるのだといふが、私たちは雨を厭ふて、その儘、通りすぎる。

    ワシントンの丸の内
 政廳を中心とした一帯――丸の内といった感じの――は大きな官衛のオンパレートだ。案内人君はその一つ一つを「これは農務省」「これは陸軍省」と振返り乍ら説明してくれる。

 ワシントンの丸の内は、美しい油絵の町だ。至る所の街路を飾った樹木の間から、白い大きなビルヂングが覗いてはゐるが、ニューヨークで見るやうな、せせこましさもなく、また人を小馬鹿にしたやうな魔天楼もなく、のんびりと平面に延び、緑に恵まれて、むしろ、近代都市とは思へぬやうな落つきと静かさが昧はれる。

    リンカーンの臨終の家
 やがて官街地帯を離れて十町目とかの商業区域を行くと、案内人は矢庭に、とある一軒の小さな家を指して「リンカーンがあそこで逝去されたのだ」と説明した。それは、赤煉瓦の四階建ではあるが、間口は三間とはない小さい建物で、観音開きになった窓が、一階に三つづつ行儀よく並んでゐる。これが大統領の逝去されたところとは思へぬやうな質素な建物だ。

 リンカーンの人格が偲ばれて、私は自動車の中から振りかへり振りかへりして見送った。

 自動車は住宅区域に這入って、クーリッヂの住宅だの、ロングフェローの座像だのを見た。
 銅像は無数にあったが、多くは武将で、ロングフェローのやうな文人は少い。これは日本もアメリカも変りがない。

 私たちは、一体どこをどう案内されてゐるのか皆目見当がつかない。ステーションで買って来た案内記附録の地圖と首っ引で、その所在を確かめるに一所懸命だ。

    ワシントン記念碑

 やがて廣いグラウンドの前へ出た。すると、その中央に、とてもデッカイやすり型の方尖碑が立ってゐる。それがジョーヂ・ワシントンを記念するナショナル、モヌメントである。高さ五五五フィート――約一町半――世界一の大理石塔だ。

 それが廣場のまん中に、只一つ、天に向ってキリのやうに立ってゐるのだから、見落さうとしても見落せない。恐らくはワシントン市中のどこからでも、この直線的存在が認められることだらう。

 記念塔の尖端に、ピラミッド型に三角錐をなしてゐるが、そこだけはアルミニュームで出来てゐるらしく、雨の中に光ってゐる。そして記念塔の塔圓の大理石が、雨にぬれて、麗人の白い肌の触感を思はせる。

 工費百三十萬弗、一八四八年に施工して一八八五年に竣功したといふのだから、正に三十七年間かかったわけだ。金のだぶついたドルの國で、そして突飛な事の好きなアメリカ人なればこそ出来る芸当だと思ふ。

      (つづく)