第3次東日本大震災被災者仮設自治会訪問―第7回

宮城県の南部にある「亘理町」から再び仙台駅近くのお宿「東急イン」に戻り、前夜の食堂のお隣の店で、同行4人組の愉快な夕食を済ませ、シャワーを浴びてバタンキュウ・・・。

9月10日朝、6時半からの朝食の前にホテル近くを30分ほどぶらり散歩。仙台に咲く朝顔壽屋貸衣装店、結婚式場の仙台St.George Church などの写真も撮って・・・。





この日の訪問先は、ちょっと欲張って仙台市内の3か所の仮設自治会―若林区東通仮設住宅町内会、宮城野区の岡田西町仮設自治会、そして太白区のあすと長町仮設自治会――が予定されていました。

午前8時、最初の仮設「東通仮設住宅町内会」に向かい9時過ぎに着きましたが、集会所には会長の山本靖一さんと庶務会計担当の庄子智香子さんはじめ居住者のみなさんや支援の方々が、集会所での朝の体操の準備などをはじめておられました。





この「東通仮設住宅」には200戸近く、400人近い方々の入居があり、市内では大規模仮設のひとつだそうですが、荒浜海岸あたりの荒浜地区の皆さんが7〜8割をしめて、まとまって今の生活があるようで馴染みの「町内会」という名称で、2011年7月にはこの組織が誕生しているようです。現在の山本会長も庄子さんも荒浜地区の御方でした。

お出合いして早々、神戸から手土産?に絵本「いのちが震えた」(神戸の震災の折に岩田健三郎さんに描いていただいた作品)を寄贈させていただいたことが呼び水になったのか、山本さんと庄子さんは、あの震災当日の津波の恐怖と生々しい過酷な様子を語り始められました。

お二人の住んでおられた荒浜地区は、古くから「地震は来ても津波は来ない」と言われてきたところでしたが、今回の津波では、特に津波の3波にのまれて、荒浜地区の人々・200人近くの方がいのちを奪われてしまい、まったくなにもない町になってしまったことや、同じ地域の住民のひとり「いしだひろこ」さんが絵本「きえた浜辺の町」を書き残して逝かれたことなどお話になりました。






荒浜地区は地盤が固くて地震につよいところで、冬も暖かく、海風があって夏でも涼しく、環境もいいので、元の場所に戻りたいという人たちも少なくない。しかし住民の意向とは別に、町内会長だけをあつめて一方的に「危険区域の指定」や「高台移転」の説明などされて、住民のほんとうの声が届かない状態が、いまも続いているようです。

これまでみな広い土地を持ち、広い建屋で暮らしていたので、ここでの仮設暮らしは厳しいものがあること、少しずつこの仮設を出て新しい生活を始める人もあるなか、万一現地再建がかなわずとも等価交換で新しい土地が取得できてていく道もみえず、年金暮らしで災害公営住宅に入っても大きな不安もあり・・・

とにかく居住者ひとりひとりの事情と希望もちがい、考え方もちがっていて町内会の運営も容易でないが、自分の信念だけはまげないで頑張っていきたいとも・・・。庄子さんもまだ60歳、以前からの地域活動の経験をいかして、町内会の活動の頼もしい裏方の役割を明るく担っておられます。

東京オリンピック招致の決定の後でもあり、ただでさえ建築関係の遅れがみられる中、工賃もすでに2倍以上のところが、それにいっそう拍車がかかって、東北の復興はさらに大幅に遅れてしまう危険性がある、と複雑な心境を漏らしておられました。

終わりにここでもささやかな神戸からの支援金を手渡し「被災地からの100人の声」寄せていただくハガキを託して・・・。集会所に飾れれていたいくつかを写真に収めさせてもらいました。毎日今も来訪者も多く、夏祭りや七夕、餅つき、落語会など町内会の諸行事も数多いようです。