賀川豊彦の畏友・村島帰之(55)−村島「大阪府方面事業の将来」

 今回は「雲の柱」昭和6年4月号(第10巻第4号)に寄稿された次の論稿です。


        社会研究
        大阪府方面事業の将来                             村島帰之
      一

 現在わが國において実施されてゐる方面委員事業は約七十の多きを数へる。即ち全國各府県に亘って、この事業を有せぬものは一つもなく、北海道、東京、富山、山口、廣島、神奈川、長崎、新潟、岩手、岡山、香川、その他の府県の如きでは、却って二箇以上の方面事業を持ってゐる。現状で、たゞに内地のみならす、朝鮮、台湾の外地にまで普及されてゐる。これが、今から八年前までは、わが國では影さへ見たことのない社會施設であると思へば、方面事業の近時における発展の著しいのに、一驚を喫せざるを得ない。

 方面委員制度は、大正六年五月岡山県に創始された「済世顧問」に始まるといはれるが、「方面委員」の名を冠し、ドイツのエルバーフェルト市の制度を探用して、区画を設け、篤志家の委員を嘱託し、部内困窮者の調査とそれによる個別的救助を行はしめたものは、大阪府が最初である。

 大阪府方面委員制度は、大正七年十月、時の知事林市蔵氏の首唱により、故法學博士小河滋次郎氏立案の下に創始され、年を閲すること茲に十有二年、今や大阪市内のみならす、堺、岸和田の両市に亘り、四十八方面を設置し、約千名の委員が、社會連帯の精紳に基き、貧困者の「善き隣人」として立働いてゐるが、既往十一年間における各種救護取扱件数は実に五十五萬件の多きに達してゐる。

 社會局社會部編の「全國方面委員制度概況」にも、各地の方面委員制度の中において「大阪府方面委員制度は最も顕著なる発達を遂げたるものにして、現今、此種委員制度の模範となり、その活動大いに注目に値するものあり」と特記してゐるほどである

 しかし、大阪府方面事業と、他府県方面事業と比較して見て、その事業の本質は勿論、その組織、職能の大体において、左したる相違を見ない。まづ経営主体に見ても全國方面委員事業の半数は、大阪府と同様、府県の経営になってゐる。施行区域も、大部分は大阪府同様、市部(叉は必要なる町)に限ってゐる。只だ大阪市がその区域が廣く且つ貧困区と富裕区(船場、島の内の如き)の区画が明瞭な為め、或る地区は方面事業から除外してゐる点は梢々異色があるが、これとても、東京、長崎、金澤、熊本、において、同様行ってゐるところである。

 叉方面委員の担当区域の区画標準も、(一)人口戸敷の密度により分割するもの、(二)生活状態叉は地勢により区画するもの、(三)衛生組合区域によるもの、(四)警察管轄区域によるもの、(五)小學校通學区域によるもの、(六)町村の行政区画によるものの数種類が存在するが、概して、市部にあっては大阪府におけると同様、一小學校通學区域を以て一方面とし、町村にあっては、区域狭少のため町村行政区画を以て一方面としてゐるのが多い。

 以上列挙した経営主体、施行区域、区画の標準は、いづれも各府県と大阪府とが、その歩調を一つにゐる訳であるが、これは遇然合致したといふよりは、先行者たる大阪府方面事業の組織を、他府県が取って以て範とし、これに倣ったためといっても、大して誤りはないであらう。

 社曾局が「此種委員制度の模範となり」と記してゐるのも畢竟これがためであらうと信する。

      二

 しかし、大阪府方面事業の組織、職能が悉く他府県においてその儘踏襲されてゐる訳ではない。倣はうとしても、種々の原因から倣ひ得られないものの存することも、覆ふべからざる事実である。

 その一は、方面委員担当世帯数である。社會局の調査に従へば、千世帯以上五施設、五百世帯以上千世帯以下のもの十五施設、百世帯以上五百世帯以下のもの二十八施設、百世帯以下のもの十施設、そして大阪府は全國の方面事業中、最も担当世帯数が少くて、わづか十世帯を数ふるに過ぎない。

 方面事業の特徴は、個別的指導にある。これは標準的な一般社會事業と全くその選を異にするところである。そして、この個別的指導の日的を達成せんがためには、委員の担当範囲は、出来得る限りこれを狭少とすることが望ましい。一人の方面委員が千世帯以上を担当するといふやうな事は、一般社會事業なら兎も角であるが、方面事業にあっては、事実上不可能に属する。この点において大阪府方面事業は全く恵れてゐるといふ事が出来やう。

 大阪府の方面委員と、その担当世帯の家族とは、友といふよりは親戚に近い関係を持ってゐる。或る委員は毎年松茸狩に担当世帯の家族を招待し、或る委員は、こども達のために自家において活動寫真を映寫し、或る委員は季節季節の珍奇なものをか分与してゐる。

 一方担当世帯の家族もその温情に感激して、委員の私宅を絶えず訪れては、その安否を尋ね、家事雑用の手助けをする向さへ甚だ少なくない。そして両者の隔意なき交りは、つひに委員をして担当世帯の子女のために、月下氷人たらしめ、永く交際をつヾけてゐるといふ例もある。かうした親密なる両者の交りは担当世帯数が少いからこそ期し得るのである。

 大阪府方面委員と担当世帯との関係が、親戚に近いといふのが妥当を欠くといふなら、これを奮時の家圭と店子の関係に比しても善いかと思ふ。

 第二は方面委員の人選である。委員は道府県設立のものにあっては知事、市設のものにあっては市長がこれを嘱託するのを原則とし、委員の資格は、大体において「設置区域内の篤志家、教育家、社會事業家、警察官」を以てするのが例である。

 この点は各府県ともほぼ同一であるが、大阪府はこの原則、この資格を適用するに当って特に留意した一点があった。それは所謂名誉職にある人々を委員に選任しなかったことである。

 例へば府會議員、市會議員といふが如き人々は選任の最初に当ってこれを除外したことである。勿論、現在においては、方面委員中に代議士も一名あり、府會議員、市會議員もあるが、これは後において議員になったもので選任当時はさうでなかったものである。

 なぜ方面委員の選任に当って議員を除外したか。第一は政党政派の色彩が少しでも方面事業に這入ることが好ましくない点。第二は、由来議員なるものが、社交その他に忙しくて、到底、根気仕事の方面事業に忠実である事が出来ないと想像される点。第三は、選挙に利用せらるる懸念のある点、等である。

 或る府県では、方面委員が政党の争ひの渦中に巻込れて好ましからぬ結果を来してゐると聞いてゐる。叉或る都市では、市會議員たる下準備として委員たることを運動する向もあると聞いてゐる。方面委員制度は全く下座奉仕的の仕事である。そして、借ずに多くの時問とその永きに耐える根気とを必要とする。他の不純なる目的を持つ者が善く委員の職責を全うし得ないことは、火を見るよりも明かである。

 なほこれに関連して大阪府の方面制度の恵まれてゐる点として警察セツルメント事業の発達してゐることをも挙げて置かう。大阪府警察部では大正七年頃から、密集地帯に出張所を設け、社會問題に理解と興味を持つ特定の警察官をそこに定住せしめ警察行政以外に、隣保的仕事に従事せしめてゐるのだが、その成績は可成り良好であるといはれる。

 今日、四千に近い組合員と、四百六拾萬圓の貯金を擁する大阪府方面委員、庶民信用組合の設立の動機を作ったのも、実は南区下寺町俗称八十軒長屋の附近に、セツルしつつあった一察官が、社會測量の際、そこを住ひとする二百三十世帯、千十名が殆んど全部十円以上三百円以下の「鳥金」――十円借ると壹圓を天引され、手取り九圓に對し拾圓の二歩乃至五歩の利子を附し八日間に皆済する金融――を借りてゐることを発見したのに始まる。

 この警察セツルメントの警官は全部、方面委員の一員となってゐるが、一般の司法警察官と異って、此の種警官が委員たることは、何彼につけて便利な点が多く、方面事業の上に多くの寄与をなしてゐることを認めねばならない。

 大阪府方面事業の成功の影には、かうした委員の人選そのよろしきを得てゐる点のあることを、われ等は充分に首肯するのである。

 第三は、財政的基礎の確立してゐる事である。方面事業の経費は、多くは府県費、市町村費より支出してゐるが、大阪府だけは異色があって、財團法人大阪府方面委員後援會がこれを支出してゐる。(松本市静岡県東京市長野市などもこれに倣つてゐる)

 方面委員は一切報酬を受けない名誉職であるから、委員自体の人件費といふものは必要がない。しかし各方面委員を助け、日々専心その事労を處理するためには、専属の有給書記を必要とする。また印刷に、通信に、乃至は一時的給与に、少からぬ費用が要る。

 大阪府の例に見ると、一方面の事務所は少くとも年に壹千圓と同時に委員の態度にも変化を来すに違ひない。今日の精神主義的態度は、兎もすれば自己満足的になり易く、且つ慈恵的に陥り易い。これを打開して、より善き方向へ羅針盤を進めることは、大阪府方面事業の当面の急務である。そして、そのより善き方向とは、恐らくは、事業方針の合理化と、委員の民主的覚醒であらう。われ等は大阪府の方面事業と、方面委員の将来に期待するところが甚だ大である。

(この続きは不明)・・・を必要とする。大阪府下四十八方面として、事務所費は年額約五萬円、これを年々、府費に仰ぐとすれば、他の社会事業に行く金額が勢ひ著しく減少するに違ひない。また然らずとするも府會議員の制肘するところとなって、種々の障碍を招かぬとも限らない。

 かういふ意味から、大阪府方面委員後援會は、大正六年米騒動直後の廉賣米寄附金の残金中、大阪府に帰属した貳拾七萬六千九百余圓を資産として創立され、その後、大正十三年度に至って毎年年額壹萬五千圓宛の補助を受くることとなったが、事業の披張に伴ひ、経費の膨張を来したのと、前回資金の残り少ぐなったことに鑑みて、昭和四年創立十年を記念として、基本金の募集を行ひ、壹百萬圓を集めることが出来た。これを七朱の金利に廻すとして年利子は約七萬円に達し、方面事業は府費の補助を仰がすとも立派にやって行ける勘定である。

 この財政的基礎の確立によって、委員は安んじて貧困者救護の大任に勇往邁進することが出来るのである。

      三

 以上は外形的より見た大阪府方面事業の特質であるが、更に内面的に挙ぐべき、特質のあることを知らねばならない。それは方面事業の精神的要素の濃厚である一事である。大阪府方面委員の創始者であり、現に大阪府方面委員後援會の顧問たる林市蔵氏は、方面委員を以て「精神修養の一道場」であるとし、また委員自身も惜しみなく隣人としての愛を与へることによって、同時に自己の心を浄化することが出来るといふ意味から、事業に精励する事を「自己血清」と呼んでゐる。

 かうした精神的な要素が委員にあればこそ、彼等は喜びと感謝を以て、勇躍して働くことが出来るのである。

 大阪府方面委員制度の成功は、組織の完全せること、財政的基礎の強固なことに俟つことも勿論だが、この委員の精神的態度がその原動力をなしつつあることを認めずには居られない。

 大阪の方面事業も既に十一年を経過した。委員としては充分なる経験を積む事が出来た訳である。しかし、一方において委員が当年の意気と感激を喪ふやうなことはないだらうか。経験が安易を件ふて、仕事が機械的となり、若くは書記委せとなる様な事はあるまいか。財政的基礎の安固は慎まねばならぬ。濫救の弊を招来する様な事はないだらうか。

 大阪府方面事業の本舞台もこれからであるが、危険もこれからだ。仮り初にも、全國方面事業の模範と折紙のつけられてゐるだけ、それだけ、一層、警戒が必要である。

 いふところの精神的要素も、習慣性と時代色の影響を受けて次第に蒸発して行かぬとも限らない。委員の緊揮一番を要するは、正に此の時期である。
 大阪府方面事業は何處へ行くか。方面事業そのものとしては救護法の制定その他によって幾分の変化を免れないであらう。