賀川豊彦の畏友・村島帰之(27)−「病みて益ありき」(1)

  
 前回まで村島帰之の名著『賀川豊彦病中闘史』を25回にわたって連載しました。豊彦と歩みをともにした帰之ならではの「賀川物語」でした。それは昭和26年8月に発行されましたが、今回から3回に分けて掲載する『病の床に慰めあり』(村島帰之・長谷川初音・霜越四郎・杉山元治郎、基督教文書伝道協会)は昭和26年9月に刊行されています。

 ひょんなことから先日この古書を入手して読み終えたところです。



 村島自身が賀川と同じく結核などの病苦にあって、それを乗り越えて歩んだ御方ですが、この共著の冒頭に、村島の「病みて益ありき」という小品が収められていました。

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             病みて益ありき

                         村島帰之
     病気の起るわけ

 「ボルネオから帰った人に聞いた話だが、ボルネオの原住民たちは、人間の霊魂が肉体をぬけ出すと、そのとたんに病気が起るものと考えているという」
 「すると、病気をなおそうと思えば、そのぬけ出した霊魂を呼びもどすのかい。鎮魂帰神のような巫術をつかって」
 「そうだ。狐や狸のついた場合は「稲荷下げ」を頼んで狐狸を追い出してもらうのだが、これは反対に、ぬけ出した魂を、ダヨングという巫女を使ってよび戻すのだ。まずダヨングは患者を診た上、身にはみののようなものを着、頭には大きなかんむりをかぶり、あごには一尺もあろうかと思われる白いつけ髭をつける。そして腰に一刀をたばさみ、手には一本の棒をもって歌いながら踊り出す。やがてクライマックスに達すると、患者の父母は彼に向ってお金はいくらでも出しますからどうか、ぬけ出していった霊魂をよびもどして下さいという。そこで彼はニタッと笑ってやおら、腰なる一刀をひきぬき、ともえとふりまわす。一方、霊魂は、歌や踊りを見せられてうっとりとしている矢先、刀のきっさきをつきつけられ、おどろいて巫女の手に逃げ帰る」
 「病人のからだに戻るのではないのか」
 「そこが手だ。霊魂は首尾よくわが掌中に帰したり、いざ見参あれお立会い! といったぐらいで、巫女がてのひらを開くと、ふしぎ! 霊魂はそこにちよこなんと坐ってる」
 「霊魂が坐っているなんて……」
 「霊魂は一つぶの米に化けているのだ。そこで巫女がこれを恭々しく押しいたたいてからおもむろに病人の順に押しつけると、米つぶの霊魂はそのまま元の古巣のからだの中へもどる、それで病気はめでたく全快、めでたし、めでたしというわけか」

      現代医学の有限性

 「僕はこの話をきいて考えさせられた。それはボルネオの原住民が、肉体の病気というものと人間の精神を不可分の関係においている点と、ぬけ出たたましいをとりもどすことにより病気がなおるとしている点とだ。つまり病気の治癒に精神力が重要な関係をもっていることを、原住民はおぼろげながら知っているのだ」
 「今日の医学者や医者が、人間をものとして扱って、精神を無視せぬまでも、これを軽く見ようとしている傾きのある時、ボルネオの原住民に学ぶべきものありといいたくなる」
 「いいや、現代の医学は決して精神を軽んじてはいないが、まだ医学そのものが未発達で精神医学などはなおさらなのだ。」         
 「一体、病気を医者がなおせると思うのが間違いじやないのか。」
 「間違いとまでは言いきれないが、病気の治るのは自然良能の力で、医者はその手伝をするにすぎない。それだから、医術の有限性を補う意味からも、病人の精神力を、もっと療病に活用するようにせねばならなと思う。昔から『病いは気から』−ともいって、精神力の強い弱いは、肉体の盛衰、健不健に大きな影響をもつものだ。ことに慢性病で神経衰弱を合併してくる場合の多い結核患者には精神力の強弱は問題だ。何しろ長期の療養を必要とする病気なんだから、精神状態が病気の推移に大きく影響することは明らかだ」

       無信仰者は倍死ぬ

 「とにかく精神力のさかんな病人はなおり易く、精神力のしなびた病人はなおりにくい。結核病は特にそうだね」
 「それには、ここに絶好の資料かある。これは長らく東京市結核療養所に居られた田沢鐐二博士が同所開始以来十年間の取扱患者について信仰の有無と病気の経過の関係を詳しく調査されたもので、信仰をもつ者、特に基督教信者は無信仰の病人に比べて洽癒軽快率は約倍、反対に死亡率は約半分という統計が出でいる。統計をお目にかけよう」

                 治癒率     死亡率
信仰ある者     基督教     30.6     44,9
          仏 教     17.5     63.5
          神 道    29.2     58.8
信仰をもたぬ者       17.4     76.1

 「驚ろいたね。信仰をもたぬ者は七割六分まで死んでいるのに、信仰をもつ者は、神仏、基の各宗派を通じ四割五分から六割三分、つまり大体五割内外しか死んでいない。その間、二割からの開きがあるとは――ね」
 「死亡率よりも治癒率を見てほしい。三教ともに、信仰をもった者は二三割はなおっているのに、全然信仰をもたぬ者は一割八分しかなおっていない。これを見ても「医者よりも精神、薬よりも信仰、ということがわかるではないか。」
 「全くだ、医術や科学は有限で、その限界から先は、病者自身の精神力と、神の自然良能の力が支配するんだ。その精神力のおよぶ範囲がいかに広く深いかを、この統計ははっきりと物語っているようだ。」

       艮心宗教は治癒を促す

 「ところで、同じ宗教の中でも、基督教信仰者の治癒率が特に高いのはどうしてだろう。仏教信者の倍近くもなおっているではないか」
 「基督教信者が比較的智識階級に多いとか、貧困者に少いとかいう点もあると思うがその信仰内容が直接、良心につながっている点が大に原因しているのではないか。しかし、いずれにもせよ、宗教とは、要するに苦しみに打ちかつ工夫で、この工夫の奥儀をつかんだ人は、病苦に耐え、病苦を突破する。彼らは神が居給うて、癒やしの御手をのばして下さっていることを信じるから、希望を失わない。精神の平静も保たれてさわがず、あせらず、不平をいわず、怒らないから、自然良能の力の発動を助けることとなって、治癒を促すというのだ。基督教信者が、みこころになさせ給え――と祈って、絶対者たる神に委せきる場合など、ことに治癒が促進されるだろう。神は常にわれらと共にいたまうというインマヌエルの信仰のごときは、患者の心境を明朗にし、たのしくさえして病気を忘れさせる」

      まず結核恐怖症をなおせ

 「しかし、どんな信仰をもっていでも、結核と診断を下された時や初めて喀血した時など、誰でも鉄鎚でなぐられたような大きな衝戟を感ずるだろうね」
 「もちろんだ。その時、その衝戟によく耐えるか、耐えぬかは、病者の精神力如何によるもので、療病の経過にも大いに響く。気の弱い人で、まるで致命傷でもうけたように、たちまちヘナヘナになる人は経過もよくないが、ノホホンとしている人は経過がよい」
 「あんまりノホホンとしていても困るだろう」
 「全然ノホホンでも困るが、精神の平静を保っているという点て好ましいといったまでだ。反対に喀血したからもうだめだ――と絶望して煩悶し悲しむ人は自分で自分の病気を昂進させて行くようなものだ。はじめての喀血なんか、大がいの場合、大事には至らない。いわば危険信号をうけただけのもので、この時にすぐ手当をし、十分、あとを警戒したら、かえって将来のためにいい経過をとるものだ」
 「むしろ、ふてぶてしい方がいいのだね。結核の大先輩故茂野吉之助氏は、芝居に出てくる、善にも強いし、悪にも強いという河内山宗俊のような、ふてぶてしさがあるといいといったが、その方が精神上のみだれがないだけ、療病の成績がいいのだろうな」

       病気の無知と未知

 「河内山宗俊は愉快な例だね。ちょうど河内山の反対の例がある。或る婦人は結核と宣告された瞬間、もうわたしはだめだ! とさじを投げて泣き悲しみ、それからというもの、食べものも喉を通らない。そしてとうとう死んでしまった。あとで解剖してみると、その人は結核は大して悪くはなく、あまりに泣き悲しみ、食べものもとらなかったので、結局、餓死したのだということがわかった、つまり、この人は結核で死んだのではなく、精神力の弱さから、病気と闘う力もなく死んだので、むしろ自殺したようなものだったのだ」
 「して見ると、結核を怖れないようにするためにも、結核の正体をよく認識する必要があるわけだな」
 「まさにその通りだ。無智ということはこわいことだ。そういえば、僕も発病当時はその無智組の一人だった。幸い、今話した婦人のようなやさしい人間でなかったから餓死することは免れたが、今から考えてみると、ずいぶん、無茶なことをしたと思う。はじめて喀血した時など、胸を冷やしたら血が止まると思って下宿の女中に氷を買わせ、自分でそれを砕いて胸を冷やしたものだ。胸を冷やす効果よりも氷を割る害悪がどんなにぴどいものかということを知らなかったんだ。今思い出しでもソッとする。しかしこうしたことは僕だけではなく、はじめはみんなこうした失敗をやるものだ。無智というよりは未知のためだ。だから、ます何はおいでも、信用のできる専門医や保健所のもとへ馳けつけることで、素人療治や生兵法は一ばん怖しい。早い目になおせば、結核病は完全に防げるのだから」
 「一ばんいけないことは、周囲の無智な入れ智慧にまどわされることだ」
 「そうだよ。そのために、せっかくのなおる時期を空しく過して病気をこじらせ、どうにもしようがなくなって、専門医のもとへ泣きついて来た時は既に手遅れだったという場合が大へん多い。やはり、早い目に専門医について、人工気胸療法をやるとか、ストレプトマイシンを注射するとか、或はまた入院して胸廓成形術をうけるとかすれば、必ずなおるのだ。それをしないで、えたいの知れない神さまを信仰したり、まじないをしたり、インチキな民間療法にひっかかったりしていると、なおる時期を失ってしまうからね」
 「そうだね。よくわかった」

    (つづく)