賀川豊彦の畏友・村島帰之(47)−村島「賣淫論」(六)

 前回の続きで「賣淫論」の第6回です。


      「雲の柱」昭和5年6月号(第9巻第6号)

             賣淫論(六)
                         村島帰之

    身代金制度
 身代とは「身を賣った代金」の謂で、人身賣買の名である。身賣は今日許されてゐない。それと表向の称呼は「前借金」といってはゐるが、実際に於て、「前借金」といふよりは身代金の本質を備へてゐる事は以下記す處の事実で知る事が出来やう。
 まづ娼妓と楼主との間に交はされる、前借に関する公正証書を見やう。

 金銭消費貸借証書
 本職は各嘱托人より廳取したる法律行為に関する陳述の趣旨を左に記載す。
第一條―一年−−月――日何某は金―−圓也を貸渡し何某は左の約定により連帯し之を借受けたり。
 一、元金は年――月――日限り返済する事。
 二、利息は年一割と定め元金と同時に支払ふこと。
 三、期限後と雖も債務完済に至るまでは約定利率に準じ損害を賠償すること。
第二條 債務者は本契約に依る金銭を辨済せざるときは直に強制執行を受くべき事を認諾したり(以下略)

 これ丈けならば「強制執行」の認諾を定めた以外は、普通一般の貸借関係と少しも異るところがない。然るに、楼主は必ずこれと同時に別箇の証書を作成して、娼妓稼業に関する細則を契約する。ここが一般の前借関係と全く異なる点である。左に契約書の雛形を示さう。
   (中央職業紹介所の「蔡娼妓酌婦紹介業に関する調査」による)

 契約書
 自分儀貴殿方に於て娼妓稼業をなすにつき左の契約を締結す。
第一條 自分は娼妓名簿に登録したる日より起算し満六箇年間貴殿方に寄寓し貴殿の指揮監督に従ひ娼妓稼業に従事すべし。          
第二條 自分は貴殿より金貳千四百圓を借受けたり。
第三條 前條の借用金は娼妓稼業による所得を以て順次辨済すべし。
 此の玉代(揚代金)一個につき金貳圓也、内訳金壹圓貳拾銭を貴殿の所得とし残額金八拾銭を自分の所得とし、其の内金五拾銭を以て借用金の辨済に充て金參拾銭を小遣いとなすものとす。        ・
第四條 第二條借用金の外臨時借用金若くは貴殿の立替金等生じたるときは同條借用金に先だち前條但書に準じ辨済すべし。
第五條 普通食費及び座敷備品は貴殿の負担とし自分身仕立に関する四季の衣類具他の必要品は自己の負担とす。
第六條 自分疾病のため吉原病院以外に於て治療を受けたるときは其の費用は自分の負担とす。
第七條 自分の所有に属する一切の動産は之を借用金の担保に提供し自分の自由に處置することを得ざるものとす。
第八條 貴殿に於て貸座敷業を他人に譲渡したるとき其他他家に稼替を要する事由生じたるときは貴殿の指揮に従ひ自分は勿論連帯保証人に於ても一切異議を申出ざるものとす。
第九條 連帯保証人は本人の逃亡したる場合に於て直に捜索し復業せしむべく自分は逃亡日数を契約期間外に延長すべき事を認諾す。
第十條 連帯保証人は本人死亡したる場合に於て引取葬儀の手続きなすものとす。
 但し前項の義務履行を遅延したるときは貴殿に於て適宜手続を了し其の費用は連帯保証人に於て負担するものとす。
第十一條 本契約に違背したるときは之に由り生じたる一切の損害を辨償する責に任ず。第七條の動産は貴殿に於て任意に處分し損害の全部若しくは一部に充当せらるることを認諾す。
 契約期間内に債務を辨済し能はざる場合も亦同じ。(以下略)

 まづ第一條を見よ。娼妓は名簿登録の日から起算して数年間といふものを楼主の家に寄寓せねばならぬではないか。即ち「居住の自由」を喪うてゐる。その上に「貴殿の指輝監督」に従って「娼妓稼業に従事」しなければならぬとされてゐる。
 借財をなす場合、返済金に充つる財源を予め約束して置く事は世間に例の多いことではある。然し一定期間、居住の自由を拘束し剰へ、娼妓稼ぎを強制せしむる権能を附与するが如きは、畢竟、楼主が前貸金額辨済に相当する一定期間、娼妓を買入れてその労務を強制するに等しいもので、昔時の身育り制度と少しも変わる所がない。

 楼主はかうして娼妓に對する強制労働の権能を取得するのみならす、第三條において娼妓の労働の果実の分配に当っての優先権を規定し、第四條以下においてあらゆる危険の負担から免れ得るやう、萬遺漏なき規定をしてゐる。逃亡の場合の規定の如きは、明らかに人身賣買的事実を裏書するものである。我等がこれを単なる「前借金」と呼ばずして、依然たる「身代金」であるといふ所以は実に此處に存する。

 然らば娼妓たちが、その身心の自由の殆ど全部を捧げて借り得た身代金の額は一体どの位に上るのであらうか。大正十四年、東京警視廳の調べでは、娼妓の前借金一人当り平均壹千拾八圓参拾壹銭、又同年、中央職業紹介所の調べでは壹千貳百貳拾貳円拾五銭である。これを明治十年頃の四拾圓、二十年当時の七拾五圓、四十五年頃の貳百七拾圓、大正七年当時の七百圓に比すれば可成りの増加ではあるが、これが数年に亘る身心の自由を担保として借りた金としては、決して多いものとは言へぬであらう。

 ところで、この壹千圓なにがしの借金をしたことによつて、彼女たちは一体何年間の奴隷生活を余儀なくされるかといふに、まづ六年は辛抱しなければならない。今、中央職業紹介所の調査の中から、前借金八百圓乃至壹千五百圓までの者(全娼妓の六割を占む)の契約年季を表示して見る。

  年期別    八百円以上   千円以上    千五百円以上
  一年      −       −        1
  二年       7      2        4
  三年       29      28        12
  四年       55      52        37
  五年       93      97        76
  六年      616      1010       877
  七年       1      6        2
   計      801      1195       1009 

 八百圓借りて六箇年の強制労働に服するとせば、一箇月当りは拾壹圓にしかすぎない。これでは女中さんの給料にも劣るではないか。況んや、これは給料として全部貰ひ受けるのではなく、食費、室代を支払ひ、剰へ二割五分若しくはそれに近い利息を支沸ふにおいてをや。
 然しこの短かからぬ契約年期が来れば、彼女達は完全に解放されるのかといふに、然うではない。

 前記娼妓契約書にある通り、娼妓は自己の取得金の中から前借金の利子と、食費室代等を楼主に納めなければならないが、客の少い場合、又は病気になった場合と雖も何等斟酌はない。だから、病身な妓や、流行妓でない妓は、兎もすれば支出が収入を超える。さうした場合、彼女達は楼主から追借をするより他に金融の道はない。草間東京市政令局嘱託の調査(大正十五年)によれば、東京の娼妓五千百五十二人中、前借以外追借金を負ふ者は四千二百十五人、即ち、全数の八割一分の多きに達してゐる。かうして追借をした結果はいふまでもなく、年期の延長となって、最初の契約年限の六年目が来ても、強制労働の笞の下を遁れることが出来ない。

 これは梢々奮聞に属するが、救世軍が発表した處によれぱ、大正七年までに救世軍に於て取扱った自由廃業娼妓百五十名。その中八十名は、自分の前借金がどうなってゐるか皆目知らなかったが、残りの七十人について調べて見ると、前借金は最高八百五拾圓、最低百圓、平均參百參拾七円七拾四銭であった。そしてこれ等の娼妓はその日までに平均二年八箇月宛娼妓稼ぎをしてゐたのだが、その間に一体幾許の前借を払ひ得たかといふに、七十人分合計金參百貳拾八圓五拾五銭、一人前に平均すれば僅かに金四圓六拾九銭参厘宛となった。即ち七十人の娼妓は平均二年八箇月の稼ぎに依って金四圓六拾九銭參厘しか借金を返して居ないのである。試みに之を一年に割宛てれば金壹圓七拾五銭九厘、一箇月に割当てれば金拾四銭六厘六毛、一日に割当ふてれば実に四厘九毛弱といふ計算になる。
         (以下は同軍山室軍平氏の言葉を引用する)

 「言ふまでもなく之を貸座敷業の校猪手段で、勝手な勘定を作って無智の婦人を欺き、幾許でも借金を買はせて、健康の続く限り外に出られぬやうに仕向けた詐欺仕打に外ならない。今日労働賃銀の騰貴した時代に、若い婦人が妻たるの名誉を失ひ、母たるの特権を奪はれ、彼麼みじめな員似をして夫れで一日食うた外に四厘九毛しか義務償却の出来ぬといふ如き無法極まる話が何處にあらうか。七十人の娼妓が一日平均の義務償却金はたった四厘九毛といふ事になってぬる。その四厘九毛で若し残忍なる貸座敷業者の云ふ通り、正直に彼等の前借金平均參百參拾七圓七拾四銭を払うたとすれば、いつそれが全部支沸へるかといふと、実に百八十八年十箇月六日宛かかるのである。」

 參百圓の前借金を皆済するに百八十八年を要するとは嘘のやうな真実である。
 尤も右の自由廃業娼妓は、どちらかと云へば借金関係の状況が不利にある者であって、これを以て全般を律し得ないが、更に最近前記草間嘱託が東京吉原の遊廓について、廃業娼妓の借金償却状況を調べたところによると、多少でも減って行ってゐるのはよい方で、働いて却って借金の殖えたものさへあるのである。

 先づ多少乍ら月々借金の減ってゐる分をあげると、次表の如く、月々の借金の減額は最高八円、最低四拾八銭といふみじめさである。今日、どんなに賃銭の少い職業であっても、一月拾圓とは下らぬであらうが、これが女性として何よりも尊い貞操を賣って得た相当な價なのだらうか。

前借金 稼業日数  稼業の償却高 廃業当時の債務額 一カ月平均減額
150円   45月   22円50銭    127円50銭      50銭
180円   5月    30円       150円       6円
450円   20月    20円      439円90銭     1円
850円   43月    300円      550円       7円
260円   20月    50円      210円      2円50銭
230円   25月    12円      218円       48銭
1000円  18月    315円      685円      8円28銭

 而し減って行くものはまだよい。働いて却って借金の増した例のあるのには驚かざるを得ない。

前借金   稼業日数   廃業当時の債務   稼業1月平均の借金
265年    54月     400円        2円50銭
250円    35月     350円        3円
250円    16月     275円        1円56銭
320円    18月     465円        8円5銭
190円    47月     600円        8円18銭
550円    55月    1000円        8円18銭
650円    34月    1000円        11円29銭

 第一例の如きは五年の久しきに亘って稼業し乍ら、五年目には借財が五割以上増してゐるのであった。そして此の七人の娼妓は廃業の日まで稼業してゐながら、毎月貳圓乃至拾圓の借金を増して行つてゐた勘定である。これでは生涯苦界を脱する事は出来ぬであらう。屈辱的な労働はする、借金の高利は払ふ。それでなほ借金が殖えるといふのだから、何をしてゐるのか訳がわからぬといふものである。
 尤も中には嫖客に落籍される者もないではないが、それは百人に二人ぐらゐしかない。東京深川洲崎遊廓での調査に見ると、同遊廓娼妓千六百人中、大正十四年中に廃業したものは三百二十人を数へるが、その中の百十三人即ち三割五分までは他に鞍替したもので、完全に泥水稼業から足を洗ったものは残りの百七人にすきない。そしてその中の九十六人はなほ残りの借財があるが、貰ひ受けて引いたもの三十八人は自分の稼高で前借金を償却したもの、そして二十八人が客の身受けしたもの、二十四人が前借未済の儘廃業したもの、二十一人が親元の身受けで廃業したものであった。

 近時、楼主側も時勢の進運に件ひ、年期満了と同時に、残借の有無に拘らずこれを解放する向も殖えて来た。前記の統計にもそれが現れてゐる。
 然し、仮令、年期満了と共に解放されるとしてもそれまでの永い月日を、心身の自由を剥脱されてゐる点は、昔日の身賣り時代と変らない。
 なるほど、近時娼妓の待遇は改善されて来た。外出の制限も緩和された。然し、それは籠の廣さが梢廣まつたと云ふだけで、自由を緊縛された籠の鳥の境涯には少しの変りもない。「身代金」にくくられて、奴隷生活を営んでゐる点は同一である。

 明治五年十月の娼妓解放令は、たゞ名許りであった。今日こそは公娼制度の禍根をなす處の身代金の仮面ひんむいて、名実共なる解放を断行すべき日ではあるまいか。