賀川豊彦の畏友・村島帰之(50)−村島「賣淫論」(九)

 さて、今回も「賣淫論」のつづきで、9回目です。


      「雲の柱」昭和5年10月号(第9巻第10号)

            賣淫論(九)
                          村島帰之

     娼妓取締規則
 それが仮令自発的ではなくて、國際聯盟の婦人児童賣買禁止條約に刺戟されてした事であったにしろ、若槻内閣当時の警察部長会議において松村警保局長が、将来における廃娼断行を朧ろげながらも声明し、関係者は素より識者、不識者の間に一大センセーションを 巻き起したことは、大正末年の一大快心事として記憶さるべき事件であらう。ましてわが警察変遷史、賣淫史を編む者に取っては、看過する事の出来ない一劃期的出来事といはねばなるまい。廃娼問題に對する当局者の最近の態度を知るために、当時の事情を回顧して見ることも、強勝ち無用の業とはいへまい。

 松村警保局長の声明は各方面に反響したが中にも、最も具体的に、且つ最も敏感に感応したものは、警保局管下の各府県警察署であった。従来の警察署の態度が、娼妓の自由を擁護する事よりも、寧ろ貸座敷営業者の権利を擁護する方に厚かった事は争はれない事実である。例へば自由廃業は國法の認むる娼妓の権利であるが、多くの場合において警察署は娼妓からの廃業願出でに接しても直にはこれを受理せずして、却って楼主側に通告し娼妓の権利を蹂躙し去ったが如き、その最も顕著なる実例であった。然るに上記警保局長の声明以来、各地警察の態度は全く一変し、自由廃業の願出に接した場合の如き、少数の例外を除いては、悉くこれを受理し、娼妓をして願意を遂げしめてゐるのである。

 一体、公娼に對する政府の態度は二しかなかった。即ち根本的に公娼制度を否定し去るか、若くはこれを肯定するかであった。警保局長の発した「存娼か、廃娼か」の諮問に對して二三の警察部長は公然前者(廃娼)を主張したが他の大多数は後者(存娼)を答申した。しかし、暇令存娼を可とする者でも、現在の制度若くは取締、保護を以て十全なりとする者は一人もなかった。そこで当局は公娼制度を肯定はするが、その制度を破壊しない範園内で、より善き状態に娼妓を置くやう、制度の改善を圖らうといふ事に一致し、差当りて、
 一、現行取締規則に改正を加へるか
 二、規則の適用に手心を加へるか
 その何れを探るかといふ事が問題となった。地方長官の意見は区々であったが、大勢は後者の如き不確実なる方法に依らす、前者に依るべしといふに一致した。

 取締規則の改正は、内務省令の改正と各府県取締規則の改正の二つに分れてゐるが、省としては右の情勢に鑑み各府県をしてその地の事情に応じて府県取締規則の改正を行はしむるのみならず、明治三十三年公布の現行娼妓取締規則(省令)をも改正せんとの決意を固めたのであった。省令の改正に当って最も重要性を置かれた点は大体左の四つであった。
(一)法定年齢の引上、(二)娼妓名簿の削除(自由廃業の手績)、(三)外出の制限撤廃、(四)その他心身の自由及び経済関係の改善に闘する諸項、これである。

 法定年齢の引上は右の四項の中でも当局の最も考慮を沸ふ点である。警保局長の諮問の発せられたのと相前後して十五年四月末、京都に開れた全國貸座敷業者大會では「公娼年齢を満十六歳に引下ぐるの件」を可決してゐるが、一方一九一〇年の婦人賣買禁止條約では「何人に拘らす他人の情慾を満足せしむるため賣淫せしむる意思にて未丁年の婦娘を傭入し誘引若くは誘惑したる者は仮令本人の承諾あるも叉犯罪構成の要素たる各種の行為が他國において遂行せられたる時と雖も處罰せらるべきものとす」と決議し、叉一九二一年には右に「未丁年の婦女」とあったのを更に引上げて「満二十一歳」と改め、二十一歳未満の婦女の凡べての賣淫行為を禁止する事を約してゐる関係もあって、(日本はこれが確認を保留してはゐるが)遅かれ早かれ、娼妓年齢を二十一歳に引上げねばならぬ事情に迫られてゐるのであった。かうした事情の下にあって年齢引下か(さすがに之を主張する官史はなかったが)現状維持か、年齢引上かについては当局の議論が必ずしも一致を見はしなかった。
 引上げ説、即ち現行省令第一條に「十八歳未満の者は娼妓たることを得ず」とあるその十八歳を二十歳に改めやうとの説をなす者の意見は次の如くであった。

 現行法規の「十八歳」は國際法規の主規の主旨に違反するのみならず、判断力幼稚にして意志の薄弱なる未成年女子は不徳義なる親権者の勧誘威迫に對し抗争する能力を欠き、省令第一條の娼妓となるべき要件、即ち尊族親等の承諾の如き本人にその意志なきに拘らず、逆に尊族親叉はその他の者より脅迫承諾を強ひられて娼妓となる場合殆ど全部を占め、特に第四條第二項(未成年娼妓の名簿削除申請)の如きその親権者よりの削除申請のあり たる例なく殆ど空文に属する実情より、叉人道上の立場よりしても、強ひてこれを二十歳に引上ぐる必要あり。

 之に對して一方現行省令の儘とすべしとの説をなすものの論拠は次の如くである。

 國際法規の主旨は必ずしも之を國内における婦女買賣にまで拘束力を有するものであると解釈する必要なく、且つ娼妓の前身を調査した結果によると、私娼より娼妓に転じた者相当多数に上る実情より見て、更に之を二十歳に引上ぐる時は、より多くの者をして私娼に赴かしむる結果となる。なほ叉本人の意志によらずして娼妓となる者多きは事実とするも、中には経済的事情等より本人が娼妓たることを希望する者あり、これ等に對してその機會を制限するは自由意志を妨害するのである。

 議論の当否については茲に述べないが、國際法規さへ禁じなければ如何なる不徳を行ってもよいとし、叉希望がありさへすれば、それがどんなに危瞼な事であっても、それを阻止するのは自由意思妨害で不可であるとする議論は常識ある者の言葉とは信じられない。此の論者にとっては投身自殺を企つる者をとめる事も屹度自由意志の阻止として批難に値ひする事に違ひない。

 その二は、娼妓名簿の削除即ち自由廃業の手績に関する問題である。之は娼妓取締規則に「娼妓名簿の削除は娼妓より之を申請するものとす」とし、その手績としては「娼妓名簿削除の申請は書面叉は口頭を以てすべし」と定め、なほ「娼妓名簿削除申請に関しては何人と雖も妨害をなすことを得ず」との規定をさへ明記してあって、娼妓の廃業の自由は堂々、法によって保証せられてゐる事で、最早問題ではないのだが、これが適用に当っては、肝腎の警察当局が、兎もすれば楼主側に同情ある態度を採るため、廃業の意志の遂げられない場合が多かった。そこで警保局長の声明を機とし、娼妓名簿の削除の手績を、もっと簡易にして本人よりの申請を少しも妨害する事なくその儘受理するは勿論、更らに進んで同一戸籍内にある最近尊族親、尊族親なき時は戸主、未成年者にあっては前記の外、実父、実父なき時は実母等からの廃業申請をも受理せよとの意見、叉そこまで行かないまでも、本人の自由意思なる事が認められれば、自身が警察官署へ出頭して申請せずとも、書面申立を認めよとの意見が地方官の間から出るやうになった。尤も之に對しては反對の意見もあった。手績の簡易化に反對する者の意見は、各府県令の改正によって外出の制限が撤廃せらるれば、届出のため自身出頭する事が極めて容易となるから、現行以上に廃業手績を簡易にする必要はないといふのである。

 第三は外出制限の撒廃である。娼妓の外出については府県令をもって一々警察の許可を経る事になってゐるが、これは娼妓の自由を束縛し若くは束縛し易い傾きを持つのであるといふので、此際、省令において劃一的に外出の自由を保証する規定を設けよといふのである。叉暇令省令に規定せぬまでも府県令において一々警察の許可を要せざるものに改めねばならぬの意見が多い。

 第四はその他心身の自由及び経済関係の改善に関する項善に関する項である。これ等は多く府県の取締規則において改善せられるべきものであるが、その中最も重要なる事項は年期の統一である。娼妓の稼業年限は地方によって異ってゐて、短い處では四年、長きは七年までの年限を認めてゐるが、六七年とふいが如き長日月を籠の鳥の境涯に止めて置く事を認めるのは不穏当であるのみならす、地方の慣習によって任意の年限を定めることは取締上から見ても不便があるのでこれを統一し(一)地方命令によらす省令によって「五年」(四年説、六年説もあるが少数である)とし、事情によっては一箇年を延長し得る事に統一する事および(二)右年期の満了者は直ちに名簿より削除し、前借金の残存すると否とに拘らず再登録を許さぬ事にしやうとの意見が多くなった。

 右の如く省として全國的に受締規則を改正し娼妓の待遇を改善せんと圖ってゐる丈けでなく、各府県においては省令の改正に先立って個々に取締規則の改正を行ふ向が頗る多きを数へるに至った。

 まづ根本方針として各府県の貸座敷業を今日以上に発展せしめず、例へば火災などがあって焼失した場合なども出来るならば再建を許さず、徐ろにその自然的衰亡を待たうとしてゐるらしい口吻が各府県当局の口から漏れてゐるのを聞く。叉これを県令として発布してゐる向もあって例へば滋賀県の如き、
 一、営業の許可方針は新規営業並に営業譲渡は絶對に認めず、但実子家督相績人は相績する事を得るも、妻子にして仮想と認め得る養子縁組はこれを認めず。
といふ如き規定をしてゐるところもある。

 叉貸座敷営業そのものの制肘を加へないが、貸座貸建築の拡張に制限を加へ、既に許可した現存建築物以外の拡張を許さない處もある。宮城、滋賀県の如きがそれであって、共に此後出願の三階建の建築を許さぬのみならす、滋賀県の如きは現存する三階建築も時機を見て二階に改築すべき事を命じてゐるさへある。これ蓋し魔天閣の如き大厦高楼が櫛比してゐる場合には、恰かも山上に立てられた城の如く四方から瞥見する事が出来て、若きおのこの魂を吸引するよすがとなる危瞼を察知し、可及的に世人の視界から影をひそましむる方針に出でたものであらう。

 右はいづれも消極的に遊廓の自然的衰亡を待たうとする方策であるが、なほ更らに積極的に貸座敷業者の不正行為を発見するや、その機を逸せす断然営業取消若くは停止命令を発するところの増加して来た事は最も注目に値ひする。會議のあつた大正十五年五月三日から八月末までの間に各府県に行はれた不正営業者に對する営業取消、同停止の実例をあげると次の如くである。

 東京府=営業取消一名(貸借計算を誤魔化し之を酷使したるによる)同停止十五日一名(娼妓との契約事項不、履行組合規約の不遵守、娼妓の酷遇、不当利得などによる)同停止一名(十五日)(娼妓との契約事項不履行、組合規約の不遵守及び娼妓の酷遇、不当利得などによる)
 宮城県=検事局へ送致廿七名(仙台小田原遊廓にて呉服商と娼妓との間に立ち不当利得をなしゐたるによる)
 廣島県=営業停止十二人(七日以上百日以下)(娼妓に對し暴行及びその自由を制限しその他不当の利得等の行為ありたるによる)
 愛媛県=営業停止六人(六十日以上百五日以下)契約期間満了後、稼業を強ひ、未登録婦女に稼業せしめ、娼妓の物品購入の際、商人との間に介在して不法利得をなしたる等の事実による)
 長崎県=営業取消二人(娼妓を酷遇虐使し不当利得をなせるのみならず、寄寓娼妓を常習的に姦淫したるため)

 以上挙げた営業取消三件、営業停止約二十件及び検事局送致二十七件、いづれも不当利得、廣島の一例の如きは揚代金七圓五拾銭の規定を無視し拾圓を徴収したといふ丈けで営業を停止した。酷使、契約不履行若くは姦淫などと相当の理由が挙げられてはゐるが、若し之が数年前の事ならば多分は全然處罰せられずに済んだ事に違ひないのである。これは蓋し営業者に對する警官の態度が、警保局長の声明以来全く一変した事を物語る証拠であって、貸座敷業の衰亡を圖る、当局の積極的政策の一として数ふべきであらう。

 斯うして貸座敷営業そのものに對して現在以上に膨脹せしめないやうに制限を加へる一方において、娼妓の出願に對しては事情已むを得ざるもの以外は、これを許可しない方針をとり、反對に、娼妓廃業の申請に対しては殆ど無條件をもってこれを許可する方針をとって、娼妓そのもの数々の自然的減少を圖ってゐる事も亦た閑却する事の出来ぬ事実である。殊に面白い事は、従来廃業の目的で娼妓が足抜き逃亡を行った場合など、警察署は楼主側の依頼に依り楼主のお先棒となって逃亡娼妓の捜査を行ひ、捜索に要した費用は楼主側から支出せしめた事が多かった(その実、その捜索費は楼主側から更に逃亡娼妓の上に転嫁し彼女の借金に繰入れたものである)然るに警保局長の声明以来、各府県の態度は遽かに一変し、犯罪その他特殊の事情の伴はぬ限り、足抜娼妓の捜索を行はぬ事とした。大正十五年三月開かれた大阪府外二府三県の刑事課長會議においても「誘拐、自殺等のため保護を要する以外、楼主よりの捜索引戻願を受理せず」と申合せた事さへあるほどである。叉愛媛県の如きでは足抜後六箇月を経てなほ所在不明のものは踪失者として娼妓名簿より削除するとの規定を設けてゐる。

 自由廃業の受理の遽に激増した事は言ふまでもない。その実例は枚挙に逞のないほどであるが、警察部長會議のあった五月三日以後八月末までの四月間に各府県において娼妓名簿削除を行ひ内務省に報告して来たものとして新聞紙上に現はれたものをあげると、
 警視廳二名=(営業を取消されたる貸座敷業者)(娼妓との貸借計算を誤魔化し之を酷使したるによる方に寄寓する者にして営業者の不営利得を控除すれば借金の返済額は過剰を来すによる)
 廣島県一名=(楼主より暴行を受けたる程度最も甚だしきもの)
 愛媛県十三名=(内九名は貸座敷業者の不当利得を控除せば借金皆無となりたるによる。叉四名は不法楼主の下に稼業継続に堪へずとなし自由廃業を申請したるによる) 
 長崎県二十七名=(楼主に姦淫せられ叉は楼主の不当利得を控除すれば前借金皆無となるによる)     ’、
 宮崎県二十一名=(楼主の不当事実を示したる所、楼主もその行為を自認し娼妓と合意の上之を廃業せしむ)

 即ち五府県に亘って約七十名の娼妓名簿削除者を見た訳である。然し此處で注意を要する事は、之等の七十名の娼妓は悉くが自由廃業者ではない事である。娼妓自身に未だ廃業の意思表示がなく(希望してゐた事は勿論だらうが)況んや廃業の申請をしてゐないのに、警察当局が積極的に楼主の不正行為を指摘し楼主に対して娼妓の解放を命じたのがある。右に掲げられた長崎県の廃業者の多くは後者に属するもので、例へば十五年六月二十二日長崎町遊廓娼妓十五名が楼主に凌辱され若くは逃走期間の玉代を前借金に繰込んでゐたなどの不正事実が判明するや、警察が断然右十五名の娼妓登録を剰除した如き、叉七月十五日同県厳原遊廓の娼妓九名に對し楼主が帳簿計算に故意の誤算をしてゐた事が判明して同様の處分に附した如きがこれである。

 以上挙げたやうな営業者及娼妓に對する消極、積極の方針と並んで、営業者對娼妓の間の経済関係その他に對して積極的干渉を試みてゐる事も亦閑却する事の出来ぬ事実である。これ等は凡て各府県の貸座敷営業取締規則の改正となって現はれ十五年九月以降から績々実施を見てゐるのである。
 その第一は分配率の問題である。分配率について最も娼妓に對して親切な行届いた規定を設けてゐるのは香川県である。同県の改正規則によれば、娼妓を分って(一)純自前、
(二)半自前、(三)年期の三つとする。

(一)純自前即ち一厘の前借金もなく全く濁立して営業してゐる娼妓は指定区域内に自由に居住し、貸座敷から呼込みがあると、手数料として花代賣上げの一割五分以内を貸座敷に支払ふだけである。
(二)半自前の娼妓は年期がなく五割五分、楼主四割五分の率で花代賣上を分配する代りに、身の廻り品は娼妓の負担とし、自らの計算によって前借金をば償還せしめる。
(三)年期制は前借金に相当するだけ稼いだ後は賣上げの二割五分以上を娼妓の所得とし、その金によって何時でも自由な身になれるし、或は年期明けと共に正業につく時の資本にしても善いとの事になってゐる。
 なほ此の外別借金(前借金以外の借金)を償還するために娼妓稼業を継続する場合には賣上の七割を娼妓の所得とする事になってゐる。

 右の例は、自前制を認めて、娼妓の奴隷制度を緩和せんとした点に当局の苦心を認める事が出来る。尤も自前制は大阪府などでは早くから実施してゐるところであるが、地方においても之に倣ふて自前、半自前を作り、弊害多き年季制を漸次廃して行かうとする傾向を面白く見る。半自前になれば、娼妓と楼主が利盆を分配しなほ娼妓の必要とする小遣等を控除した残金を前借金に当てるので、腕次第では二年三年で廃業する事も出来る訳である。

 なほ自前制を設定して腕次第で早く足を洗ふ事の出来るやうにして、年期制の弊を打破しやうとするのとは反對に、年期制はこれを認めはするがその代りその年限が来れば、仮令未済金があってもその儘これを廃業せしめやうといふものが甚だ多い。(之は省令改正の項に於て述べたから此處では説明を省く)即ち腕の達者な賣ッ妓は前者の自前制によって一日も早く廃業する事が出来、叉腕のない賣ない、妓は後者の年限巌守制によって少くとも年限の延長されぬやうになる訳で、共に経済関係方面における一改善とにいふ事が出来る。叉、兵庫県などでは稼業契約期間の五分の四の期間に完済するやう方法を講するやうに慫慂してゐるほどである。即ち五年の年期なら前借の四十分の一を毎月入金させるやうにするので行届いた事といはねばならぬ。

 なほ右のやうな細別は置かず、頭から稼高歩合制を設けた處や、純益折半と定めた處などもあるが、少くとも従前に比し花代分配率を娼妓側に厚くした事は各府県共に例外なくこれを認める事が出来る。一例を挙げると宮城県の如きは、従来娼妓三分五厘、楼主六分五厘であつたのを、娼妓七分三厘、楼主二分七厘と改めた。叉、分配率の変更を行ふと同時に、一方種々の費用を楼主側の負担とする事に変更を命じてゐる向も亦少くない。例へば山口県が楼主八分、娼妓二分とする代り、営業上一切の費用、諸税、室道具、結髪賃その他雑費一切を楼主負担としたのなどがある。然しこれは兵庫県が娼妓四分、棲主六分とし、楼主側において部屋、道具、布団、衣類、食料、化粧品などを楼主持とせんとするに比すれば遥かに劣ってゐる。いづれにしても娼妓の分配率を増加したり、費用の負担を楼主に稼したりして、可憐な娼奴が一日も早く足を洗ふ事の出来るやうにしてゐるのである。

 次は年季の制限で、これは前記省令改正案の中にも記しておいたが、地方の規則でこれを規定してゐる向が甚だ多く、山口、愛媛、福岡などでは四年、宮城、千葉、兵庫、滋賀、奈良、鳥取等では五年を超ゆべからずとし、已むを得ざる場合に限って一年を延長し得る事としてゐる向もある。そして満期廃業後は再許可をしないといふ規定を置く處も多い。なほ此外、娼妓の負担を軽減するやうに改正したものとしては、
 娼妓の外出の場合ご従来は必ず仲居を附添はせ、その費用を娼妓の負担としてゐたのを禁じた事(福岡)
 同上の場合その他凡べての場合に仲居に對して心付を与へてゐたのを禁じた事(山口)
 心付禁止を徹底せしむる為め仲居を有給制とせよと命じた事(愛媛)
 男衆(送り込み娼妓の送迎者)の廃止を予告した事(大阪)
 遊興費不払のあった場合、娼妓の負担としてゐたのを禁止した事(福岡)
 花柳病で休業中の費用は楼主と娼妓が各半額負担する事(福岡)
同上楼主六分、娼妓四分(紀州串本)
同上楼主の全額負担(呉)
 娼妓の買物の場合、楼主が口銭をれる事を禁止(福岡、宮城)
 紋日の總仕舞による娼妓の自前花禁止(西宮)
などを挙げる事が出来る。叉廃業の際の慰労として、
 満期廃業の場合に賣上として五十圓を楼主より支給せしめる事(滋賀、奈良)
 同上の場合満一箇年毎に区切り一箇年に對し金貳拾圓を呉ふる事(呉)
などといふ規定を置いてゐる處もある。

 娼妓制度の謬ってゐる事は種々の方面から論ぜられるが、一番の眼目はそれが娼妓に對する搾取と強制労働を行ってゐる点である。即ち娼妓制度が奴隷制度である点である。今回の内務省の改善案(未だ具体的には公表されはしないが)及び各府県の改善方法が此の搾取に對して上記のやうに緩和策を講じてゐるのは悦ぶべき事といはねばならい。

 各府県の娼妓制度改善は、経済的方面から更らに心理的方面に延びて強制労働その他に對して緩和の方法を講じてゐるが、その中でも当局の最も力瘤を入れてゐるのは、従来、娼妓の心身上に行はれてゐた圧制に對してであった。

 心身の自由を保証するために改善されたものとしてはまづ第一に張見世の廃止、妊娠時の休養、公休日、仕舞時間の設定等をあげる事が出来る。

 張見世の禁止は主なる地方では既に十数年若しくは数年前から行ってゐるが、辺僻な地方では未だ之を禁止してゐない處がある。現に呉、熊本においては漸く大正十五年になって始めて之を禁止したほどである。今回は恐らくこれが全国に徹底する事だろうと思はれる。

 妊娠娼妓に対する保護は之れ亦主なる地方では之を実行してゐるが、未だ之を行ってゐない地方では今回を期してこれを実施した。即ち産前五箇月、産後二筒月の愛媛を最長として、前三箇月、後二箇月の福岡、前二箇月、後二箇月の山口、前二箇月、後一箇月半の鳥取、前三箇月、後一箇月の島根といふ如く、大体において前後四五箇月の休養を命じ、その期間は年期中に繰入れる事としてゐる。なほ生児の養育費も稼業期間は楼主に負担を命じてゐる處(山口)もあれば、流産の場合も同様たるべしと親切に但書を附してゐるところもある(愛媛)。

 公休日は月一回といふ處が多いが、香川の如きは月三日、但し二日は月経時と規定し、三日の公休日は昼夜とも休ましめよと命じてゐる。

 外出制限撤廃は、之も省令に規定されさうな模様だが、府県において率先してこれを実施してゐる向が少くない。即ち多くの府県では日出より日没までの外出を原則として許し、只だ學校、宿屋、待合、料理屋、周旋屋に立入る事だけを禁じてゐる。なほ少し制限の加ったものとしては十町以内と限ったものや、所在地市町村内と限ったものもある。しかし、いづれにしても従来の「籠の鳥」の晒習を破って、自由外出を許した事は、之れ亦一大進歩といはねばならない。

 なほ此外、心身の自由を確保し若くはその労働条件を改善したものを挙げると次の如きものがある。

 一、娼妓の尊族親死亡の際、娼妓に帰郷の意志ある場合は阻止すべからず、五日間の忌引日数を輿へこの日敷は年期に加算する(呉)
 一、面會人のあった際は、稼業中なると否とを問はず、自由に面会を許す事(呉)
 一、山入れ時間は午前二時とす(呉)
 一、文書の秘密を厳重に守らしむる事(香川)
 一、見世類似の溜場に座してゐる事を禁止す(香川)
 一、客を選択する権利を与へる(宮城、香川)
 一、稼業許可の場合には費途明細書を添付せしむ(鳥取
 一、強制鞍替を禁ず(宮城)

 右に掲げたものの外、各府県の改正取締規則を詳細に見るならば、多くの改善の跡を見る事が出来るだらうが、此處には主として各地の新聞に掲載せられたものについて分類研究を試みたのに過ぎないので研究の不十分である事は言ふまでもない。然し、従来は楼主側の味方の如く評せられ、叉事実、さういふ誤解を招き易い態度に出る事が多かった警察が、全く掌をかへすが如き方面転換を行って、娼妓に對して温い手を延べてゐる事は、以上にあげた不完全な研究においても、十分に看取する事が出来るであらう事を信する。

 凡べては時勢の力だ。その時勢の帰趨を察知し、勇敢に方面転換を行った警察に対しては、我等は言ふべからざる親愛と敬意を持つものである。然し、之れで娼妓が全然救はれたといふのではない。公娼制度の巌存する限り、娼妓は永久に完全に救はれるといふ事はない。之等の改善は、要するに「籠の烏」の娼妓のその籠の廣さを何メートルか拡大し、その餌を梢々多く与へる事としたといふに過ぎない。籠の鳥は矢張り依然として「籠の烏」である。真に娼妓を救ひ出さうとするには、その籠を打破してこれを解放する事でなければならない。時勢を知る明のあった当局は、百尺竿頭更に一歩を進めて、「籠の鳥」解放まで進むべきではあるまいか。