賀川豊彦の畏友・村島帰之(108)−村島「アメリカ巡礼」(1)

   「雲の柱」昭和7年3月号(第11巻第3号)への寄稿分です。


          アメリカ巡礼(1)                          村島帰之

   ワシントン市
 
  八月二十二日
 けふはワシントンに出かけやうといふので、今井さんと二人、九時十分、ペンシルバニアーステーションへかけつける。夏季中に土曜から日曜へかけての、ウイークエンドの割引があるのでそれを利用するのだ。

 夏季における週末の割引は、ほゞ半額に近いので、牧師さんの割引よりも割が善い。日頃、賀川・小川両牧師の割引を羨しがってゐる自分に取っては、いゝ知れぬ満足だ。

 汽車は案外にすいてゐる。日本における郊外電車のやうなロマンスカーだ。ハイスビードで坦々たる平野を走る。

 今井さんは、フイラデルヒアに神學生生活を送ってゐられたので、この辺の事に詳しい。
 汽車はニューヨーク州を離れて、ニュージャージー州に這入る。

 「このあたりには日本の天とう蟲(?)がゐて、植物を食ひ倒すので、至るところに「日本蟲」を殺せといふポスターが貼られてゐますが、いい気持はしませんワ」と今井さんがいはれる。日本内地で被害が少いのに、アメリカでのみ被害の多いのは、この蟲を喰べる蟲が、アメリカには育たないためだといふ。造化の妙を面白く思ふ。

 フイラデルヒアーを通る。アメリカ独立宣言の書かれたところだけあって、古めかしい赤煉瓦作りの家が立ち並んでゐる。

 ここにはタヱーカーの教会があって、信者は質素な生活をしてゐるが、平和の徹底を期するため、戦争に絶對反對の意を表わし、その為囹圄の身となる信者も多いといふ。私たちは、それ等の人々の前に頭の下る思ひがする。

    サイト・シーイング

 汽車にゆられること約四時間で、ワシントン・ユニオン・ステーションに着く。

 ところが雨だ。夕立のやうな――。
 「困りましたね。サイト・シーイングでも頼みますか」
 「さうしませう」
 さう話してゐると、救世軍のやうな帽子をかぶった遊覧自動車案内人が、サイト・シーイングを勧誘しに来る。

 「二弗五十銭で、目星しいところをおつれします」
 「リンカーン記念堂もホワイトハウスも?」
 「ええ、勿論」

 そこで、私たちはそれに乗ることになった。十人乗りぐらゐのステージだ。しかし、乗り手は殆どない。同乗者の出来るまでは待たされるのだらうと観念して、渡された案内書を見てゐると、何の事だ、ワシントン遊覧を三区に分けて、その一区が二弗五十仙となってゐる。全部を見やうとすれば七弗も出さねばならないのだ。
で、私たちは、目星しいところを拾って、兎も角、二回だけ買った。

 自動車はやがて三人ばかりの合客−―いづれも白人で、その内二人までは女性であった―−を得て、漸く雨中を走り出した。

    (つづく)