賀川豊彦の畏友・村島帰之(31)−「火の柱」掲載の村島「賣娼」

 今回から数回にわたってイエスの友会の機関誌「火の柱」などに寄稿した村島の原稿(もしくは彼の講演・談話筆記)を取り出して収めて置きます。
 まず、次の小品は昭和4年8月15日付の「火の柱」第82号にあったものです。筆記者の「藤本冬子」というお方はどのような方でしょうか。


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           賣 娼
                  開西學院教授 村島帰之

 賣娼論は旧約聖書申命記にあって、新しい問題ではない。古い問題が新しく刺激されたのは國際聯盟に依る。九年前の聯盟總會において廃娼の決議が出来た時、日本は加入してゐるが初は娼妓年齢を二十歳以上に高める事は不適当であると云って除外例を求めて十八歳以上にした。年齢低下の留保をしたのは日本とシャムだけであった。これは世界に對して恥暴しだと云って、巌しい反對があったので政府も一昨年除外例を撤廃した。然し我國は既に明治五年に公娼制度を一時撤去した。それには由来がある。丁度支那から南米のペルーに帰る船に支那の苦力が乗って居たが、奴隷に賣られるのだと知った一人が、船が日本の横漬に寄港した時に脱船して投錨中の英國軍艦に泳ぎついて哀を乞うた。英國公使はこれを副島外務卿に謀り、副島卿は朝議を経て、時の神奈川県令大江卓氏に裁判せしめた。大江氏は、國際公法の違反であるとして三百人の支那人を悉く解放帰國せしめた。ところがペルーでは黙ってゐないで、國際会議に提出した。その時國際裁判で勝って、日本は大に面目を施したが、ペルーは尚も屈せず、「國際公法の條文に依れば正しいが、日本には富士山と同じく有名な吉原があって、首の白い奴隷を賣買して居る。外國船に對して斯かる處分をなす権利が有るかどうか?」と突込んで来た。若しも日本が公娼を廃止しないならば、先の誇るべき所為に矛盾を生ずるので、政府は大英断を以て娼妓を廃した。明治五年十月二日、一片の太政官布告を以て日本は廃娼國になった。

 その頃は政革の気分があったから当局者は徹底的に法律を実施した。然し興論が伴ってゐなかったので実行力が乏しく、直に元へ戻った。解放された娼妓は國へ帰っても、親は貧乏で食はせる事が出来ないので、叉元の女郎屋へ帰って来る。女郎屋では前の様でなく、こっそりやって居ると、需要供給の関係上繁昌する。そこで娼妓はだんだん仲間を呼んで、明治六年には元の通りになった。然し公娼制度は廃止だから、人身賣買の開係でなく、娼妓稼ぎ人と云ひ貸座敷業と称して、立派な独立した営業になった。金銭の貸借と座敷の貸借り関係になり、身代金は単なる前借金と云ふ事に看板を塗り更へて大威張で続けて行った。事実上においては昔と少しも変わらない奴隷制度であり、搾取制度である。

 然し日本の法律は変なことになって居て、例へば大阪府知事が「大阪府下において娼妓稼ぎを認めす」と布令を出せば、即日大阪府は廃娼になるのである。國際聯盟がもう少し此の方面に力を注げば、日本の公娼制度は必ず解決される事を信じて疑はない。

 世界中に法律で許して居る國は少い。イギリスでは全然禁じて居る。事実において存在しても國法では禁じてゐる。こんな國も少い。フランスは半公娼制度である。「社会に欠くべからざる弊害であって、都會に賣淫の必要なるは宮殿に便所の必要なるが如し」との見解から、ドイツ、フランス等では、日本の様に國法で認めて税金を取ったり保護したりしないが、全く禁じてもゐない。登録制度をとって出来るだけ弊害を少くする為に監督し、衛生的に干渉するのである。今日では日本も登録娼に変わって行きつつある。いづれ公娼廃止になるが、廃娼運動は絶娼の意味でないから、私娼は後に残る。然し少くとも國家が賣淫制度を公認してゐると云ふ事は無くなる。叉あの大きな遊廓が無くなる。一劃を成して集るのが公娼制度の特徴であって、私娼は大抵散らばるものであるが、この集娼制度から散娼制度に移るのが、世界の公娼制度の傾向である。今は集娼制度の没落過程にあって、次の過程には散娼制度になり、窮極は絶娼になる。

 公娼制度が無くなった後も考へねばならぬ事が多い。警戒すべきは賣淫窟である。若し賣淫窟が残れば集娼制度が残る事になり、私娼の遊廓となって今日の遊廓と選ぶ處なき結果になる。媒合者を巌罰し、常習淫賣を監視し、芸者の取締を厳にしなくてはならい。散娼制度に移る過程の産物たる女給を巌重に取締り、素人賣淫も多いから之も取締る必要がある。根本は供給を無くする事と需要を無くする事である。先天性に重きを置く人は、娼妓になる様な女を無くする事が大切だと云ふが、貧困な状態を無くする事が最も大切である。然しそれだけで供給の根を絶つかと云ふと、さうでない。ロシヤでは、政府の保証した範園内の生活に満足せす、より以上を求めやうとする女が賣淫行為をするので、やはり供給方面が絶えない。娼妓を買ひに行くのは独身者だと考へて居る人が多いが、統計を見ると妻帯者の方が多い。人間の変態性慾を満足させる為に行くのだから、人間の中に溝泥みたいなものが残ってゐる限り、娼妓絶無とはならないだらう。根本はイエスの友曾の云ふ純潔である。
                        (藤本冬子記)