賀川豊彦の畏友・村島帰之(100)−村島「アメリカ紀行」(5)

 「雲の柱」昭和7年1月号(第11巻第1号)への寄稿の続きです。


          アメリカ紀行(5)     
                            村島帰之

  (承前)
   フォード飛行場
 グリーンフィールドを出て、デトロイㇳヘ引返さうとした時、傍らにフォード飛行機場のあるのを見て、賀川先生が見やうといひ出した。早速降りて他の見物客と一緒に工場を見る。

 飛行機は将来は大量生産的に製作しやうといふ考へを持ってゐるさうだが、現在は注文品だけで、私たちの見た時には英國の注文機と、米國の海軍機がほゞ完成してゐた。一週間に一台位づつは作り上げてゐるといふ。そして一台の値段は五萬五千弗ださうだ。職工は四百人使ってゐる。

 參考品として、ライト兄弟の作った最初の飛行機や、五年前日本へも飛んで来た世界一周機(デトロイㇳから出てデトロイトに帰ったフォード機)があった。後者にはプロック、シエリー二氏の名が記されてあった。

    飛行機に乗る
 工場を出やうとした時、一台の飛行機が客を乗せて飛んだ。十分間附近の空を飛ぶのが?弗だといふので、先生の発起で乗って見やうとふ事になった。

 機はフォード型の旅客機で八人乗りだ。賀川先生は真っ先に乗って、操縦士の直ぐうしろに座を占めた。客はわれ等三人の外に、外人大部分が女と案内役のピアースさんの知人?さんの子供、九つ位なのが一緒に乗る。

 七百エーカーあるといふ廣い飛行場の中央を滑走した後、機はフワリと宙に浮いた。少しも動揺を感じない。自動車よりも動揺が少い。まアエレベータ―に乗ったやうな心地といふのだらう。それにしても、地上を離れる瞬間の動揺の少い事にはまづ驚かされた。

 飛行士の名はV.N.Johns、上着も着ず、帽子も被らず、ズボンに白シャツの平常のままで、飛び乍らうしろを向いて話かけるといふ気軽さだ。

 機は空高く昇った。瞰下すと白い道が木の葉の繊維のやうに、諸方に種々の線を抜いて延び、その間にローンのやうな立木が線の膚を示し、その中に箱庭のやうなコテージが行儀よく並んでゐる。まるで箱庭だ。殊にそれ等のシーンが実に鮮かに展開される。

 まるで秋のやうに澄んで見える。一幅の田園風景画だ。飛行機が旋回して機体が斜になると、その箱庭が前後左右に動く。デトロイトの街も見える。遠くを見ると限りなき平野だ。遠く光ってゐるのは湖だらう。

 やがて眼下に fordの文字が見える。よく注意して見ると、さっき離陸した飛行場だ。そして機は静かに殆ど何の反動もなく着陸した。

 耳が少し変だ。が、直ぐ癒った。
 高度は千二百呎であったといふ。
 「まるで凧にくくられて空へ上ったやうだったね。そして地下の緑が山のやうに見えて衝突せぬかと心配したよ」と先生がいふ。

 よい経験をしたものだ。
 それから再びピアースさんの自動車でデトロイㇳヘ引返したが、途中ピアースさんの自動車は故障を起こした。そこでピアースさんの折角の好意を無にするやうな気がしたが、已むなく電車で行く。そして夕飯後なほ時間があるので、駅の近くの映画館に入って時間を潰す。そしてまたもや汽車。

     (つづく)