賀川豊彦の畏友・村島帰之(75)−村島「アメリカ大陸を跨ぐ」(5)

「雲の柱」昭和6年10月号(第10巻第10号)に寄稿の続きです。


       アメリカ大陸を跨ぐ(5)
       バンクーバーからシカゴまで
                           村島帰之

    
     (前承)
    武士ホテルの歓迎會
 正午、武士ホテルで、先生の歓迎合が催される。官民約百五十名出席。日本に三十年もゐられたといふニューエル氏や領事の顔も見えたが、大体は在留邦人の基督信者だ。
 阿部牧師や沖山日本人會會議所会頭や領事の歓迎の辞があって、先生は立って、日本の現状について語られた。農民が困ってゐる事、労働運動がやゝ落ついて来た事、共産党の進出してきた事、しかし、農民と小學教師が比較的健全であろから前途は必ずしも悲しむに足らぬ事など、など、など。そして、先生は私に日本の文芸運動の左傾化について話すやうに促された。

 私は立って左翼文芸運動の現況を語り、近く左翼の文士が宗教暴露の一つとして賀川先生の事を小説化する意圖のあろ事を話した。

 歓迎會か終ってから、私たちは日本人会商工會議所へ行く。従前は日本人會と會議所とが別々に存在してゐたのを最近に一緒にしたのだといふ。會議所で日本式の氷水の御馳走になる。金時と宇治とだ。

 社の同僚橋口次平氏の令兄に會ふ。そして同氏から、シヤトルの日本人がホテル業及びグロッサリー業において成功してゐること、殊にホテル業は他國人がやって失敗したものを引受けて立派に盛り立てゝ行ってゐること、加州と違って此處ワシントン州は日本人の柄がよくて排斥などのないこと、等を聞く。(詳しい事は別に書く)

 先生はお忙しいので、私だけが市中見物に行く事になる。日本人會商工会議所會頭の沖山さんが、自身の自動車をドライブして案内して下さる。沖山さんはホテル業者の一人だ。

 自動車はダウンダウンから湖畔へ出て、並木の美しいドライブウェーを走る。
 「日本人會では近くこの湖畔へ桜の木を植付け予定で、目下、その苗木を育てゝゐるのです」
と沖山さんがいふ。

 湖水には處々に水泳場がしつらへられて、赤や青の水泳着を着た若い男女の姿が見える。一体が日本の海水浴場などとは違った或るあかるさを持ってゐる。湖水の湾曲が、或る一点で尽きる。そこには大きな石燈籠を中心に美しい花園が作られてゐる。これがオリエンタルパークで、横浜市から寄付したものだ。この石燈籠を運ぶためには郵船も無賃輸送を承諾したといふゆはれ附きだ。
 花園の花は、名は知らぬが、みな日本のものだ。
 燈寵は桃山時代のものを模倣したものだといふ。夜の演説会の都合もあるので、それだけで、ポテルへ帰る。

    邦人へ向っての第一声

 演説會場へ行く。もう殆ご満員だ。演壇から見ると、二十位から五十位までの邦人の男女でギッシリと詰ってゐる。この人たちが、みな故郷の山河をうしろに、はるばる異郷へ来てゐる人たちだと思ふと、なつなしいといふ感情の外に、いじらしいといふやうな思ひも湧く。

 先生は、
 「気象的困難は、他面、また日本民族を鼓舞してゐる。近時日本に頽廃の気風を認めるが農村の青年は未だ健全である。ロシアの反宗教運動が日本にも傅って来てゐるが、決して成功するものではない。その理由は、宗教は人間の発明品や創作品ではなく、生命と共に生えたものだからだ。宗教は人間が生命を持つ以上、持たねばならぬ「生きる工夫」である。唯物論を論破するのは理屈ではなくて、愛の実行だ。彼等は人生を単に物と考へ、従って目的を持たね。だから、機械文明に中毒せる現代人に必要なのは「目的」を与える事だ。発明者は目的を持つ。機械的堕落から現代人を発明的に導く必要がある。一体、天地には不思議の力がある。人間はその命の流れの一部分だ。永遠の生命を神といふ。天地の神が無窮だから、その神の作った人間も死なない。どこで死んでも同じだ。シヤトルで死にたくないなんかといふな。植民地は墓碑が殖える事によってのみ栄えるのだ。迫害、排斥を怖れず、墓を立てよ。」
と、強い調子で叫ばれた。聴衆は何ものかの暗示を得たらしく、元気で降って行った。
 先生はホテルヘも帰らず、その儘、バンクーバーヘ。

 これは後で聞いた事だが、バンクーバーにおける先生の説教は大なるセンセーションを起し、聴衆は一斉に起立して、感謝を表現したといふ。
 私と成瀬さんは、半月振りで陸上で眠ることになったが、矢張りいけない。窓の下を走ろ電車や自動車の音が耳についてなかなか眠れない。で、薬品についてゐた綿を取り出して耳につめて眠った。

        (つづく)