賀川豊彦の畏友・村島帰之(76)−村島「アメリカ大陸を跨ぐ」(6)

 「雲の柱」昭和6年10月号(第10巻第10号)への寄稿の続きです。


        アメリカ大陸を跨ぐ(6)
        バンクーバーからシカゴまで
                            村島帰之

    
     (前承)
    市 中 見 物

 二十三日
 朝飯はホテルの隣りのカフェーで只一人で済ます。十時市中案内のため、寺澤さんが来て下さる。成瀬さんは今夕開催することゝなった映画「一粒の麦」の試寫をするために途中から市中見物を思ひ切られる。

 まづ日本人の語學校へ。説明するまでもなく、ここではパブリックスクール米國民として少年少女たちが受ける教育以外に、彼等の父母の國の國語をも教へて置かうといふので、いはゞ、二重の教育負担だ。今は恰度夏休みで、パブリックスクールは休みだけれど。

 第二世は友人との對話がみな英語なので英語は達者だが、日本語は家庭で父母との對話において使ふだけだから上手ではない。先年練習艦隊が当地へ来て此の學校を參観した際、司令官が一人の子供に、
「何年生ですか」
と訊くと、
 「シネンセイです」
と答へた。シネンといふのは四年といふことだ。四年をヨネンと読むことを知らなかったのである。

 生徒の作文を見せて貰ふ。文章の中に、やたらに英語が出てくるのも面白い。此頃の日本のインテリの文章を思いひ合せて。去って、向ひ側のグッド・ウィルインダストリーを見る。

    グツド・ウイルインダストリー

 グッド・ウィルインダストリーは、各家庭の好意になる古物、廃物を貰ひ受けて来て、これを修理再生産し、これによって、失業者に職を与へると共に、その再生産品を廉價で売って得た上り高を一般社會事業に寄附するといふ事業だ。
 日本人は品物が廃物に近くなっても、なかなか捨てない。だから、この事業は日本では成功しないと思った。
 女秘書の案内で、買店から各デパートに分類して置かれた廃物の山を巡覧する。およそ家庭にあるものは凡て存在すると思はれた。只それが悉く傷んでゐるといふだけだ。
 これも詳しい事は、別に社會事業の雑誌に書くとして、此處には省く。

    寺澤さんの話

 寺澤さんのお宅へ行く。奥さんが愛相よく迎えて下さる。室内に這入ゐと山室軍平先生や佐藤定吉博士の寫真が目につく。

 寺澤さんは以前から盛に商賣をして居られたが、マーチャントに付きものの「交際」があって酒や女にも親しまれてゐた。或日、泥酔して帰宅されると、奥さんが苦い顔を見ゼずに迎えられ、やがて岡崎牧師がやって来て、寺澤さんに、信仰の話をされた。その事があって、寺澤さんには何となく宗教といふものが望ましく思はれ出して来た。そうかうする内に、佐藤博士がシヤトルヘ見えたといふので行って、その講演を聞いてゐるうち、つひ決心してイエスの僕となられるに至ったのだといふ。

 寺澤さんは、さらに面白い話をして下さった。
「私は賀川先生よりも三年ほど上級生でしたが、下級生の賀川が、ヤソであるといふことと、それから上級生に対して敬礼しないといふことと、二つの理由から、一度殴ってやらうと思ってゐたのでした。ところが、その機を得ずに済みました。若しその時、賀川先生を殴ってゐたら、私の手は今頃曲ってるでせう」
と。徳島県出身の某名士などは、寺澤さんの銑拳制裁を受けた一人ださうだ。

 吉田清太郎先生のお噂などした後、またもや自動車で出かける。
 此度は公園や湖畔をドライブして、閘門を見に見く。ここは湖と海との連なるところで、雨水面に二三間の差があるため、これを二箇所も堰き、中間の水門を電気仕掛で開閉しては水準を上下して交通させてゐるのだ。
 数千噸の船が、この開門のスィッチーつで湖から海へ海から湖へと送られて行く。パナマ運河もこれと同じ仕掛だといふ。

 最後にワシントン大學の構内を走る。美しい校舎だ。夏季大學に聴講に来てゐるらしい女大學生がサッサと並木道を横切って行く。
 學生街のカフェーで食事をとる。テーブルの片隅の穴へ五銭白銅一つ入れると、ラヂオが聞える。

 ホテルヘ帰って一息入れてゐると、宮崎氏が見えて、自宅へつれて行かうといふ。氏の自動車でアップタウンヘ行く。
 話をして見ると、氏の夫人は、私の遠い親戚になるらしい。暫く御邪魔して、社の福本福一君に會ふためにNPホテルヘ行く。そこで宮崎、福本両君の外に、廣商野球團に附いて来た正本君も加へて四人の大毎関係者が顔を揃へた事となり、社の幹部へ寄せ書を書く。

 そこへ、船で一緒だった野球團の諸君も見えたので、誘はれる儘、廣島懸人會の野球團歓迎会へ、県外者乍ら出席する。太平洋沿岸邦人の中で廣島県人は最も多数を占めてゐるのだ。
 帰りに寫真機を買ふ。
 この夜、成瀬さんは「一粒の麦」を公演したが大入りであったといふ。只、閉会間際にフィルムが発火して、一時は混雑を見せたといふ。

     (つづく)