賀川豊彦の畏友・村島帰之(49)−村島「賣淫論」(八)

 今回は村島「賣淫論」の第8回です。


       「雲の柱」昭和5年8月号(第9巻第8巻)

            賣淫論(八)                       村島帰之

     検黴制度

 公娼制度と検黴制度とは同一ではない。公娼以外の私娼に対しても、一部では現在検黴制度をひいて居るし、また公娼制度が倒れた後においても、検黴制度は依然として存績するだらうからである。然し、公娼制度は定時の強制検黴に服従し、その他國法の命づる處に従ふ代償として、國家の保護を受け、國法によってその賣淫行為を特別に公認されてゐるのから見れば、両制度の関係の密接なる事は言ふまでもない。殊に、國法の命づる諸種の制限中でも検黴制度が最も重要なる地位を占めてゐる点から考へて、寧ろ公娼制度は検黴制度の上に立ってゐるといっても、過言ではないのである。

 娼妓(公娼)の受けてゐる國法の制限は「指定地域外に住居する事を得ず」(娼妓取締規則第七條)といふ住居の制限「警察官署の許可を受くるに非ざれば外出する事を得ず」(同條)との外出の制限「貸座敷内に非ざれば娼妓稼ぎをなす事を得す」(同八條)との営業場所の制限および「廳府県令の規定に従ひ健康診断を受くべし」(同九條)「警察官署の指定したる医師叉は病院に於て疾病に罹り稼業に堪へざるもの、叉は傅染性疾患あるものと診断したる娼妓は、治療の上健康診断を受くるに非ざれば稼業に就く事を得ず」(同十條)との検黴の強制の四つを主としてゐるが、住居、外出、営業場所の制限に比して、検黴の強制が警察行政の上から言っても、最も重要性を有する事は何人にも首肯し得るところである。

 検黴はこれを對照となる娼婦に依って、公娼の検黴と私娼の検黴の検黴との二つに区別する事が出来る。然し、後者は量において前者の比ではない。叉、公娼の健診は、之を時の相違に依って開業当初の健診と、開業後定期に繰返さるる健診の二つとする事が出来る。然し、前者は今は説明の範園外にある。故に此處には公娼の健診についてのみ述べる。

 健康診断は、病毒蔓延防止の主旨からすれば出来得る限り頻繁に之を繰返す事を必要とする。診断が頻繁なれば、病毒を発見する機會も多く、且つ発見が早いために感染の度を低め、若くは病気の回復に有効である。

 現在行れてゐる健診は、各府県に依ってその診断回敷に差があるが、大体一週二回、一週一回又は毎五日の定期日に施行する事になってゐる。これを地方的に概観すると、四國、九州あたりは一週二回制を、叉東京附近及び東山道は一週一回制、近畿地方は毎五日制度を採ってゐる。即ち公娼制度の最も発達した近畿地方よりも、九州四國の方が却って、頻繁であるのである。娼妓の花柳病罹病統計の如きも、此の診断日を考慮に入れて観察する必要がある。即ち診断日の頻繁に繰返さるる處では、全体としての罹病者の発見実数は多いのだが、その比率は延人員が多くなってゐるために、反對に率が少くなってゐる。上村行彰氏は此点について、健診日の不統一に伴ふ罹病率比較の不正確を述べてゐる。
             (大阪医 學会第十五巻八号參照)

 同氏が引用しでゐる大正三年の統計によれば、健診回数の頻度と罹病率の開係は左の如くである。

 一週一回制の府県    2・55%
 五日制の十三府件    1・98
 一週二回制の十五府県  1・89

 即ち最も頻繁な一週二回制の府県の罹病率が、最も少い事になってゐるが、実際はさうでなく、仮に一週一回制の處を基準として比較するとせば、一週二回制の處は右の率に二を掛けねばならない。何故なら、一週一回健診して百人中二人の罹病者を発見したのと、之を一週二回行って同数の病者を発見したのと、一緒に比率をとるとすれば、前者は百分の二が出るに反し、後者は延人員が前者の倍となるため、百分の一即ち前者の半分しか出て来ないからである。故に正確な比率をとるためには、後者に二を掛ける必要があって、前記の比率は左の如く修正されねばならぬ勘定になる。

 一週一回制の十三府県  2・55%
 五日制の十三府県    2・78
 一週二回制の十五府県  3・78

 即ち健診の頻繁なところほど、有毒率は多いのである。換言すれば、娼妓の花柳病の危険率は、健診日の間隔の長短と正比例する事を知るのである。そして、間隔の長い處ではそれだけ多くの有毒者を見残して、病毒を四方に蔓延せしめる結果を生むのである。故に理想からいへば、日々これを行ふか、叉は接客一人毎に直前若くは直後において之を行ふべきである。

 然るに現在の健診は、早きも三日毎、遅きは、七日毎に一度といふ緩慢さである。此の三日乃至七日の間に娼妓が客から花柳病を感染せぬとは、誰か保証しやう。否、検査直後、最初にとった客から、病毒を受けぬとも限らない。若しさうだとすれば、彼女は病毒を携帯した儘で日々数人の客に接し、次の検査日までには少くとも十数人の客にその病毒を傅へるかも知れないのである。勿論抵抗力の強い者は、さう容易くは感染しないだらうが、危険に曝らされてゐる事だけは疑ひを容れない。殊に、現在の如き廻し制度の下にあっては、有毒の客と同じ夜、殆ど時を違へずして、同一の娼妓に接する客が一人――時には数人――あり得るのであって見れば、危険の度は、いよいよ甚しいといはねばならない。

 右の如く健診は時間的に考へて、娼妓が健診を受けてゐるからといって、必ずしも無病である訳ではない事が判明したが、更に健診の信頼する事の出来ないのは、その健診方法の確実である事である。之については先年濁逸フレンケル博士の吉原遊廓検黴実況観察記録がある。山室軍平氏の社會廓清論に掲げてあるのを左に摘記して見る。

 「予は先づ娼妓健康診断を参観したり。該検査は四人の検査医之を行ひ、其の検査の迅速なること、驚くに堪たり。即ち検査は顕微鏡を用ゆることなく、唯肉眼にて、咽喉若くは陰部を検査し、一分乃至二分間にて或は健康なりと断じ、或は治療を命ず。斯くては勿論長年月の熟練あり、経験に富める眼を以て検するならんも、尚疾病障凝の確認に漏るるもの多くあるべきは、言を須たずして明かなり。況んや娼妓等は検査の順番の廻り来る時まで、綿切れを以て局部を拭掃し、粘液、膿汁の減少を圖るに於てをや。」

 即ち現行の検黴は肉眼検査であるが、婦人の生殖器の構造は頗る複雑で、その中に潜伏する所の花柳病菌の有無などは肉眼によって到底完全に判別する事は不可能である。況んや、娼妓が種々の手段を講じて検査医の眼を瞞着せんと努めるにおいておやである。娼妓の瞞着手段については、前大阪府駆黴院長上村行彰氏が、大正六年一月内務省主催花柳病講習會の席上において、左の如く演述してゐるのでも判明するであらう。

 「検査に当り、其の疾病を隠蔽せんとして、種々なる手段を講する事を屡々発見するのでありますが、例へば検査前に自分の尿道に紙撚を挿入して膿汁を拭ひ、或は姉女郎又はヤリテ婆に依頼して、膿汁を搾らせて居る。叉子宮鏡を私かに携へ来って子宮より排出する膿汁を拭去して、無病の如く粧はんとして居るのであります。いくら取締っても飯上の蝿のやうで仕方がない。已むなく大阪に於きましては健康診断規則中に「病症隠蔽の目的を以て不正行為をなし、若くは之を為さしめ、叉は幇助したる者は二十日以下の拘留叉は拾圓以下の科料に處す」といふ條項を設けて之を実行した結果、今日では殆ど跡を絶つやうになりました。叉一方には、自ら隠蔽手段を講するばかりでなく、遊廓附近に開業して居るところの医師が、依頼を受けて洗濃其他の方法で陰蔽の幇助をなすものがありますが、孰れにせよ社會公衆の危瞼を顧みない輩がある以上、公娼が花柳病傅播者であるとの識りを免るることは出来ぬかと考へられます。」

 即ち一方娼妓は瞞着手段を講じ、他方検黴医は不完全なる肉眼を以て、それも短時間に多数の検査を行ふのである。その行ふ處の検黴が、医学的に権威あるものでない事は言ふまでもない。山田博士の「統計より見たる花柳病」に掲げられた大阪難波病院の調査では、視査土(即ち肉眼検査)及既往に黴毒を認めざる五十六名中、二十六名、即四割六分強はワッセルマン氏反応によって、陽性成績を認め叉臨床上淋病症状を認めぬ者において、七分の陽性成績を得たといふ。叉、大正二年三重県の調査では、肉眼試験に依る無症状の者の中三割七分の淋菌陽性率を見たといふ。如何に検黴の杜撰なるかは想像に難くない。

 次に、有毒者と認定され強制の入院を命ぜられた者につき考ふるに、淋病の如き、一度之に感染すれば殆ど生涯治癒しないもので、傅染危険の減却する迄には少くも四、五年の日子を要する。黴毒も然うで、三年乃至五年といふものは、依然伝染の危険性がある、故に完全に花柳病蔓延を防止しやうとすれば、之等の有毒娼妓を少くも三年以上、或る者は生涯在院せしめなければならない。然し、そういふ事をしてゐては第一楼主が黙ってゐないし、叉娼妓自身も前借金があって休業中も、元利を取立てられる関係上、一日も早く退院する事を希望し、病院側も新患者を収容する必要上、有力なる廓側の懇請のあるのを幸ひ、大概の處で見切りをつけて退院せしめるのが現在の状況である。

 かくして峻巌なるべき筈の検黴が、不完全なるものとなって病毒の蔓延を却って助長する結果となるのである。松浦博士は此の検黴制度の不徹底を嘲笑して「忌憚なくいへば現今の知識に於て及び現今の國家経済力に於て行ひ得るところの現行検黴制度は、単に外観的形式的のものに過ぎず、
それによって殆ど何等の奏効を認める事が出来ない。唯だ九牛の一毛を除くが如きもので、怜も太平洋の水に一瓶の昇汞水を入れ、依って以て太洋の海水を消毒せんとするに等しき企てヾある」と喝破してゐるほどである。

 更に検黴制度の危瞼なる事は、以上掲げた如き、その効果の薄弱なるにも拘らず、國家の名によって之を行ってゐる関係上、愚かなる男子をして、娼妓は無毒であると臆断せしめ、何等の病毒予防の用意なくして、娼妓に接し、却って病毒を受くる結果を招き易い事である。即ち、國家が無病を保証してゐると思って接した娼妓に依って、却ってを感染せしめられ、愚かなる男子をして、政府の掲ぐる「検黴済み」「無病保証」の看板に、偽りあるを思はしむるに至るのである。

 斯くの如くんば、寧ろ、検黴のない方が優ってゐる。さすれば男子は、娼妓が有毒者なりとして、最初より防備を講するだらうからである。即ち、現在の検黴制度は羊頭を掲げて狗肉を賣るに均しく、國民保健上より見るも、寧ろ危険極りなきものといはねばならない。

 既に現行検黴制度か國民保険上、信頼するに足らずとせば、此の一点を牙城と頼む公娼制度も亦何等のオーソリテーに位ゐしない訳である。況んや、公娼制度が、文明社會に許すべからざる奴隷制度であり、極端なる、搾取制度の下にあるにおいてをやである。國家は、その威信を保つためにも國家自ら此の根抵薄弱なる公娼制度及び人肉市場のパトロンたる地位から断然脱離すべきである。