賀川豊彦の畏友・村島帰之(54)−村島「被害者としての職業婦人」

 今回の村島論稿は、「雲の柱」昭和6年3月号(第10巻第3号)の掲載された「社会研究」の連載の一本、小文です。


        社会研究
        被害者としての職業婦人
                         村島帰之

 可婚年齢の處女の多い職業婦人が、男性の誘惑の的となることは、今更いふまでもないが、同時に、これが男性の犯罪の被害者の立場に立たしめられることの多いことも、閑却することの出来ない事実である。殊に近時の如く、職業婦人があらゆる方面に向って進出しつつある際、この事は確かに大きな社會問題たるを失はないであらう。私は最近一年間の新聞記事について、犯罪の「被害者としての職業婦人」を拾って見る。

 まづ財物犯から拾って行くと、一番目立つのはガソリンガールの被害である。何しろガソリンガールは昼間のみならず、深夜まで営業をつづけてゐて、いづれも若干の賣上金を懐中にしてゐることが予想されるから、人通りの少くなった頃を見はからって、抵抗力のない彼女たちを襲ふ者が現れるのだ。大阪では昨年七月から九月へかけて十件近くの強奪被害があって、同市内二百五十本のスタンドに勤務する約五百名のガールたちを戦慄せしめたといはれる。彼女たちの勤務は十二時間が普通である。

 ガソリンガールと同じく深夜まで夜業してゐるカフェー女給が、夜の一時過ぎに家路を指して急ぐ途中、強奪に會ふ例も少くない。これまた若干のチップ収人が懐中深く蔵されてあることが予想されるからである。で、多くのカフェーでは、この被害を予防するために、同一方面に帰る女給たちに組を作らせて、頭割の約束で一台のタクシーに同乗して帰らせることにしてゐるが、それでもなほ女給の被害は絶えないといふ。        
 ダンサーについても同様なことがいへる。
 物慾からする殺傷事件は、後に述べる痴情からする事件ほど婦人の被害は多くはない。たとへ有っても物持の老婆などで(現に昨年中に四件の此の種の殺人事件があった)職業婦人の被害は少い。といって、素より絶無ではなく、昨年九月、或る郵便局の女子局員が銭勘定をしてゐるところを、うしろから絞殺して、行金を強奪し去った事件があった。男子事務員であったら、或は抵抗して被害を免れたかも知れないが、繊弱い女性であったために、兇漢の手によって、もろくも殺されてしまつたのである。

 殺傷事件の被害が女性にあっては殆ど百パーセント痴情から発足することは、今更説くまでもないであらう。只それが職業婦人の場合、どんな風に特徴づけられるかについて説明すれば足りる。

 昔、痴情からの殺傷事件の被害を最も多く受けたのは娼妓であったが、今ではそれが女給に移った。金と恋の渦巻の中に身を處して、常に貞操上の危険に直面してゐる彼女たちは、男性の横恋慕や嫉妬や未練のために、その兇刄の下に立たしめられるのだ。最近には大阪の某中學教師の執念の恋から人妻である一女給が斬られた例があった。普通の給仕人と違って。チッブ制度の下にある女給は、心にもない甘い言葉を囁き、媚態を示して、ひたすらチップの壹銭でも多からんことを願ふのだが、それを真に受けた客なる男が、つひ無理をいひかけて来るのだ。

 芸妓や娼妓も、女給に次いで多く被害を受けてゐる。昨年七月尼ヶ崎の元巡査が未練から芸者を殺したのや、二、三の遊廓で行れた娼妓に對する無理心中はその例である。死出の旅の道連れにされる女こそ迷惑干萬な話だが、芸娼妓はさうした危険に曝されてゐる訳である。

 女優にもこの危険はある。昨春、大阪中座からの帰途、何者とも知れぬ怪漢に斬られたのなども恐らくは何等かの恋愛事件が潜むのであらう。

 街頭に立って、自らのロを糊しつつある職業婦人は、常に噴火山に在るやうなものである。