第3次東日本大震災被災者仮設自治会訪問-第1回〜第3回

第3次東日本大震災被災者仮設自治会訪問―第1回

当初、この「仮設訪問」の私的メモは、同時進行のブログ「番町出合いの家・延原時行歌集・鳥飼の部屋」 http://plaza.rakuten.co.jp/40223/ で、20013年9月12日より3回まで連載しましたが、不手際のためにうまく作業ができず、急遽9月14日に、こちらえお引越しをしました。

したがって、今回は第1回から第3回までのものをここにUPして、以後第4回へとつないでいくことにいたします。




標記のとおり今回「第3次東日本大震災被災者仮設自治会支援」(地域人権連神戸人権交流協議会・民主企業組合・NPOまちづくり神戸)のプロジェクトに、はじめて加えてもらい、9月8日から11日まで、二度と経験することはないような、貴重な交流の機会をいただきました。

今回のスタッフはわたしを含めて4名、わたし以外はこれまで震災直後からいくたびも現地に運び、ボランティア活動に汗を流すなどして、仮設自治会の皆さんなどとも馴染みでしたが、やっと今回、足手まといにならぬように気を付けながらの初体験ということでした。

出発の日、8日の朝は「東京オリンピック招致決定」で沸き浮かれているなか、上に収めた地元紙の記事(11日付け)のように、「大震災から2年半」を迎える被災地に」むけて、雨模様の神戸を朝7時前にスタートしました。

3度目の募金にもかかわらず、多くの方々から暖かく応じていただいて集められた支援金をもち、諸経費節約のために今回は、往復を自動車に乗っての旅となりましたが、若手二人のスタッフが上手に交代しながらの運転で、わたしはもっぱら後部座席でウトウトスヤスヤ・・・・。

片道およそ12時間あまり、車中では、わたしにとって始めてみる景色を愛でながら、オモロイ話をたっぷりと聞かせてもらい、時には笑い転げたり、真面目な真面目なお話に集中したり・・・。大きな経験をさせていただいて戻ってきました。

今回から「仮設自治会訪問メモ」を忘備録の記録として収めて置きます。公式の報告レポートは、森元憲昭さんによって纏められ、仮設自治会の皆さんの今の声なども寄せられ新しい冊子として仕上げられていく予定です。どうぞご期待ください。

そんなわけで、第1回の今回は往路の旅のーー北陸自動車道の「名立谷浜SA」あたりまで数枚をUPいたします。


神戸を出発して間もない、運転中の内海章さん。タクシーのプロの腕前でもあります。

最初の休憩地点は名神高速道路、滋賀県の「多賀SA」

名神高速道路から北陸自動車道に入り、美しい立山連峰を眺めながら、福井を越えて「尼御前SA」へ

ここには芭蕉のうた「むざんやな 兜の下の きりぎりす」の歌碑も。




石川県(金沢)を過ぎて、富山県へ。日本海の海沿いに糸魚川から「名立谷浜SA」。ぜひ一度訪ねてみたい「良寛さん」の故郷もちかくなって・・・。



第3次東日本大震災被災者仮設自治会訪問―第2回




前回(第1回)は、神戸を7時に出発しておよそ5時間、「名立谷浜SA」のところまでをUPしました。ここで軽い昼食をすませて新潟「阿賀野川SA」を過ぎ、「磐梯山」あたりで事故のため「磐梯高原IC]で地道に入り、「野口記念館」のある「猪苗代湖」の湖畔を経て「磐梯熱海IC」で「磐越自動車道」に戻って、「五百川SA」で小休憩、「郡山IC」で「東北自動車道」に通じて一路、国見・蔵王を経て、目的地「仙台」まで・・・・

これらを、ひとつの記録として、ここに収めて置くつもりでしたが、なぜか今日は、写真がうまく収まってくれません。

そこで今回は、「第3次」のわたしたちの仮設訪問の意図と、「第2次」の折に準備した小冊子並びに現地の新聞「河北新報」に大きく取り上げられた記事のみを収めることにしました。

冒頭におさめた「阪神・淡路大震災被災者から東日本大震災被災者への伝言―仮設を新しいふるさととよべるように」という小冊子は、神戸のわたしたちの経験などをあつめて、東北の仮設自治会の方々への、ささやかな応援メッセージとして手渡しました。

この冊子は、わたしたちの予想を超える大きな反響があり、地元からのお求めにこたえられないほどでしたので、神戸の人権交流のHPにもこれを収めて、現在も役立てていただいています。

そこで今回は、前回の「神戸から東北へ」に呼応して、「東北から神戸へ」の、「被災地の今」のお声を直接じっくりと聴きし、これからも継続して新たな交流の進展を図りたい、という志しでの行動です。

できることなら、今回新たにいただく「被災仮設からの100人の声」というハガキを用意して「被災地からの伝言」として、このたびの第3次の交流を踏まえた森元憲昭さんの論稿「震災仮設論」(仮題)ならびに現在「あんしんしあわせネットワーク」(神戸人権交流の月刊誌)に好評連載中の本多昭一先生ーー(NPOまちづくり神戸」代表・「新建」会長・この度の訪問団の代表)ーーの専門家による「まちづくり 内緒ばなし」などを収めた小冊子を完成させる予定になっています。



第3次東日本大震災被災者仮設自治会訪問―第3回




ところで、このブログでは昨日より、なぜか写真が2枚だけで、それ以上は制限を越えて収まらないようになってしまったようです。

無料で遊べるボケ防止のためのブログとして勧められて「ひとり遊び」を楽しんできましたが、今回の仮設訪問の記録は、できるだけ多くの写真でうめてみたいと願っているだけに、何か手立てが必要のようです。

同時進行のブログで掲載条件はひとつひとつ異なっていて、多くの方に注目頂いている「延原時行著作集・ブログ公開(ただいま第14巻まで)」には、膨大な文字数が収まりますが、ここでは文字は1万字までという制限があるようです。写真はこれまで、およそ10枚まではOKでしたが、それが昨日より、ただの2枚までとなってしまっているようです。

本日の第3回目の予定は当初、新潟「阿賀野川SA]から磐梯山高原・猪苗代湖をへて、初日の目的地「仙台」までと、2日目早朝仙台を出て三陸自動車道で「石巻」へ。最初の訪問先「石巻仮設住宅自治連合推進会」に少し早く到着したため、近くの「石ノ森漫画館」のあたりを・・・と考えていました。

ともあれそんなわけで今回は、冒頭の写真は、仙台での夕食で4人で注文した美味「秋刀魚の刺身」デス。

そして上の写真は、石ノ森漫画館」のまえの雑草地に咲いていた草花です。漫画館の横を流れる美しい川・北上川(?)などの景色も収めたかったのですが・・・・。

サテ・ハテ、次回からこの連載どういたしましょう???

         ブログのお引越し

思案の結果、こちらのブログにお引越しをしてみました。ここでは、文字も写真もうまく収まるようです。何事もチャレンジですね。


ではここでは、第1回に収めた「名立谷浜SA」(ここで軽い昼食を済ませました)を出発して、日本海佐渡海峡・・「良寛」のふるさと「柏崎」を通り、「北陸自動車道」の終点「新潟市」から「磐越自動車道」へ進みます。



阿賀野川SA」で小休憩して暫く進んだ場所で交通事故があり「磐梯高原IC」で地道におりました。予期せぬことでしたが、渋滞の道をゆっくりと磐梯山猪苗代湖を眺め、東北の稲田とソバの花(?)など道ばたに見ることもできました。







磐梯熱海IC」(このあたりは気温18度)で再び「磐越自動車道」に戻り、「五百川SA」で休憩、「郡山JCT」で「東北自動車道」に入り一路、国見・蔵王を経て、目的地「仙台」へ。夕刻には雨も上がり、夕陽らしきものも見えてきました。





仙台のお宿「東急イン」に着いたのは、夜7時過ぎでした。4人うち揃って仙台駅近くのお店で暫し食事と歓談。その折の御馳走が、今回冒頭の旬の魚「秋刀魚の刺身」デス。


12日朝は晴れ渡った青空、8時前に最初の訪問地「石巻」に向けて出発。仙台市街地を抜けて「三陸自動車道」で「石巻」へ。「石巻仮設住宅自治連合推進会」の訪問が10時であったので、会場の近くにある「石ノ森漫画館」のある場所をぶらりぶらり・・・・。



漫画館は津波で大きく傷んだ様子はテレビでもよくみましたが、現在は再び人気の場所になっていました。上の写真は、漫画館の前の草地に咲く雑草の花たちです。



漫画館の前に建つ十字架のある建物は、まだ修復中のようでした。漫画館の横を流れる川は北上川(?)でしょうか、綺麗な景色でした。