賀川豊彦の畏友・村島帰之(84)−村島「アメリカ紀行」(4)

「雲の柱」昭和6年12月号(第10巻第12号)への寄稿の続きです。


      アメリカ紀行(4)
      カナダからアメリカに入る
      トロント――ニューヨーク――クリブランド

                           村島帰之

 (前承) 
  三十日
 急に出発する事になって、朝中を忙しく準備に過す。
 午餐はポーランド人と向ひ合って、村島の意味などを訊くので話す。午後二時、正則中學時代の同窓で二十五年振で會った当地在住の飯島秀雄君の自動車で駅まで送って貰ふ。
ベーツ博士、ノーマン氏、前川氏が送ってくれられる。途中、ハミルトンで乗替へて二十五人乗のナイヤガラ行のバスに乗る。


   ナイヤガラ
 バスはやがてアメリカとカナダの国境に達した。大きな橋を越えると、もうアメリカの領土だ。

 Stop U.S.Customs and Immigrationの文字が大書されてゐる。移民局と税関だ。中央の通路が鎖で閉されて自動車にその右側を、乗合自動車は左側を一々検問を受けてから通るのだが、自動車の検問を受ける箇所には、特に地面に電燈をつけて、車台の下に酒類などを潜めてゐるものを観破する仕掛けになってゐる。

 私たちのバスには二人のオフィサーが乗込んで来た。税関吏の方は私たちの荷物の外観を見た丈けでその儘パスしてくれたが、移民官は今井さんの旅券について調べるといふので二、三十分間、オフィスで訊問があったが、間もなく帰って来た。今井さんは學生として米國に来てゐたが既に卒業してゐるので、再び米國へ入る必要はないといふのださうな。しかし萬事諒解して、おまけに入國税まで免除してくれる。

 ナイヤガラは嘗て、賀川先生がこの附近のある富豪の家にボーイをしてゐた事があって、地理に詳しい。

 駅でタクシーの世話人が親切さうに「君の時計は間違ってゐないか」などと言葉を掛けて、さて「ナイヤガラヘ行くならタクシーにのれ」といふ。「いくらだ」と訊くと「三人で九弗」といふ。日本人は金を持ってゐると思ってゐるからだ。箆棒奴、そんな高いのに乗れるもんかと許り、賀川先生が、とっとと先へ立って行かれる。そして町へ出たところで客待のカーが誘ふので、いくらだといふと、勿驚「二十五仙」だといふ。まるで桁違ひだ。

 で、それに乗ると、やがて、ナイヤガラ近くになって、「ここまでで二十五仙だが、ナイヤガラをぶらっと廻って一弗にしておくがどうだネ」
 と来た。この先生、独逸のヒンデンブルグに似た風貌を持ってゐるが、外交的手腕もなかなかあなどれない。
 でいふ儘に行く。

 公園の並木といったやうなところを過ぎると、忽ち大川だ。いふまでもなく、ナイヤガラの水の流れるところだ。
 急湍が、白い泡を湧立たせ乍ら走るやうに流れてゐる。

 少し行くと、自動車は止った。下りると、そこはアメリカ側のナイヤガラ瀑布だ。瀑布と並んで観瀑台が作られてあるので、そこから瞰下すと自分の身体も一緒に瀧壷におちさうな心持がする。

 巾何十丈といふ瀧の水が、まるで、硝子で作ったもののやうに一定の容積を持続し落ちてゐる。そして瀧壷のあたりは一面のしぶきでぼかされてある。

 瞰下すと、下の方で、レインコートを着て歩いてゐる人の姿が見える。瀧の裏を行ってゐるのだ。

 對岸はカナダである。そして片側にはカナダのナイヤガラが落ちてゐる。
 カナダのナイヤガラは馬蹄形をなしつつ落ちてゐる。何の事はない、分の厚いカップが半分に破れたやうな恰好だ。

 運転手に訊くと、此の瀧に落ちて死んだ者も相当あって、その内には日本人もゐたといふ。また或る米人は、盥のやうなものでこの瀧壷を乗切らうとして死んだともいふ。

 ついでに瀧を下から見上げるために、エレベーターで下へ降りて見る。

 これは壮観だ。瀧の上部の流れから瀧となって落ちるところの水が青く透きとほってエメラルドのやうに光ってゐる。大きな宝石のつらゝだ。あくまでも濁りを知らぬ處女宝石だ。
 上から落ちて来たらしい巌石に腰かけて、いつまでも壮観に見とれる。

 瀧の反對側を見ると、カナダ側にはホテルらしい建物や、発電所らしいものが見え、アメリカ側にも高い烟突などが見える。
 自然と近代風景のカクテル。
 汽車の出るまでに間があるので、私たちは町へ出て食事をとる。

 ナイヤガラは五十年来、嘗てない不景気だといふ。不況のため、見物どころではないからだらう。
 アメリカ、インデアンの玩具を買ふ。

       (つづく)