賀川豊彦の畏友・村島帰之(28)−「病みて益ありき」(2)


          病みて益ありき

                         村島帰之
       (前承)

        誘惑をはじき飛す力を

 「キューリー夫人の伝記を読むと、夫人はこんなことをいっている。わたしたちのような弱い人間にとって一ばん必要なことは、周囲のものがみな動かずにそのままいてくれることだ。しかしそれが得られない場合は、自分自身がこまのようにたえず廻っていて、その廻転する力で、外からくるものをよせつけないようにするよりほかはない――と。つまり、僕たちにとって一ばん望ましいのは、はじめから結核にかからないことだが、かかった以上はしかたがないから、自分がそれにまけないだけの力を自分のうちにもっていて、よりついて来ようとする誘惑や迷信やインチキをみんなはじきかえすことなんだ。キューリー夫人はこうした強い精神力をもっていたからこそ、あの貧苦の中にあってラヂュームを発見し、ノーベル賞を二度までがち得たのだ」
 「そうした、キューリー夫人だけの精神力があったら、結核何ぞ怖れんやだ」
 「キューリー夫人の母は結核で亡くなったが、生前、こどもたちにうつすまいとして病室へは一切よせつけなかったそうだ。この夫人の母の精神力も偉大だったと思う。キューリー夫人が最後に病気でたおれた時、てっきり母の結核に幼時感染していて、それが発病したのだろうと思って、結核療養所を最後の場所としたが、死後、しらべてみると、結核ではなく、彼女が発見したラヂュームの放射能のためにからだの組織がこわされたためだったそうだ」
 「科学に殉じたんだね。しかし、あの旺盛な精神力なら、からだの組織は破壊されても、精神の組織は破壊されずにいたに違いない」

         賀川豊彦氏の場合

 「キューリー夫人もだが、日本でも精神力一つで病苦を病苦ともせず、健康者よりも勇敢に立ち働いている人がある。たとえば賀川豊彦氏だ。氏は自分で「病気の問屋」といっているほどいろいろの病気をもっている。肺病では既に幾度も「死線を越えて」来ているほか、心臓が悪い、腎臓がよくない。(氏の顔のふくれているのはそのためだが、世間の入は肥えているのだと思っている)眼はトラホームからパンヌスへ来てびどくなると自分の指の数がわからなくなる。鼻は蓄膿症があるし、歯は歯槽膿漏で三分の二まではむしばまれている上に、前歯二本を貧民窟でゴロツキに折られてしまっている。耳は中耳炎、腕は中学時代に骨折して四貫目以上のものはもてない。結核痔瘻もある。そのほか、背骨は乗っていたオートバイが電車に衝突して、ひびがはいっているので冬になると痛む。こうした不完全なからだをもちながら、氏は世界を家とし、道のため、人のため、国の内外を東奔西走して席あたたまるいとまとてない。こうした活動の根源は、氏のたくましい精神力の賜物というほかはないではないか」   
 「結核にかかって、悲しみ歎いでいる人は、よろしく賀川氏に学ぶところがなければならぬ。間違わないでくれ給えよ、賀川氏の療病法をではなく、氏の病をおそれず、生死を超越して、使命に生きぬこうとしているその雄々しい精神を、だ」
 「賀川氏は信仰に生きて、恐怖を知らなかったんだな」

         体内にある再生力を信ぜよ
 「賀川氏は恐怖にうちかつ工夫についてこういっている。わたしが肺病をおそれないのは、自分のからだにある再生力を信ずるからだ。たとえば喀血をしたとして、二週刊も安静にしていれば、自然に血はとまる。これは外部の出血の場合、繃帯していれば傷が自然になおるのと同じで、血液自身に喀血をとめなおす力、つまり再生力をもっているからだ。わたしはこの再生力の存在を信じているから喀血しても少しもおそれないのだ。そのことを考えないで、いたずらに病気を怖れ、気にすれば、せきにしでも神経的に出つづけよう。
 病友よ再生力を信じ、病を忘れよ――と、つまり、恐怖にうちかった工夫は病を忘れるところまで達する必要があるのだ。病を忘れて朗らかな気持でいれば、血管を開いて、病気も快方に向う。反対に『不如帰』の浪子のように『わたしの病気、なおるでしようか』なんて気に病んでくよくよして居れば、病気は昂進するばかりだ」
 「病気を怖れてくよくよするのは明治時代の浪子型で、再生力を信じ、病苦と恐怖に打ちかって、朗らかに生きるのが昭和の賀川豊彦型ということになる。『病友よ、すべからく『不如婦』を清算して『死線を越えて』の心境に来たれ!』といいたい」
 「賛成だ。川島浪子より賀川豊彦へ!」

        希望をもて、救は来る
 「しかし、後のことはともかくとして、はじめて喀血した時など、誰でも一時は平常心を失う。まるで絶望の壁にぶつかったようなものだからね。その時、ヘナヘナと参るようではだめだ。僕は若かったし、元気一ぱいだったので、心の黒板に『何くそッ!』と書いたつもりで、しじゆうこの『何くそッー』を心の中でくりかえしていた。血痰がとまらない折なども、この『何くそッ!』で、泣き出したくなるのを抑えていたものだ」
 「何くそッか。おもしろいね」
 「希望を失ってはならないんだ。どんなことがあっでも絶望しではならないんだ。望みはある。可能性はある。救いは来る、と確信して忍耐することだ。ダンテの『神曲』に出てくる地獄の門には『希望をすてよ』という額がかかげられ、天国の門には『希望をもて』と記されてあるが、希望をもたぬところが地獄で、希望をもつところが天国だ。希望をもつ病者には回復の春が訪れようが、希望を失ってやけになる病者には破滅の地獄が待つばかり」          
 「汝の信仰、汝を癒せりというのがそれだね」          」
 「外村義郎氏なんか、三十六回も大喀血をしたが、強い信仰心をもち、希望を失わず病もおそれずいたので七十幾才の長寿を保ったし、徳永規矩氏なども、ひどい喀血をつづけてもう死ぬだろうといわれてから十六年も生きていた。みなその信仰が病の進行をとめたのだ。」

    (つづく)