賀川豊彦の畏友・村島帰之(88)−村島「アメリカ紀行」(8)

「雲の柱」昭和6年12月号(第10巻第12号)に寄稿の続きです。


          アメリカ紀行(8)
          カナダからアメリカに入る          トロント――ニューヨーク――クリブランド

                            村島帰之

  (前承) 
   二 日
 小川先生から電話がかゝって来たので、あわてて起きる。もう十時だ。よく寝たものだと思ふ。「午後二時から一緒にダウンタウンの方へ行かう、此方から迎へに行くから」との事なのでその儘起きた。

 今井さんに連れられて、附近のカフヱーヘ行って、朝食をすます。果物と、トーストとフライエッグと牛乳とで一人前三十五仙は安い。
 アメリカは喰べ方においては、いくらでも安くあがるものだといふ。レストラントヘ行けば、どんな事をしても一人一食一弗以上は払はねばならね上に、一割のチップだ。
 それがカフヱーヘ行けば半分ですむ。

 チップもそれに従って少い。さらに、カフヱーテリアといって、自分で好きなものを皿に盛って、自分勝手に運んで来る家では、定食でなく、好きなものだけ喰べられて経済な上にチップも要らない。

 なほカフヱーでも、スタンド式の處は、止り木のやうな処で喰べるので、チップば要らない。これが最も簡単だ。
 けふは日曜なので外の店は閉じてゐるが、カフヱーと新聞店は開いてゐる。

    ホスヂック博士の説教
 ニューヨーク一の美しい、そして大きい教會である百二十二丁目のリバーサイド教会へ行く。白いゴチック風壮麗の建物だ。今日は米国一の名説教家ホスヂック博士の説教があるといふので、押すな押すなだ。といっても、混雑は全くない。多くの男女が一列にならんて静々と入場する。
 警官のやうな風をした白警團員が入口を警戒してゐる。

 私達は少しおそく行ったので二階へ招かれた。で、階下は知ることが出来なかったが、二階丈けでも二百人は入れる。

 會衆は概して女が多い。流石、キリスト教信者丈けに、つゝましやかな女性ばかりだが、それでも、二の腕迄露出して、アメリカ人特有の腋臭が香ふので、しめ切られた場所ではむせかへるやうだ。

 実際、女の肌まる出しには驚く。電車の吊皮につかまってゐる女性などは、腋下の毛を露出して恬然としてゐるのだから。

 スカートは、日本の洋装美人のやうに短くしてゐるものは殆んどない。スカートは長くなってゐる。日本は数年前のアメリカの流行をその儘にしてゐるのだ。

 只腕の露出はアメリカの方がうわ手だ。それだのに、むし暑い夏にも、上衣一つ取る事もレティーの前では憚らねばならねといふアメリカの男はあわれだ。
 私はよくも日本に生れて来た事と思ふ。

 それはさておき、教会堂の観察に立ち帰って、ゴチツク特有の椎の実のやうに上の尖った中桂門を通して遥か遠くの教壇のあたりが見える。我等の上には王冠のやうなシャンデリヤが垂れてゐる。前方の両側はゴチック風の四本づつの圓柱に全建物がガッチリと支えられてゐるのが見え、その間に虹を細く打ち砕いたやうなステンドグラスが、眩ゆく見える。

 定刻が来て白衣のガウンを着た聖歌隊が入場し、合唱などがあって、献金だ。献金の前金制度もアメリカ式といふのか。

 「學生は十仙、その他は二十五仙、献金の相場です」と今井さんに教えられて、廻って来た銀の皿の上にコーターを入れる。献金の皿の廻し方の早い事、米人のスピード・アップはそこにも見られる。

 それから叉讃美歌の合唱などがあって、いよいよホスヂック博士が、向って左側の壁際にバルコニーのやうに突き出た演壇に立つ。

 頭上には、圓錐形の金色の圓蓋が下ってゐる。博士の演説は発音が明瞭の上に、スピードも早くはなく、よい程度のヂェスチュアーを入れてやられる。判事のやうなガウン、顔を動かす度に光る眼鏡。

 演説は悲しいかな、語學の素養の乏しい私には全体としては聞き取れなかった。今井さんの助け船によって、漸く知り得た所は「可能性を信じ得る人程、偉大なのだ。そこに力が加はる」といふやうな話だった。後から小川先生に聞けば、之はホ博士の十八番の説教で小川先生も空で暗誦してゐるといふ。

 教会は第一金をかけてゐることをしみじみ感じさせられる。此の教會などは、到底、百萬弗以下では出来ないに違ひない。

 ニューヨーク市街を歩いて、教曾の多いのに鷲く。何ストリートと呼ばれる大通りには、十ブロックとは行かね中に、必ず一つの教会が、街角にそびえ立ってゐるのを発見する。それが、いづれも、日本の教会のやうなケチ臭いのではなく、ゴチックか何かの立派なものだ。私は幾度立ち止って、天を指す尖塔を見上げたことか。

 公園に近い所の丘上に、聳ゆる大きなドームをかぶった天主教の公堂は、三十年とかの継続事業で建築を続けてゐるとかで、今で立派な会堂が何處迄大きく立派になるのかと驚かされる。

 ニューヨークの摩天桜の中で芸術的なものを選んで行くとしたら、恐らくは大部分は教会堂が選ばれるに違ひなからう。金の掛ってゐるのは、只に、會堂の建築のみではない。例へば、献金を入れる皿丈けでも安いものぢゃなからう。之で一週に一時間位しか使用しないで、後はしめ切って置くなどとは全く勿体ない気がする。

 資本主義下のアメリカの宗教!
 ホ博士の説教にも弗の響きがするやうな気がしてならなかった。

 教会を出てサンデー・ぺ−パーを買ふ。五仙づつだが、二部買ふと、脇に抱えて帰るのに重みを感じた程だ。流行、社交、運勧、新刊紹介などの各紙面はただ、上っ面を見ただけだ。付録の読み物雑誌、漫画も閑人でないと読み切れない。

 アメリカの食事と同じく、新聞も叉あまりに量が多すぎて、箸を取る前に食傷して了ふ。だが、アメリカの新聞も、此の頃の不景気では、すっかり廣告収入が減って弱ってゐるやうだ。サンデーイヴニングポストが廣告減で如何に頁のやせた事よ。廣告収人をあてにして、原價を切ってウント安く新聞を売ってゐたアメリカの新聞の厄年だ。

 アメリカのやうに猋大の頁の新聞を沢山に出してゐては原料のパルプの浪費で、百年、五百年後の製紙が思ひやられる。この方面の何か化學的な発明の起らない限りは――。

     (つづく)