賀川豊彦の畏友・村島帰之(56)−村島「スピード時代」


 今回は「雲の柱」昭和6年5月号(第10巻第5号)に寄稿された村島論稿です。


         社会研究
         スピード時代                          村島帰之

     新聞のスピード

 或るモダンな一映画女優が、敏捷さうな一青年記者の肩を敲いていった。
「あたし、新聞記者が好きですのよ」
「だって、新聞記者にはスピードがあるんですもの」
 彼女は、まことに、新聞記者の知己であった。彼女のいふ如くスピードこそ、新聞記者の生命であり、力であり矜りであるからである。
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 尤も、同じ新聞記者でも、昔の記者はスピードが極めて緩かった楚人冠の記すところでは、世界的の大事件であった一七七五年七月四日のアメリカの独立宣言がお膝元のフヰラデルフイアの新聞紙上に掲げられたのは、独立の鐘が鳴ってから実に十日目の七月十三日で、更にわづか三百哩しか離れてゐないボストンの新聞に掲載されたのは、それからなほも九日を隔てた七月二十二目であったといふこの時代の新聞記者なら、到底、女優さんから「記者が好きよ」とは囁かれなかつたに違ひない。

 それから四十年、一八一五年五月十八日、ワーテルローの役の頃には、新聞のスピードも梢々出て来た。即ち、ウエリントンの戦捷が翌々二十日の「タイムス」には既に報道されてゐたからでる。尤もこの報道は、特定の記者がものしたのではない。ウエリトン将軍の命により、戦捷の夜、早くも參謀本部宛とタイムス宛の戦記二通が作成され、戦場から海岸まで四十哩は早馬、それはドーバーまで六十哩は船、ドーバーからロンドンまで七十五哩は叉早馬で走ちせ、兎に角二百哩近くの距離を中一日置いて三日目には、英國國民にウオーターローの戦捷が報ぜられたのだ。アメリカ独立の十日目に比べて素晴らしいスピードといはねばなるまい。

 それから更に百年は経過した。籠が飛行機に変わった。新聞がスピードも勢ひ早くならうではないか。
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 地球の周回は赤道を標準にして一〇、二〇〇里。聞いたゞけでも夢のやうな気のする距離ではあるが、しかし、空間の距離は最早問題ではない。新聞の海外電報のスピードは、如実にそれを語ってゐる。即ち今日では、ロンドンの特派員が、無造作に書いて電信局の窓口へ差出した電報は至急報の特電なら一時間後には、大阪の本社の受付へ届けられてゐるのだ。地球の空間的距離は一萬里でも、時間的距離は二時間以上には出ない。

 新聞社では、これでもまだ遅いといって澪してゐる。何故となれば、電波の速度は、もっともっと早くて、ロンドンAと打てば、一秒ぐらゐで大阪にAと響いてゐる筈だから――といふのだ。遠からぬ将来には、まどろっこしい有線の電報などによらす、ロンドン、大阪間ぐらゐは、電話口で「お早よう。今朝はロンドンも霧が深くって困ってるよ」「さうかい、大阪はお天気だよ」ってな冗談をいひ乍ら、海外の通信を交換する時も来やうといふのだ。
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 尤も、今日では未だそこまでは行ってゐない。殊に一朝有事の場合などは、政府の公報が電報の先取権を行使するので、新聞電報の速力は著しく減殺されて、スピードが出ない。
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 十年前、ベルサイユで平和會議の開かれた時のことだ。巴里から世界各地へ蜘蛛の巣のやうに通じてゐる電話線といふ電話線が悉く各國全権の発する全報によって閉塞されて、日本の各新聞の特派員が打出す新聞電報などは、その合間々々にしか打ってはくれないので、巴里、大阪間が早くて五日、運の悪い電報になると十日近くもかかる事があった。これではアメリカの独立宣言の遅報も笑はれた義理ではない。

 しかし、これを獣って見てゐる新聞社ではない。女優さんに好かれやうためには、意地でもスピードを出して見なければならないのだった。

 大阪毎日では、早速、各地電話線のスピード調査を開始した。巴里から同じ電報を或はロンドンを経由し、或はニューヨークを経、或はカナダを経て、大阪へ打つ。すると、平常は最もスピードの早いアメリカ線などは公報電報の輻輳で亀のやうな速度しか出ないのに反し、平常なら顧みる者のないカナダを経由し、濠洲シドニ―を迂回して日本へ這入る一線が最も早く他の線が五日以上を要するのは、此の線ばかりは一時間半で着いた大阪毎日では、早速特派員をシドニーに送って電報の中継をさせて奇効を奏した事もある。

 兎に角、通信機関の飛躍的進歩が新聞通信のスピードと、いやが上にも定めた事は覆ふべからざる事実だ。新聞記者が女優さんに好かれる要素の幾パーセントかは電気と針金のお蔭だといはねばならぬ。

 しかし、新聞のスピードは、これだけに止まってはゐない。新聞記者自身のスピードを閑却して貰っては僕等記者の面目が立たぬ。

     電送写真と飛行機
 新聞はスピードを出すために、能ふ限り快速力の機関を応用する。汽車や汽船は最早どう贔屓目に見ても快速力とはいへない。たとへ東京、大阪間を六時間で突っ走る特急列車が運転し出しても、それは牛がヘビーをかけたぐらゐにしか評價されないだらう。

 ニュースの通報は電話だ。東京大阪間の如きは受話機を耳に宛がへさへすれば、その瞬間に百五十里向ふから「モシモシ」と応答がある。説明するまでもない。大朝、大毎の如き大新聞は東京の支社たる東朝、東日との間に東京大阪間の専用電話を架設してゐるからだ。予約電話の時間の来るを待って、通信を送った時代に比べて何といふスピードだらう。

 記事は善いとして困るのは寫真だった。大事件の寫具は一、二年前までは飛行機で東京、大阪間を運搬したものだが、箱根や鈴鹿山脈の悪気流は屡々この寫真の空輸の邪魔をした。途中で墜落した事さへあった。それが今日ではどうだ。電送写真の設備が出来てからといふものは、東京で出来た事件の寫真は三十分とはたたぬ裡に電線を伝ふて大阪へその儘移されてゐるのだ。電送写真の科學的説明は茲では省くが、寫真を極端に細かな碁盤縞にして、この一コマ一コマの明暗を光度によって現して端から順次送り出すといふ仕掛けである。将来は寫真だけではなく一頁の新聞全体が、その儘大阪なり門司なり京城なりへ電送されて地方読者に對する通信および配達のスピードを一層早くするに至ることは火をみるよりも明かだ。

 しかし、電送写真は有線なので現在はまた専用電話線のある東京大阪間だけにしか使用出来ずにゐるが、その電送写真の及ばぬ處へは、寫真の運搬のため飛行機が用ひられる。大毎航空課について調べて見ると、昭和四年中に同社が飛行機を飛ばした回数二百二十七回、時間二百七十五時間、そして飛行した距離は四萬粁を超えてゐる。例へば同年五月陛下八丈島行幸の砌の如き電送は無論ダメ、汽船に託すれば一週間近くもかかる處を、八丈島から一気に飛んで、その朝の八丈島における寫真をその日の夕刊に間に合せた。叉近くは去月二十一日、ロンドンにおける軍縮會議開會式の寫真及び活動寫真フイルムを本社特汲員その他のリレーによってロンドンからベルリン――モスコーを経てシベリア鉄道でマンチュリーに到着。満鉄に積み替へ二月二日午後十一時四十六分平壌に到着。それからは豫て用意してあった大毎飛行機に積替へ翌三日の黎明午前六時五十二分といふに暁闇を突いて離陸、機速二〇〇キロ時乃至二二〇キロ時のスピードで一気に鶏林八道、朝鮮海峡、山陽、山陰。四國を翔破し、わづか七時間三分で平壌大阪間を連絡し、同午後一時五十五分大阪に着陸した(つまりロンドン、大阪間を十四日間で輸送した訳である)

 当日大毎編輯局では「午前十時蔚山通過」の入電のあった時から全員が耳を空に向けて、飛行機の爆音が今か今かと待ち受けた。或る時は表を驀進するオートバイの音を聞いて「ソレ来た!」と幾十の首が窓に突出したりした。夕刊の締切時間はとうに経過してゐた。第一面の編輯整理は工場と編輯局の間をうろうろして「この調子では駄目かな」「夕刊にのせる事は断念しやうよ」「いやモウ暫く待て、間に合ふやうな気がする」――関係者は胸をわくわくさせてゐると、突然耳を聾するやうな爆音「今度は本統だ」と突き出す数十の顔「本社機だ、本社機だ!」「萬歳!」「大勝利!」編輯局は海嘯のやうなどよめきだ。やがて習太飛行士の黒い赫顔が現はれると、握手の雨。おめでとうの雨。

 羽太君の話……朝鮮の上空では気温零下二五度。自身のからだよりも発動機を氷らせてはならぬとあって、数枚の毛布で発動機を包んだ上に、白金カイロ数個を抱かせた。恋人でもこれだけ大事にする人はないだらう。雲、霧、雨を突破して四國の空へ差蒐った時には既に午後零時半、夕刊第二版の締切時間には最早一時間少ししかない。而も風は向ひ風と来てゐる。尋常の飛行では迚も締切に間に合はぬと悟ったので、機速二〇〇キロ時高度六〇〇米突で淡路を越え、更に発動機を全開し機速二二○キロ時のフルスピードを出し、文字通り命がけで大阪に向って突進した――と云ふ事であった、新聞のスピードの影にはかうした生命がけの冒険譚がひそんでゐるのだ。

 寫真の空輪についてもう一つ附け加へて置きたいのは、寫真の釣上飛行である。これは飛行機が着陸して寫真を受取って再び離陸して本社へ引返すのではスピードが出ないといふので、飛行機が空で飛行の儘地上から寫真や原稿を釣上げて直ぐ本社へ引返すといふやり方だ。昨年六月、陛下の紀州行幸の御砌、大毎機は三日間に亘って紀州田辺及び串本の用地でこれを行って成功した。何の事はない機上から釣絲を垂れて、下で待ってゐる魚を釣上げるのだ。プリミチーブなやり方のやうだが、着離陸に不便なところではこれに越した便法は外にない。

 たとへば新聞社は二六時中、駈けっこをしてゐるともいえよう。人見絹枝嬢だけが走るのでない。新聞社全体が走るのだ。新聞社のマラソン競走――スピード時代に相応しき一社会風景ではあるまいか。