賀川豊彦の畏友・村島帰之(42)−村島「賣淫論」(一)


今回からは数回にわたって村島帰之の労作「賣淫論」を取り出して置きます。まず第一回は、「雲の柱」昭和5年1月号(第9巻第1号)に掲載の論稿です。


             賣淫論  
                        村島帰之

 Prostitution(賣淫)といふ言葉は、Pro(前)とStitution(提供)とに分れて、自らの肉体を他人に提供する意味を寓してゐるが、なほ更に一層明確に賣淫の意味を言ひ表してゐるのは、わが國における賣淫の名将である曰く「賣色」曰く「賣笑」曰く「賣春」曰く「賣淫」―−凡べて「賣」の字が件ふてゐて、彼女が肉体を提供する半面において、必ず金銭的の報酬を期待してゐる事が明かに看取される。これは英語のProstitution以上に、より賣淫の内容を明確に言ひ表したものと言って善いであらう。
 然うだ。賣淫の第一の特質は、金銭的報酬を期待するにある。彼女が、寸毫の愛を感じない男子に対してその肉体を提供するのも畢竟「金」ゆへでなければならない。即ち「持てる階級」の男子が、「持たざる階級」の女子を、その持てる金力によって支配し蹂躙する事に外ならない。これ賣淫が、只だプルジュア社会においてのみなくてならぬ社會的制度であると言はれる所以である。
 なほ此處に「金銭」といはず、「金銭的報酬」といったのは、貨幣以外の有價物若くはその他の恵与的條件を以て之に代ふる場合があるからである。例へば古代の賣淫が、その對價として山羊の子を与へ、若くは麻布を与へたが如き(旧約聖書創世紀参照)叉近代においても、観劇、衣裳その他を條件として賣淫を行ふものがあるからである。然し、それが貨幣によって置き替へ得るものなる点において、金銭的といっても敢て差支へない。
 勿論、金銭のためにその貞操を提供する者を凡べて賣淫とはいへないであらう。例へば今日の結婚制度の如き、男女の結合の唯一標準が当然、両者の愛の有無に掛るべきであるに拘らす、却ってそれを野合密通として排斥し、妨害し、結婚に当っては、まづあいての財産を調査し、その収入を問ひ質し、ひたすら一厘でも金銭の多き者に娘を娶はせ、若くは自らの一身を托せんと望むが如き、これ愛を――肉体を一―金に代えんとするにあらずして何であらう。
 賣淫の第二の特質は、限定されない他人に對してその肉体を提供するにある。所謂不見転的特徴がこれである。現代の婦人は、第一の点において賣淫的であると言ひ得たが、第二の点において、賣淫の不名誉から辛うじて免れるを得たのである。賣淫婦は、専ら、金銭的報酬の取得目的とするが故に、あいての男子を限定する事が出来ない。如何に嫌厭の情を催しても、なほこれに媚を呈しなければならない。あいてを限定してゐては彼の職業は成立しないからである。
 尤もわが國には、賣春婦である芸者に「封鎖芸妓」なるものがあって、特定せる旦那(彼女の全生活を支持するに足る費用を負担し、その代償として彼女の肉体を独占する客たる男子)以外の客にその肉体を提供しないのを原則とする者もないではないが、全然金銭上の取得のみを目的とせる点において、仮令第二の特質において欠くるところがあっても、当然、賣淫の中に入れらるべきものである。況んや今日は旦那があって、一人以外に肉体を提供せなくても明日は旦那なるものの一方的意志によって、何時にてもその封鎖を解除する事が出来るにおいておや。そして旦那の手を離れた芸妓は直ちに次の旦那を物色せねばならぬが、若し封鎖して呉れる旦那なかったら、彼女は不見転の仲間に這入らねばならない。この意味において封鎖芸者と一般賣淫芸妓との差は五十歩百歩であるといはねばならない。
 妾(めかけ、てかけ)も同断である。リスワの刑法論によると、娘が彼女の収入の全部若くは一部を固定した関係者(旦那)から得る事は、不貞を行ふてゐる事にならないといってゐるが、独逸法流に言へばわが國の妾(てかけ)の如きは賣淫といへないのであらう。然し前記封鎖芸妓同様、恒久性無く、且つ一般妻女と異り全く性慾満足の機関としてのみ存在し、金銭的報酬を期待してゐる点な度から考へて、仮令それが現行法には触れぬとしても矢張り賣淫の中に加ふべきものではないかと思ふ。
 ここにおいて第三の特質をあげねばならぬ。即ち賣淫は生涯引続いて性慾の満足を与ふるのでなく、ホンの一時的である事である。妻は偕老同穴である事を原則とし、千代八千代をちぎるものである。然るに、一般の賣淫および、前記封鎖芸妓妾は、いづれも或る短き期間(多少の差はあるが)に限られてゐる。生涯苦労を共にするといふのでもなく、女の色香の失せぬ間の一時期を金銭的報酬を條件として結ばれた関係である。下世話にいふ(金の切れ目が縁の切れ目)といふ言葉は、この賣淫の第三の特質を最も雄辨に語ってゐるものといはなければならない。
 斯くの如く賣淫の特質を検討して来た結果、我等当然、ここに賣淫の定義を発見する。即ち、
 「賣淫とは、金銭的の報酬を得るために、限定されない他人に對し、その肉体を提供し、一時的に性慾の満足を与ふる勤労である。」
 此場合、賣淫を女が男に對する場合にのみ限って定義して善いと思はれるが、内外共に曾て男娼の家が存在してゐた事があり、叉今日にあっても、ベルリンその他の都市において、女子のために肉体を提供し、変態性慾の満足を与ふるものも存在する以上、賣淫を女子のみに限って定義する事は梢々妥当を欠く憾みがあるといふ者もある。然し之等は変態的なものであって、事実上、賣淫といへば、男子のための女子の賣淫といっても左して差支へない。叉これを数量的に見るも、男娼の数は、女娼の数の九牛の一毛にも過ぎぬであらう。

    賣淫の起源

 賣淫を職業化し、且つ一般化したものは資本主義社會であるが、賣淫が資本主義の発達と共に初めて起ったものでは勿論ない。叉「賣淫は乞丐と同じく文明の所産である」といひ、若くはCivilisation(文明)はSuphilisation(黴毒化)だともいはれるほど、文明と賣淫は関係は浅からぬものがある、しかしその所謂文明が、必ずしも近代文明を指すものではない。賣淫の起源は近代文明若くは資本主義の発達よりも、遥かに古いものである事を知らねばならない。
 賣淫の起源にっいては種々考証がが行はれる。(ヘロドタスの記録によれば、紀元前五世紀に、バビロニヤアの女神ミリツタの御殿に於いて、凡べての友が一生に一度は必ず女神崇拝のため、彼女の裳裾に賽銭を投げる最初の人に身を委ねたといふ。叉或者はヘロドタスよりも遥か以前に、ボーチの時代にも、神聖な賣淫が樹の下で行はれたとも言ってゐる。之等の賣淫は、所謂「宗数的賣淫」であって、生殖力を神秘的に考へ、その清浄な力によって、自然の生産力を長助してゐるものと考へた事から発足してゐる。そして女は、またその男達と交ることが、お互のその種族に於ける動物や植物の蕃殖の素であると考へた。今日の我等の常識からすれば、それは全く夢のやうな話だが、当時に在ってはそれが真顔に信ぜられ、行はれてゐたのである。然しかうした宗教的賣淫は、上記定義に掲げた近代的の意味に於ける賣淫とはその趣きを異にしてゐる事は言ふまでもない。
之等の宗教的賣淫若くは之れが余波を受けてゐる時代の賣淫は、未だ賣淫制度としては熟爛してゐた訳ではない。今日の搾取と脅迫と残酷の賣淫制度の生れるためには、時問的には文明の発達がこれを誘導し、空間的には資本主義制度がこれを助長したる事を忘れてはならない。
 ヱリスの言ふ如く、結婚外の性交を禁じたのは、文明の現象である。此の禁を破って、性慾を満さうとすればこそ、そこに反對給附が必要とされた。賣淫料は禁制を冒す事に對して支沸はるる料金ともいへるし、叉、これを心理的に見る時、許されざるものを許して貰ほうとして支払ふところの一種の阿諛であるともいへる。之に反し文明の発達以前における結婚外性交はたとへ貨幣的報酬を得たとしても、それは今日の如き明瞭なる禁制の裏において行はるるものでないだけに寧ろ「贈りもの」といふ方が適当で、売手買手の間に授受せらるる賣淫料とはいへない。
 勿論、文明は近代の資本主義的文明に限った訳ではない。バビロン、ローマの古代文明においても同様、此の時代には、産業革命によって齎された資本主義制度の確立こそ見なかったが、搾取暴戻の点においては夫れにも優るところの奴隷制度があり、既に利子を認め、私有財産を認める搾取制度があった。従って、そこには多くの無産階級の女が娼婦として売られ、二重の奴隷的生活の下にあった。之は今日の状態と大なる差を見ない。只今日と異るところは当時の娼婦が自由なき奴隷の女であったのに反し、今日は仮令少所得階級ではあっても、法律的にも叉社会的にも認められたところの自由民の子女である事である。
 賣淫は文明そのものが作ったものでない。文明、特に近代的物質文明、換言すれば男子文明は、時間的に職業的賣淫の台頭を誘導した丈けで、その主囚をなしたものは、近代文明に件ふて発達して来た資本主義制に帰せなければならない。
 資本主義制度の発達以前と雖も賣淫のあった事は上に述べた如く疑ふべからざる事実である。然しでそれは主として謬れる民族的慣習、迷信、叉は性的無智及び道徳的頽廃の結果として来たもので、今日の如く、本人の意志に反して貞潔を売らねばならぬやうな、社会組織の欠陥から来た犠牲的娼婦の実在は、今日の如く多くはなかった。
 資本主義制度の確立は、人間を分って持てる階級と持たざる階級の二つに判然と区劃するに至った。そして持てるものは、その持てるものの力によって持たざるものの凡てを搾取した。
 徳川時代の権力者がそのモットーとした「百姓と胡麻の油は絞れば絞るほど善い」といふ言葉は、只に百姓のみに限らす、全無産階級に当てはめらるべき言葉でなければならなかった。そして無産階級の家に生れた女は、その意志の如何に拘らず、その一家若くは自身の窮状を救ふためにその最後のものをも売らねばならぬのであった。芝居、浄瑠璃に現れて来る遊女を見ても、その多くはその親のながわづらひ若くは年貢の未進のために、泣く泣く身を苦界に沈めたものならぬはない。
 実際、資本主義制度が確立され、余剰価値の経済が成立つに至る前までは、女性に對しても或る程度までの敬愛が彿はれ、如何に淫らな風俗、習慣のある地方においても、女の男に接する数には、おのづからなる制限があった。それが一度資本主義制度の確立を見るや、無産階級の女は、貨幣に換算して賣買されるやうになり、その賣られたる女は自己の意志に反して、限定されない多くの見も知らぬ男子のために、その肉体を提供し、悠に蹂躙せしめなければならなくなったのである。
 さうだ。賣淫は現在の社会組織が生んだ腫物である。そしてその腫物は、文明の及ばぬ田舎よりも、文明の花咲く都會により多く発生する。

     賣淫必要論とその誤謬

 機械文明は人口の都市集中を招来した。地方の青年は憧憬をもって都へと馳せ集った。然し、彼が抱いて来た青雲の志は、現実に直面するに及んで、いつか泡沫の如く消え失せた。彼のその僅少なる収入は、到底一家を構成するに足りない。結婚は困難である。若い一般男女の自由の結合は阻害されてゐる。彼の鬱屈した精気は、賣淫による外、そのはけロを知らぬのである。かくして賣淫は之等青年の需要に応ずるために、都市人口の膨脹と正比例して増加して行くのであった。                
 フレックスナーの「「欧洲の賣淫」によれば、巴里には約三萬(或る者は十二萬といふ)倫敦には約三萬(或る者は八萬といふ)伯林には約二萬(或る者は五萬といふ)維納には三萬、グラスゴーに一萬七千、ケルンに七千、ムニッヒに八千の淫賣婦がゐるといひ、叉一九〇三年現在の登録されたる淫賣婦のみを見ても、巴里に六千四百人、伯林に三千五百人、漢堡に九百人、維納に千六百人、ブタペストに二千人を数へると記されてゐる。一都市に少きも数千人、多きは数萬人の淫賣婦が、夜毎に何人かの男子の情慾満足のために犠牲になってゐると聞いては、誰か慄然たらざる者があらうか。
 聖トマス・アクヰスは「都市に於ける賣淫の必要なことは、恰も宮殿にも便所の必要であるやうなものだ、若し便所が穢たならしいといって取除けるなら、宮殿はつひに悪臭鼻をつく處となるであらう。」といってゐる。叉ビューゲル博士は「文明の進歩は、漸次賣淫を巧みに蔽ひかくすであらう。そして、賣淫は世界の終焉の日まで、その姿を消さないであらう。」といってゐる。換言すれば、賣淫は都市に必要欠くべからざるもので、そしてそれは永久に存続すべきものだといふのである。果してさうであらうか。賣淫必要論をなすものは、大体三つに分つ事が出来る。
その一つは風紀維持の点からするもので、聖オーガスチンさへ「賣淫を廃すれば、情慾の力は、凡べてを覆へすだらう。』といひ、都市の風紀が維持され、良家の子女が貞潔であり得るのは全く賣淫かあって、その安全辨となってゐるからだといふのである。ローベルト・ヘッセンは「賣淫は町の娘達を保護する護衛兵である。」とさへ言ひ、叉フォッグ博士は「國家は病毒に感染していない娼婦を男子に供給するため厳重な監視を必要とする。」といって、娼婦の登録検黴を主張してゐるのである。。更にキューエン博士の如きは「賣淫は堪へ得る害悪であるのみならず、避くべからざる害悪である。それは女子を姦通から保護し、叉貞潔破壊から保護するものである。」とさへ言ってゐる。
 然し之等の論をなす人は、まづ第一に、早婚が困難であり、若き男女の自由結合が阻害される社會が永久的のものだとの考へに膠着してゐるものである。即ち今日あるを知って、進展し行く明日の社會のある事を知らぬ者の議論である。第二には、賣淫制度の存在する事が、寧ろ善良な風俗を害し、劫って若き男子をして放蕩に赴かしめる誘因となる事を閑却してゐるものである。第三に有産階級の女の保護のために無産階級の女を犠牲にして善いといふ差別的の論点に立つものである。
 尚最後に挙げたキユーエン博士ライプチヒ警察医の「女子姦通保護」「貞操破壊保護」の理由の如きは、ベーベルが記してゐる如く、それは孤独の状態にある男子のみを考へて、同じ状態にある女子を閑却してゐるものである。彼に従へば、男子には充足の道が開かれるが、女子はそれと同じ状態に置かれてゐても、その運命に甘んじていなければならぬ訳なのである。かういふ偏した議論が、どうして成立ち得よう。
 賣淫必要論の第二は國家経済の点からするものである。即ちヘンリーゼヴァンス博士が貧困の多くは生活費の目当なくして無分別に結婚する結果である。故に國家としてはかかる結婚を成立させてはならない。叉さうした結婚からは、教育不足、不幸な生立ちのために、國家に對する反抗児を出す事が少くない。故に國家はこれ等の結婚の成立を防止し、且つ結婚に對する自由選択が善く行はれるために結婚の補足物としての賣淫が必要であるといってゐるのがそれである。此の論者も亦貧困を絶滅し得べき社会を考へず、近視眼的の議論をなすものである。我等は結婚補足物などを考へるより先に、まづ根本に遡って搾取なく従って貧困なき社會の建設を考へねばならない。
 第三は人口からするものでフォック博士が「若し成長した人間凡て結婚しなければならぬものとすれば人間は除り多く生れ過ぎる結果となるであらう。これを防ぐためには独身者のために賣淫の必要がある」といってゐるのがそれである。然し人口制限の道は別に存する。何を好んで賣淫に頼る要があらう。
 要するに、賣淫は謬れる資本主義社會に出来た腫物であって、新社曾が出現する日には、之を除去し得るものである事を知らねばならない。それはただブルジョア社会に於でのみ、なければならぬ社會制度なのである。

     婦人よ目覚めよ

 賣淫必要論者の多くは、都市に於ける独身者を議論の中心に置いてゐるが、賣淫の需要は、必ずしも性的に充足されない独身男子のみに限定されてゐるものではない。ボロッホの言ふ所によれば、「賣淫は男性の性慾的好奇心のはけロ、マゾヒズムの所産である。即ち男子が特に比較的無價値な女の前に自ら好んで屈する事によって性的快感を昧はうといふ一種の衝動の所産である。」といふ。此の場合の性的衝動は、全く変態性慾的のもので、此の種の変態性慾は、多くの男子に多少の差こそあれ、共通に存在するものである。然し、此の慾情は、妻によって満たされる事は困難であるので拘束なき性交を求め、遊戯的性交の充足のために既婚者も亦賣淫を漁らうとするのだ。即ち賣淫の需要者は結婚の出来ない男子及び、結婚しても十分の満足を見出せない男子であって、彼等は満たされないものを満たさうとして賣淫に来るのである。
 斯くの如く男子は賣淫を利用する事を自らの特権の如く考へてゐる。女子と雖も――それは倫令男子の如く熾烈でないにしても――同じ性的衝動を覚える事もあるものを、男子はただ自己の優越を振りかざし、放縦と自由とを混同し横暴至らざるなき一方、女子に對して「貞節」を強ひてその性的衝動を抑圧せしめてゐるのである。今日の所謂女子の貞節なるものは、畢竟、男子が女子を独占しようとする希望から作った美名に過ぎない。そしてその男子の得手勝手な拘束に甘んずる女子の本能が、男子の性的放縦と結びつけてついに賣淫制度を作るに至ったのである。即ち賣淫制度の成立の影には、余りに従順な、寧ろ自我を没却するところの婦人に屈従が働いてゐるといふことに、世の婦人達は考へを致す必要がある。
 英國公娼制度を認めた一八六九年は、ビクトリヤ女皇の御代であった。娼妓は女皇の名によって稼業を許されてゐると云ふので、「女皇の女」と呼ばれてゐたと云ふ。これに對し猛然反對したものがあった。それはバツトラー夫人であった。彼女は婦人の権利を主張し、搾取と、屈辱の奴隷生活から、姉妹を救ひ出した。それは奪はれた人間性の奪還に他ならなかった。日本にはまだ、日本の男性の横暴と、日本の女性の屈従が生んだ、政府公認の気の毒な五萬数千の人身供養の娘達がゐる。此の人身供養の姉妹を救ひ出すために人面獣心の怪物を退治する者は誰れであらう。
 日本の婦人よ、永き屈従の迷夢より醒めよ!! そして日本の勇ましきバットラーよ、速かに出でよ。