第3次東日本大震災被災者仮設自治会訪問―第8回

2013年9月10日午前、前回メモした仙台市若林区東通仮設町内会」を訪ねた後、お昼までにもう一か所、宮城野区に建てられている「岡田西町仮設住宅自治会」へ移動しました。



上の写真は移動中の車窓からみる景色です。約束していた11時前に到着。仙台市内には18か所の仮設住宅がつくられ、およそ1500戸、この「岡田西町仮設」は80戸あまりで「岡田西町公園」にできていました。





仮設に育てられている美しい花たちが、とても印象に残りましたが、次に「仮設自治会集会所」へ。





私たち同行の4人のうち私以外(本多・森元・内海の各氏)はこの仮設の皆さんとは再会ということもあり、すぐにいまの暮らしの様子を聞かせていただきました。自治会の現会長・二瓶勝男さん、前会長でいま副会長の佐藤匡さんほか、特に今回は「女子会」(定例会を開いて交流を深めておられる)の3人の方も加わって話が弾みました。




比較的小規模のここの仮設には、その大半が「宮城野区南蒲生地区」の被災者で構成されて、自治会づくりも比較的順調だったところのようです。

副会長の佐藤さんは、元いた場所は危険区域にされてしまい、多くの壁をクリアして新しい場所に家を建てて年内にもこの仮設を出られるそうですが、会長の二瓶さんは現在ようやく家の修理にかかっているが、今とくに工賃が高くてなかなか進まないでいて、東京オリンピックの開催決定後は、いっそう困ったことになることを危惧されていました。

被災した住宅のローンが残っていて、元の場所に再建するには経済的に耐えられないという御方や、特に女性の方々からは、被災当初の「全壊・半壊」の判定の杜撰さや一方的に「危険区域」を決めて進める復興計画への不信、そして行政の説明もいつも一方的・杓子定規で、納得のいかないことが多すぎることなど、たくさんお話になりました。

さいわい今までは仮設での「孤独死」の方はでていないけれど、仮設暮らしが続くとお互いのプライバシーが守られず、女性のおひとりは「仮設住宅に家々の窓のカーテンを見るのがストレスになる」とも語られていて、かつての暮らしにはなかった住民同士の壁を取り払う願いの強さを感じさせられました。

ここでも、本多先生から自治会長さんへ、神戸からの気持ちばかりの支援金を手渡し、加えて本多先生からは、ご家族が手作りをされて準備された小物入れ(小銭入れ)を3人の女性の方々に贈られて、これはまた喜んでいただきました。

この仮設住宅にも全国から多くの人たちが訪問され、七夕などお祭りの行事や体操、かるた会、お茶会、そして地元の「南蒲生太鼓」や「琉球国祭り太鼓」などもあって、集会室の天井には「復興は岡田西町から」という大きな横断幕が飾られていましたので、それもパチリ。

ちょうどお昼になって、少々慌ただしく皆さんとお別れして、この日の最後の訪問先「仙台市太白区・あすと長町仮設住宅」に向かいました。