賀川豊彦の畏友・村島帰之(43)−村島「賣淫論(二)」

前回に続き「賣淫論」(二)を「雲の柱」昭和5年2月号(第9巻第2号)より取り出しておきます。数字のところがうまく整いませんが悪しからず。


         賣 淫 論(二)
                         村島帰之

    娼婦となる原因

 ロムブロゾーは「娼婦は娼婦の原形的特徴を持って生れて来る。そしてそれは同時に堕落の肉体的基礎を持つ」といって娼婦になる女が先天的に程々の欠陥を持って生れて来てゐる事を挙げてゐる。即ち顱頂骨の左右不均斉とか、中央後頭窩とか或は頸の太いこと、腕の発達せること、腰筋の特異に発達せること、口唇の厚くなってゐること、生殖器の変化せること、或は痛覚脱失症といって痛覚神経の末梢の欠乏してゐるなどの変質を持った女性が娼婦になるといふのだ。然しこれ等の先天的変質の持主が悉く娼婦になってゐるかといふに決してそうではなく、叉これ等の先天的変質を認めないもので娼婦になる者も少くない。叉その所謂変質なるものも先天的でなく、後天的に来るものもある。即ち永年の娼婦生活の結果、一種の退化作用によって変質となるものもある事は争はれない事実である。例へば飲酒の習癖が彼女の声を男の如くし、安價な化粧水や油のために髪が薄くなり、客の物色や警官の恐怖から眼光が鋭くなるなど長期に亘る娼婦生活が彼女をしてそうした変質を持つに至らしめるが如きこれである。
 ロムブロゾーの説は右の如く絶対的のものとはいへぬとしても、少くとも娼婦の一素質としてこれある事を認めなければならない。ローマ時代に貴族の夫人はその淫蕩なる生活をつづける結果、姦通罪を構成するに至るを怖れて自ら娼婦として登録したが如き、叉わが國において先年麹町の一會社員の妻が或る子爵議員及び待合と結托して自ら進んで賣淫したといふが如き、いづれも原形的変質の所持者と見るより外に説明のしやうのないものである。
 然し原形的特徴を娼婦の一素質として認めるとしてもこれが娼婦を作る唯一の原因でない事は言ふまでもない。それは間接の原囚、若くは素囚とでもいふべきもので最大の原因ではない。娼婦堕落の最大且つ直接の原因は変質といふが如き先天的のものではなく、後天的な下に述ぶる知き社會的、経済的の原因、換言すれば環境から来るものである事は疑ふ余地のない事実である。現に有産階級の子女の中にはロムブロゾーの指摘するが如き先天的変質者も少くはないと信ぜらるるにも拘らず、此の種出身者の娼婦の頗る寥々たるは、全く環境が彼女の堕落を防止したが為といはねばならない。叉之と反對に、何等先天的変質を有せざる女性にして、娼婦の群に堕ちる者の甚だ多いのは、畢竟経済的、社会的原因が先天的原因よりも有力であっで、何等変質を有せざる者をも押し倒して行くからと見ねばならない。いづれにせよ、娼婦の存在は現行社会制度の上に生えた腫物であるといっても過言でないほど、社會的経済的原因に根ざす處が多い事は今更呶々するまでもない。
 即ち娼婦が、娼婦になるのは先天的原因よりして自ら娼婦たるを翹望してなるのではなく、経済的事情から、娼婦とならねばたらなくなって、娼婦となるのである。
She wanstでなくshe mustである。娼婦の大部分が無産階級の子女である事は、何よりの証拠である。若し彼女にして富裕の家に生れてゐたら、何も好んで淪落の淵に沈まうぞ。
 一九〇四年に瑞典ストックホルムで娼婦二千三百名について調べた所によると、百七十四名の小地主の娘、四十二名の小商人の娘、十四名の官公史の娘を除き、千八百七十三名(八割九分)は悉く労働者の娘であったといふ。そして彼女自身も亦労働者であった事は無論である。叉一九〇九年伯林で登録された娼婦一千二百名に見ても四百三十一名は元下女、四百四十五名は女工、四百七十九名は元縫職、叉は洗濯女、百四十五名は無職であった。叉一九一一年ミュンヘンで登録した娼婦七十三名に見ても五十二名が元女給、二十八名が元女中、二十九名が元女工、十五名が元縫職であった。即ち彼女達の前身は、女中――女給――女工――洗濯女などであったのである。叉これをわが國の密娼統計に見ても同様である。まづ代表的密娼地区として大阪及び東京について見やう。明治四十四年から大正五年までに大阪府下の警察に検挙された密娼三千三百十三人の前身は

      実数   比率            実数   比率    
女  工  1519  45・38     飲食店女中  158   4・78
仲居酌婦   142 4・29    娼 妓 52 1・54
芸  妓  ― 1・24     遊芸人      5 0・15
其の他   1397  42・29      計     3313  100・00

即ち元女工の四割が最も多く、これに次いでは料理屋、飲食店、待合の女中、仲居酌婦、娼妓、芸妓の順序である。
 叉最近東京玉の井新地六百五十三人についての調べでは、彼女達の前身は、

        実数   比率          実数   比率
飲食店女中   225   3・45   農      111    1・70
女   工   102   1・56   料理店女中  83    1・20
待合女中    16   0・25    芸妓    16    0・25
宿屋女中    13   0・20   娼妓      9    0・14
裁  縫     7   0・10    飲食店業   5    0・09
その他     −   −      計    653    100・00

 即ち飲食店女中の三割五分を筆頭に農(百姓の娘)、女工、料理店、待合、宿屋の女中、芸娼妓といった順序である。飲食店女中、酌婦仲居、料理店、待合、宿屋の女中はその職業が既に娼婦に近いものである。特に近時急激に附加して来たカフェーの女給の如きは(上掲飲食店女中の一部をなす)全く密娼である。故に厳密なる意味での「私娼の前身」といふのは、彼女達が女給となり、酌婦仲居となり、水商賣の家の女中となるその前の職業でなければならないのだ。大正三年の頃、東京浅草公園の私娼が跋扈し、その数二千と称せられた時、その中の千二百人について前職を調べた處ではその中、六百二十五人、即ち五割強は「家事に従事」といふ事であった。彼等の教育程度が四百九人(三割)は無學、五百七十五人(五割)は尋常卒業叉ば修業であった点から考へて、貧家の娘である事は疑ひなく、従って家事に従事といふのは、子守か百姓の手傅かの類に違ひない。彼女達はその家事手傅の興味なき余り、娼婦生活の屈辱を顧みる余地なく表面的の安逸と美装に眩惑されて誘はるる儘に娼婦の群に堕ちたのであらう。
 上記の統計殊に大阪の密娼には女工出身が多い。これは大阪が工業の淵叢であり、特に女工手を必要とする繊維工業の発達せる結果に外ならない。それにしても尊き生産に従事する女工の出身者に娼婦の多いのは何故であるか。言ふまでもない。總ゆる職業の中でも之等の職業の賃銀が最も安く、その上、その仕事が最も不愉快だからである。即ち自由のない事、娯楽のない事、働く時間の長い事、社会的位置の低い事等労働條作は最劣悪である。之に反し賣淫は表面だけではあるが余裕もあって、美しい着類を着、うまいものを食べる事も出来る。殊に美しい着物の着られる事は教育の低い女性にとっては何よりの魅力であり、喜びでなければならない。或る心理學者の実験報告によれば、女は男よりも七倍美服をほしがるといふ。梢々眉目美しい容貌を持ってゐる貧家の娘が、その容貌を持ってゐる貧家の娘が、その美を引立てる美服を欲しがるのに何の不思議があらう。細民小學校の女生徒に大きくなったら何になると訊いた時、「芸者になる」「おやまになる」と即答したものが多かったのも、畢竟、細民窟出身の娼婦が時に美服をまとうて我家を訪れて来るのを瞥見し、近所の人々から羨望の眼を以て迎へられるのを目賭して、自らも亦たその如あり度いと願ふからである。そうした考に誤算はあるにしても、そう考へる事には無理もない。娼婦を紹介するのを業とする女衒の常套語に曰く「ボロを着て青息吐息で暮すのも一生、絹布を纒えて面白笑可しく送るのも同じ一生ではありませんか」とこの甘言に欺かれざる女性は果して幾人あらう。しかもこの娼婦に支払はるる對價は婦人向の何れの仕事よりも報酬が高い。或學者は収入らしき収入のある女子職業は賣淫のみである。とさへ云った。それほど賣淫は割が善い(と云ふよりも他の女子労働に支払はるる所が少な過ぎるのだ。)殊に一般の職業は相当期間、或は看護衛を、或はタイプライター術を或は簿記を學んだ上でなければ直ちに現金の報酬を受ける事は困難である。然るに賣淫は何等の準備、練習、経験もなくして即刻対價を受ける事が出来る。否経験のない年若い娘ほど高く價値づけられ歓迎せられるのである。加之窮乏の場合、何時でも之に従事して即刻報酬を取得する事が出来る。之れ女子をして競ふて賣淫に走らしめる所以である。
 マイナー女史の記す處によると、工場にゐた頃は一週四弗五十仙しか稼げなかった女が賣淫を業とするやうになってからは土曜日の晩一夜だけで、三十弗から四十弗(一週にすれば二百弗以上)をとり叉活動寫真館の歌手として一週六弗貰ってゐた女が、娼婦になって一週百五十弗を稼ぐといふ。即ち前者は五十倍、後者は以前に比して二十五倍の収入である。之れでは正業を棄てて賣淫に走ることが寧ろ当然である。
 要するに女子職業としての賣淫は窮迫せる女子にとって最も魅力を持つものである事は争ふべからざる事実である。然し此の魅力は啻だに若い女子のみならす、その女子の父兄にまで及ぶ事が多い。特にわが國の如く家族制度が確立してゐて、子はその親の所有物であるが如き観念の行はれる國にあっては、屡々娘は親のためにその意志に反して貞操を売らせられる。特に公娼制度が確立し、前借金制度が行はれて、庶民金融機闘として機能を発揮してゐるわが國にあっては、そこに大きな搾取制度、奴隷制度の穽があるとも知らず、一時の金融に前後の見さかへもなく、親は大切なその娘を売るのだ。勿論本人が飽くまで之を肯んじない場合は仮令親と雖も強請する事は出来憎いが、困った事にはわが國の無智な娘たちは、芝居や浄瑠璃や講談で自らの身を売り、親の薬餌の料を支辨したなどといふ昔がたり――それも誇張され、美化されたロマンスを無條件に受け容れて、これを親孝行の最大なるものの如く考へてゐるため、親から苦界へ身を売るやうに云はれれば、殉教的考へから二つ返事で自らを人身供養とする事に決意する者が今日なほ甚だ少くない。即ちこうした心理的原因が上記の経済的原因に加勢して、無垢の處女を淪落の淵へ突き落したものとかいふ事が出来る。殊に忠臣戴のおかるの身責りのロマンスの如きは古来如何に多くの可憐な日本娘を苦界へ送り出すのを扶助したか測り知れぬであらう。
 一つ……人も知ったる大阪の、處は難波の病院で、二つ…両親揃うてありながら、おそばで養生も出来ませぬ。
 三つ……皆さん私の振を見て可哀やいとしと申します。
 四つ……よもや之ほど長いとは、私も夢さら知らなんだ。
 五つ……いつも治療に上りても、全快する期は更に無し。
 六つ……無理なおかみの仰せには、こんな病院建ち上り
 七つ……長い廊下も血の涙、こぼし歩くも親のため。
 八つ……山家育ちの私でも、こんな病院恋しうないo
 九つ……島田に結ふ髪を病院内では乱れ髪。

 これは今を去る十数年前、遊蕩児の悪性黴毒に感染して難波病院に収容された友菊と呼ぶ娼妓が自殺する際に遺して行った哀歌である。「長い廊下も血の涙滾し歩くも親のため」――何と云ふ悲痛な叫びであらう。謬れる孝道から心にもない稼業に従ひ、末は遂ひに冷たい駆黴院のベッドの上に病苦に泣かねばならなくなった可憐な人の娘の姿がマザマザと思ひ浮かぶではないか。
 勿論、如何に謬れる孝道に浸酔してゐるとはいっても窮迫せる事情のない家庭の子女が進んでその身を売らう筈はなく、叉如何に無情にして無智な親と雖も、その愛娘を強いて野獣人の人身供養にのぼせやうとはしないであらう。生活の脅威遂に如何ともし難きに至って始めて涙をのんで娘を金に代え、娘自らも亦已まれぬ事情ゆゑとして血涙を呑み、眼を瞑って身を其處に沈めるのである。娼妓になったと云ふよりも彼等は娼妓にならざるを得なかったのである。
 大阪難波病院で取扱った娼妓志願者八百九人に就て娼妓となるに至った原因を調べた結果を見ても、

一 家の貧を救ふため    364人
(イ)借財を払ふため    163
    祖父の借財   2   父の借財  48
    母の借財    6   兄の借財  5
    養子の借財   1   家屋の抵当を償ふため  1
    単に家の借財といふもの   100
(ロ)家計困難のため   201
    不景気     2    不作      1
    水火災     9    その他    189
二 父母同胞の死亡若しくは病のため   160
    父母死亡    2      父死亡    12
    母死亡     8      姉死亡    2
    父母病ひ    2      父病ひ    78
    母病ひ     42     兄病ひ    8
    父兄共に病ひ  3      父弟共に病ひ  2
    姉病ひ     2      弟病ひ    2
    妹病ひ     2
三 父母同胞等を保育救助するため    86
    父母を養ふ   9      父を養ふ    27
    母を養ふ    23      兄を養ふ   2
    母と妹を養ふ  2      弟妹を養ふ  12
    同胞の学資を要す   6    姉を救ふ   3
    父母の冤罪に対し裁判費用を要す  1
    恩師を救済せんとす   1
四 家の零落を救ふため    35
   (イ)商業失敗のため   41
      父の失敗    18      母の失敗    1
      兄の失敗    4   その人を判明せざるもの  18
   (ロ)商業の資本を得るため   14
五 自己の借金を整理するため   101
   芸妓中の借財    28      酌婦中の借財    55
   宿屋奉公中の借財   3     病気中の借財    12
   不明       3
六 分娩並びに育児の費用を要するため    29
   分娩時の入費    3     子の教育のため   1
   子の養育のため   25
七 本人の希望と称するもの    4
八 父母の勧めに依る外何等の理由を知らざるもの   10
    合計       809
              (上村行彰氏著「賣られ行く女」)
 
即ち娼妓となるに至った原因は、家の貧を救ふにあったものが最も多く、全員の四割四分を占め、父母同胞の死亡若しくは疾病に依るもの、之に次で約二割を占めてゐる。而して右の八百九名の志願者を通じ、本人の希望に依ると称するもの(之は甚だ疑はしいが姑く信を置くとして)四名を除いて他の八百即ち九割九分までは之を要するに生活難のためにその意志に反して苦界に身を沈めたものである。借財、家計困難、病気、死亡、失敗などに依る生活上の圧迫がなかったら、何を好んで娼妓となる者があらう。
 娼妓になる女の前職は前記密娼の前職と大同小異で、前記大阪府下での調査では一番多いのは、家庭にあって家事手傅をしてゐた者で、總員の三割を占め、之に次では下女をしてゐた者、及び酌婦仲居をしてゐた者が何れも總員の一割七分宛を示してゐる。叉女工から娼妓となった者も少くなく、一割一分を占め、これに続いては芸妓をしてゐたもの、内職をしてゐた者などといふ順序である。叉東京府下での調べでは約五千の娼妓の三割は料理屋の女中、一割七分は娼妓、即ち二度の勤めに出づるもの、一割一分は家事手傅、九分八厘は女工といふ順序である。土地によって多少の差はあるが、要するに家事手傅、料理屋の女中が最も多く、これに次ぐものは下女、女工等で二度の稼ぎに出るものも亦た少からざるを見るのである。此處に娼妓志願者の多数を占むる料理屋の女中といふのは、名は女中であっても、事実は私娼であるところの酌婦、仲居であることはいふまでもない。一足飛びに娼妓となる勇気のない者がまづ手続きの簡単なる酌婦となり、借金が殖えて首の廻らなくなるに及んで遂に娼妓となるのである。叉中には娼妓に売りたいが年齢の制限の存するために暫時酌婦として置いて法定娼妓年齢の満十八歳となるを待って改めて娼妓に売る親もある。此の事実は十八歳で娼妓を志願する酌婦出身者の甚だ多いのを見ても判明するところである。
 既に生活難から、已むに已まれずして、娼妓となるのだから、その生家が素より富裕であるべき道理はない。尤も以前は盛んであったが途中で失敗したといふものもあるが少くもその当時においては凡べて貧困であった事は勿論である。之を彼等の生家の職業に見ると一目瞭然である。

     娼妓生家一覧表
一 農業           1285
  内  農夫  1243   植木職   34   養鶏業  5
     その他    ―
二 商業          964
  内  青物商  137   魚屋   89    古物商   85
     菓子屋  75   飲食店   57   店員    28
     豆腐屋  23   材木商   17   小間物商   17
     旅人宿  17   仲買人   17   乾物商    17
     料理店   14    その他   −
三 工業         929
  内  大工   169   裁縫   105   鍛冶屋    75
     理髪業  43   左官    33   木?    28
     桶職   26   指物師   24   石工    22
     紺屋   19   髪結    14   屋根職   13
     錻力職  13   その他   ―
四 労働者        641
  内  日雇   195   車夫   108   仲仕    85
     手伝   60   小使    38   工夫    24
     下女   11   荷馬車挽  11   消防夫   7
     病院付添  6   土方    5   馬丁    5
     集配人   5   芝居道具方  5  運搬夫   5
     料理人   5    その他  ―
五 漁業         187
  内  漁夫   186    塩田業    1
六 自由業        
  内  官公吏会社員  55  芸人  39   按摩業  23
     帳場主人  8   妓丁   7    代書人   6
     僧侶    6    教員   3   賣卜者   3
七 職工     169
八 船員      70
九 無職業     126
十 不明      608
  合計      5647
                 (上村行彰氏喪られ行く女)

 即ち農夫の子女が最も多く、全員の二割八分を占め、商業の二割一分之に次ぎ、以下工業二割、労働者一割四分といふ順序である。農夫の子女の多いのは人口の上から云つでも当然さもあるべき事だが、同時に近時における農村の疲弊を偲ばせるに足るものである。農家子女を外にしては青物屋の娘、大工さんの娘、夫れに日雇労働者、車夫、漁師、職工の娘が最も多いのである。之を芸妓の生家が貸座敷、会社員に多くして車夫、日雇労働者に殆ど絶無なのと比べて見ても娼妓となる女の如何に憐れな境遇に置かれてゐるかが想像されやう。言ふ勿れ「何故にお山は身元をかくす親爺や立ん坊で母乞食」と彼等も人の子である。憐むべき貧しき人の子である。
 彼等の教育程度の低い事は言ふまでもない。難波病院における調査に依ると、義務教育普及の今日、尚且つ娼妓志願者中の二割七分が無教育者であったといふ。而して残りの七割二分の中でも六割までは尋常四年以下の課程を畢ったに過ぎない。此の一事に據て見ても彼等の家庭の有様が略々想像されやうといふものだ。
 尤も中には以前は盛にやってゐたが途中落魄したといふ家の娘になると義務教育の全部を了へてゐるのみならす、高等女學校をも卒業してゐる者もある。難波病院の前記の調査中にも、高等女學校の卒業生が十名あったといふ。併し之はホンの少数で、五百人に就き一人といふ割合しか過ぎない。
 即ち娼妓は大部分貧困の家の娘であるために教育程度が低く、只途中落魄した家の娘に限って高等女學校の卒業生も居るといふ訳である。