賀川豊彦の畏友・村島帰之(107)−村島「アメリカ紀行」(4)

   『雲の柱』昭和7年2月号(第11巻第2号)への寄稿の続きです。


          アメリカ紀行(4)
                           村島帰之
  (前承)
   天ぷら料理と芝居
  二十一日
 朝飯の後、大原兄をオフィスに訪問するつもりで出る。途中、エンパイアステートビルの近くで店を開いて居られる松本さんを訪ねる。

 恰度、夫人は、先週、船中で失踪した藤村壽氏夫人のお産に行って居られて不在(夫人は州の認可を持って居られる助産婦である)男やもめの松本さんがご飯たいて、大根おろしなどを作って昼飯を御馳走して下さる。柔和な親切な小父さんといった気がする。

 道に迷ふといけないので、タクシーで大原兄のオフィス――ニュースヒル――へ出かける。恰度、兄は藤村氏の事件を本社へ打電するので忙しい最中だった。助手の高田さんと初めて會ふ。

 一時間ほど話し合ったり、なつかしい大阪毎日新聞を見たりして(そこで北村兼子の死を知った。さきには人見絹枝さんの死を、今は北村さんの死を、異郷で聞いて、二人ともに善く知ってゐる人だけに感慨無量だ)。

 宿へ帰って見ると、ワナメーカーから洋服が届いてゐる。早速着て見ると、少し長すぎると思ったが、今井さんから「日本人は短いのを着るのでお尻が見えてみっともない」といって教えられる。

 修道会(メソヂスト教会)の川俣義一氏が見えて、これから芝居へ連れて行ってやらうと仰しやる。今井さんの御相伴である。

 その前に腹を拵へやうといふので「太陽」といふ日本料理店へ同行して、けふは天ぷら料理を御馳走になる。

 タイムスケアーに程近いナショナル・シアターへ行く。
 芸題は「グランド・ホテル」と言って、三幕十場のレヴュー式の演劇だ。ホテルを舞台として演ぜられる人生の喜悲劇の縮図といったやうなもので、女優と盗人の恋や、田舎青年とタイピストの恋などが巧みに織り込んであって、言葉は判らなくても退屈せずに見る事が出来た。

 小屋は他のショーなどに比して劣ってゐる。矢張り大衆向きのものにはかなはないのだらう。どの小屋でもさうだが、入り口の小さいのは一寸意外とする処だ。ホンの入り口だけを作って、他の表通りは他の店に貸してあるのだ。しかも、一度、足を場内に踏み入れると、堂々、宮殿の如き豪壮美である。
 表通りを大きく構えれば承知の出来ない日本の興行場などは學ぶところがあってもよいのではないかと思った。

 芝居の開場が八時半、開演が九時といふのは、宵っ張りの文明人の一面を窺えたやうに思ふ。

     (この号はここまでで終わる)