賀川豊彦の畏友・村島帰之(106)−村島「アメリカ紀行」(3)

   『雲の柱』昭和7年2月号(第11巻第2号)への寄稿の続きです。


         アメリカ紀行(3)
                         村島帰之
  (前承)
   ハドソン川を下る
  二十日 

 昨夜は夜半、南京蟲の襲来で眠りを妨げられたが、思ひ切って起上って捜索を行った結果、見事に仇討を果したので、それからは善く眠った。

 九時半、ドラッグストアで、オレンヂとサンドウイッチと牛乳とを食べて、今日はニューヨークの夏の娯楽場コネー・アイランド見物に出かけやうといふのだ。

 高架で百十五丁目まで行って、(私の宿は)そこからコネーアイランドヘ通ふ遊覧船に乗る。中央に大きなピストンのついてゐる船だ。地下鉄で行けば二三十分で行けるのに船では一時間半かかるが、川の上からニューヨークを見るのも興があるので船を選んだのだ。

 私たち(今井と二人)は甲板のベンチに腰かけて、移り行く沿岸のニューヨークのビルヂング街を眺める。
 今にも崩れ落ちさうに高い建物が川に臨んで屹立してゐる。

 私の宿の附近――つまりコロンビア大學に近い川岸のアパートが揃って並んでゐるに過ぎないが、漸次川を下って、ニューヨークの中央とおぼしき處へ来ると、エンパイヤーステートを始め数十階の大高層建築が亂杭歯のやうに立ってゐる。

 更に下流へ行って、マンハッタン附近へ来ると、此処は古くからのニューヨーク市街でがっしりした建物が一箇所に集ってゐるのが見られる。

 マッハッタンの尖端を船の離れる頃、反對側の川中に、青銅の自由の女神の像が神々しく仰がれる。傍へ寄れぼ隨分大きいものでもらう。女神の像見物の遊覧船が、その裾に小さく見える。

 やがて船は沖へ出て、此度はロング・アイランドに沿って去る。ロングアイランドとニューヨークの一部で、地下鉄で川底をくぐって交通が出来るのだ。

    コネーアイランド

 コネーアイランドはその尖端にあった。船から見ると、海岸に臨んで、観覧車や飛行塔などが、玩具のやうに並んでゐて、その前面の汀にケシ粒ほどの人が多数に見えるのは海水浴場らしい。

 上陸すると、桟橋は大変な雑沓だ。
 遊覧地帯が廣いので、籐椅子に車をつけたやうなものをひいてゐる人力車夫がゐて「乗れ」といって頻りにすゝめる。
 何の事はない。海岸の浅草六区だ。ゐらゆる娯楽機関の備ってゐる盛り場だ。日本人はこれを「夏場」とよんで、稼ぎに来るとかで、日本人らしい姿を店先に見かけた事が一再に止らなかった。
 二三時間、そこここをぶらついた後、私たちは此度に高架でニューヨークに帰る。

      (つづく)