新著ブログ公開:『爽やかな風ー宗教・人権・部落問題』(第10回)



        爽やかな風


    −宗教・人権・部落問題ー


              第10回


  第三章 宗教の基礎ー部落解放論とかかわって


 長く日本社会の中で残されてきた部落問題が、国の法的措置のもとづく総合的で本格的な諸施策の展開により、漸くその解決の見通しが見えて来た1980年代を迎えるなか、部落解放論の基礎理解の上でも検討課題も多く、その上にわたしの課題でもある「宗教と部落問題」に関しても吟味を迫られている事柄が山積していました。


 ここに収める作品は、兵庫部落問題研究所の研究紀要『部落問題論究』第8号に寄稿したものです。1983年8月に発表したもので既に30年前の状況下での省察ですが、残念ながら日本の仏教界の現状は、第1章で言及したようなまま推移しているごとくです。


   第1節 「宗教と部落問題」素描


    1 当面する検討課題


 「宗教と部落問題」についての問題関心は決して近年にはじまったものではない。部落の起源論にかかわっても、また部落解放理論や解放運動との関連においても、宗教の問題は少なからぬ関心事でありつづけてきた。とりわけ仏教教団と部落問題との歴史的なかかわりについての研究は早くからてがけられてはきている(注1)。しかし、部落問題研究の全体的な状況からみて、この主題をめぐる研究活動は大幅に立遅れているといわねばならない。


 周知のとおり、この問題が大きくクローズアップされはじめたのは、いわゆる“差別戒名”問題(注2)および“町田発言”問題(注3)が集中的に俎上にのぼる一九七九年以降のことである。そうして、一九八一年三月には「同和問題にとりくむ宗教教団連帯会議」(注4)(以下「同宗連」)が結成され、宗教界に「部落問題フィーバー」が吹きあれたのである。


 こうした動向をどのように評価するか軽々な判断は困難であるが、一方に各宗教教団内部の教団改革の動勢と他方に解放運動団体(この場合「部落解放同盟」)の戦術の密接な関連もあって、あまりに作為的に「フィーバー」(注5)しているといった感じは否めない。


 ただこれまでの多くの宗教教団では、部落問題はほとんど視野に入ることがなく、ごく一部の人々の、文字通り開拓的な取りくみに限られていたことも事実であって、こうした問題提起を契機にして、それぞれの宗教教団が、その成立の基礎にかかわる問題として、組織的な取りくみをはじめていることには、一定の意義があるといえるであろう。


 問題はしかし、そこでのこの問題への把握の仕方と実践の内容である。すでに宗教界のこうした動向にたいする批判の声もだされているように(注6)、このあまりに作為的な嵐は、たんに部落問題の正しい解決の方向に逆行するばかりでなく、当然のこととはいえ宗教教団自体の改革さえおぼつかないことも危惧されている。


 あらためて指摘するまでもなく、宗教界・解放運動団体双方とも、少なくともつぎの二つの点がふまえられる必要があるであろう。


 第一は、部落問題の科学的な基礎的理解を厳密に吟味検討することである。もしもこの作業を怠るとき、主観的には誠実・善意であっても、結果的には部落問題解決に逆行する反動的な役割にくみすることにならざるをえないからである。 今日の宗教界の現況は、多くこの基礎的で初歩的な落し穴におちこんでいるともいえる。宗教界にいま求められていることは、何よりも部落問題を科学的に、その歴史、現状および解放への展望を探求することのできる視点を回復することであろう。もっともこのことは、解放運動にかかわる者の初歩的課題であると同時に、決して一朝一タに可能な課題でないことは言うまでもない。


 第二は、宗教(もしくは宗教批判)に関する基礎的な把握を厳密に検討することである。宗教の差別性を「糾弾」する解放運動は「口先では宗教を尊重しているようで、実は宗教そのものを否定するような、宗教にたいして無理解と思われるものが見られる」(注7)のも事実であろう。


 本章では少し立ち入ってこの問題の検討をおこなう予定であるが、こんにち解放運動をすすめる者のみならず宗教界自ら、この理解の見極めがあいまいな場合が少なくないのではなかろうか。いずれにもあれ、宗教と部落問題双方について、事実に即した科学的な認識をふかめることが不可欠な条件なのである。


 右の認識上の問題と同時に、実践上の問題にもふれておく必要がある。
まず宗教界の差別性を「糾弾」する解放運動のすすめ方の問題である。これまでしばしば、学校や行政、或いは企業にたいする「糾弾」と同様に、宗教界にたいしても、高圧的・一方的な闘争がつづけられてきた(注8)。すでにこうした動向にたいして、部落解放運動の側からも、誤った「糾弾」行為へのきびしい批判が提起され、宗教教団の主体的な取りくみを促す指針も出されるに及んでいる(注9)。そして、その後各地で、これまでの「糾弾」行為にかわる新しい解放運動のかたち「対話運動」が推進されつつあることは注目してよいであろう。


 こんにちの宗教界にみられる、あまりに作為的な嵐を現象させている他方の要因は、もちろん宗教教団自体にある。「糾弾」をうけることによってほとんどの場合、部落問題の科学的理解や実践方法の主体的検討を経る余裕もなく、特定の運動団体の主張を無批判に受け入れ、さらに実践的にも安易に「連帯」することで、ある種の免罪的ポーズをとるに至るのである。


 このように、解放運動(主として「部落解放同盟」)においても、また宗教界(主として「同宗連」)においても、部落問題認識そのものが新しくされることなく、従来にもまして痙攣した解放理論に、さらに宗教的化粧を上ぬりするかたちで、「共闘」「野合」するに至らざるを得なかったのが、現状のように思われる。


 いくらか数量的に、解放運動が宗教界を糾合し、宗教界が「連帯会議」を結成して解放運動に同伴しようとも、けっしてそれは、真実の意味での新しい一歩をふみだしたことにはならないであろう。私たちはこうした状況のなかで、たんなる教団政治の対策的な延命策、もしくは運動論的な戦術をこえて、運動・宗教ともどもに、基礎のはっきりした積極的な展望を見出すことをとおして、部落問題解決に責任をもち、真の宗教の革新に道をひらく努力をつづけなければならないのである。


    2 新しい視点の模索


 本来宗教は、人間の解放の基礎にかかわる積極的な基礎に立って、はじめてその存在理由を確かなものにすることができる。しかしながら、わたしたちの眼前にみる歴史的諸宗教は、まったくその逆に、多くその虚偽的な形態に転落してきたことは否めない事実である。


 したがって、これまで「宗教と部落問題」が論じられる場合ほとんどすべて、宗教教団が歴史的に果してきた否定的役割への指弾を内容とするものであった。いわゆる“差別戒名”に代表される歴史的諸事実に関するものがその典型であり、「宗教と解放運動は多く対立的否定的」(注10)関係がつづいてきたのである。


 しかし、こうした宗教の虚偽的形態が歴史的に支配的であったとしても、宗教はいつもそのような否定的機能をのみもつものと速断してよいであろうか。宗教は、虚偽的形態に転落する場合もあれば、宗教本来の真正形態として表現される場合も当然あるのであって、後者の場合は、肯定的・積極的機能をもって登場するのである。こんにちの制度化した宗教教団は、諸伝統に繋縛されて身動きのできないまま、その改革も刷新も絶望視されることも少なくないであろう。


 けれども、後にくわしくみるように、宗教にも宗教本来の積極的・創造的な基礎が存在するのであって、この基礎に裏打ちされて、はじめて成立してくるのが本来の宗教なのである。むしろ、この宗教の成立する基礎に着目することによって、文字どおりその基礎から宗教を新しくとらえなおすことが可能になる、とみることができるのである。


 ところで、宗教の基礎への着目・発見は、これまでにみられる宗教「糾弾」のような方法で果して可能なのであろうか。そこでは、虚偽形態としての宗教をただ告発・糾弾することに主眼がおかれてきたようにおもわれる。もちろんその場合でも、虚偽形態としての宗教は、厳密には宗教の基礎からの虚偽形態なのであるから、その虚偽性が「糾弾」されるとき、宗教の基礎とかかわるきびしい問いをともなうことは当然のことである。それは解放運動のあり方がきびしく問われる場合も、事柄の性格上同じことであるけれども、宗教の場合とりわけそのように「フィーバー」する傾きがつよくなる。


 しかもそこでは、あたかも「糾弾」する者たちが、宗教の基礎を私物化でもしているかのような高圧的・独善的な傾きからまぬかれることはきわめて稀であるといわねばならない。そして、「糾弾」される者たちは、宗教の基礎の発見のよろこびとは似て非なる、宗教教団および宗教者自らの「差別体質」の「自覚と反省」を求められることになる。


 宗教者のなかには、こうした「糾弾」を経ることによって、はじめて部落問題に目が開かれ、さらに新しい宗教的覚醒に導かれたと述懐する人々も少なくない。しかし、もしも本当に、こうした「糾弾」によって宗教の基礎に着目・発見したのであれば、むしろその人は、誤った「糾弾」にもかかわらず、宗教の基礎そのものの促しによって、発見のよろこびに至ったのだ、というべきであろう。


 いうまでもなく、部落問題にかかわる人々のなかには、多数の宗教者がいる。そうした人々の多くは、けっして「糾弾」によって立ちあがったのではないであろう。むしろ、もっと積極的に、この問題と意欲的にかかわる人々との出合いや、ごく日常的な差別の事実とのふれあいなどの何らかの機縁をとおして、部落問題と出合い、自発的にかかわりはじめたのではなかろうか。


 部落問題との出合いが、その人の生涯にとってどうしても避けられない課題として受け止められるに至るのは、何かの強制的な他律的義務感からではなく、まったく自由なよろこびの溢れのかたちをとることが、事実に即した見方である。その意味では、宗教の基礎との出合いが、部落問題とのかかわりを促し、また部落問題とのかかわりが、宗教の基礎の発見の機縁ともなることは、けっして不自然なことではありえない。むしろわたしたちは、この宗教の基礎の積極的な機能にこそ注目すべきではないかとおもうのである。そのことをふまえて、はじめて宗教批判も可能となるからである。


 こうした宗教の積極的な機能を、具体的なケースにあたりながら研究をすすめる加藤西郷氏らの労作(注11)は、私たちにとって共鳴するところの多いものがある。


 加藤氏は、周知のように、和歌山県有田郡吉備町の「ドーン計画」の歩みとその背景を探るなかで、住民の自立意識の形成に果した宗教の積極的な役割に注目するのである。残念ながらこうした事例は、まだ多く見出されてはいないにしても、部落内外に多数のこうした宗教的な証しは生きてきたはずである(注12)。


 とりわけ宗教教団レベルの問題や専門家の言動とは別に、いちいちの在家的宗教者たちの信仰や生き方のなかには、かくされたかたちで宗教の基礎はいきづいていたはずである。たんなる逃避的あきらめをもたらす否定的機能ではなく、差別を乗りこえて生きる勇気の基礎となり、また共に生きる知恵ともなる肯定的・創造的な機能が消えずに働いていたはずである。


 いまでは再吟味の必要な論点を数多くのこしているとはいえ、こんにちもなお読むものに感動をのこす「水平社宣言」や「よき日のために」にあらわされたいきづかいは、このような宗教的な背景を抜きにしては十分に了解できない消息である(注13)。


 問題なのはしかし、宗教はなぜ、肯定的にも否定的にもなりうるのか、人間の自由と平等をその根底から促す力ともなり、逆に人間を抑圧し有害な「阿片」に転落するのか、そのからくりの根もとを明晰判明にすることがなければならない。


 そこで本章では、少し迂遠な方法ではあるけれども、宗教の基礎論とかかわって論じてみようと思う。先にもふれたように、これまでの論調の多くが、この基礎論をぬかした宗教の現状(もしくは歴史)批判にとどまり、積極的な宗教理解(批判)の展開になりえていないようにおもわれるからである。


 また、「宗教と部落問題」が論じられるとき、部落問題の吟味に比して、宗教の検討が不充分なために、過熱する割にはあまり生産的なものをのこさずにきているようにおもわれるからでもある。加えて従来の論調のほとんどは、「宗教」も「部落問題」もいわば括弧つきの虚偽的形態をのみ念頭においてのもので、正常形態としての宗教と部落問題のかかわりは、むしろ背景におしやられたままであったのではなかろうか。このような現状をみるとき、あえて率直に、宗教の第一義的な基礎を明らかにする努力をとおして、結果的に宗教批判たりうるような新しい方法論的視点がとくに重要ではないかと考えるのである。


 その場合しかし、現代に生きる者にとってもはや無用の長物となったような「宗教」を再び復興させることに興味かあるのではない。むしろ、そうした「悪しき宗教性」は精算されるべきであり、「宗教」の根本的な変革をこそ、ともに求むべきであろう。おそらくこうした努力は、諸宗教の真の対話の基礎の探求であり、たんなる対策的野合を超えたかかわりが起こるにちがいない。また、さらにこのことは同時に、人間の自由と平等の基礎と別のものでないかぎり、部落解放論の基礎論的探求とも切り結ぶものであるはずである。


              


(1)宗教と部落問題の関連を、広い分野にわたって年表化した労作『同朋運動年表西本願寺教団と同和問題―−』(浄土真宗本願寺派同朋運動推進本部、一九八〇年)は、歴史的経過を学ぶ上で貴重である。なお、「宗教と部落問題」の前近代関係についての文献・史料は、津田潔『「部落史」に関する史料・文献目録−―前近代編(増補版)』(一九八一年)にくわしい。


(2)(3)(4) “差別戒名”“町田発言”両問題および「同宗連」に関しては、部落問題研究所と部落解放研究所から時を同じくして(一九八二年、夏)、しかも同名の書名で刊行された『宗教と部落問題』に、諸資料を含めて詳しい。本文でふれることのできなかった問題で、“差別戒名”問題についての、つぎの発言は注目させられるので紹介しておく。まず、日本カトリック正義と平和協議会の伊藤修一氏の「墓石に刻まれた差別戒名」の論稿のなかから。


 《……高野政夫さんも清水豊さんも、「差別戒名の墓石は、先祖が苦労の末に建てたもの、差別の重要な証言、私達の歴史的遺産として大切にまもっていきます。」「断じて撤去はしません。壊したりコンクリートで埋め込んだりはしませんよ。」「水平社の精神を父親の代から受け継いでいる私達は、差別の証し、闘いの糧として大切に保存していきます。」ときっぱりとこたえられた点が、何よりも心強かった。(中略)撤去され、改められるべきは、被差別部落の人々の過去や歴史ではなく、今日も差別を生み出している宗教そのものでなければならないのではないか。》(『伝統と現代』七三、一九八一年一一月号、九二〜九三頁)。


 つぎに、歴史研究家の成沢栄寿氏の「歴史的にみた末解放部落の戒名」の論稿のなかから。


 《……「差別戒名」の削除や改竄は史料の抹殺行為である。「差別戒名」を刻んだ墓碑の破壊も同様である。》(前掲書『宗教と部落問題』部落問題研究所、一八七頁)。


 さいごに、この問題の火付役(?)解同大阪府連文化対策部長・木津譲氏の「差別戒名をたどりつつ」のなかから。


 《……当時としては、墓をつくること自体、大へんな出費だったであろう。しかし、そんな出費をしても、「せめて死後の世界では……」という夢をたくして、無理をしてつくった墓である。そんな祖先の墓石を、誰が好きこのんで砕いたり埋めたりするものか。そのくやしさ、怒り、うしろめたさなど複雑な気もちがうずまいているだろうと思われる。しかしやっぱり、こうした墓は埋めるのではなく、解放のエネルギーヘと高めていかねばならない、と強く思う。》(傍点、鳥飼。『部落解放』一九七九年五月号、一〇六頁)。


(5)「部落問題フィーバー」なることばは、藤谷俊雄氏が「現代における宗教と部落問題」で用いた造語。(『部落問題研究』第六九号、一九八一年」一一月、三頁)。


(6)本稿も「批判の声」のひとつであるが、その「運動」に同伴もしくは共鳴する人々のなかからも、たとえば八木晃介「問われる宗教の内在論理」(前掲書『伝統と現代』七三所収)、辻内義浩「『同炎の会』の理念と運動」(同上)、丸山照雄「宗教界を揺がす差別問題の実態」(『現代の眼』一九八一年一一月号所収)など。なお、運動団体からの「批判の声」については、別に言及する(注(9)参照)。


(7)前掲書『宗教と部落問題』(部落問題研究所、六頁)。


(8) 同書、四〇頁以下の藤谷論文は、「町田発言」問題をめぐる「。糾弾」の経緯に言及している。


(9)全国部落解放運動連合会(略称「全解連」)は、一九八二年一月に「“差別戒名”など宗教界の当面する諸問題についての全解連の態度」を発表し、内外に注目された。(同書、一八九頁以下参照)。


(10)前掲書『宗教と部落問題』(部落解放研究所、一頁)。


(11)加藤西郷氏らの共同研究の成果である『同和問題研究資料―和歌山県有田郡吉備町調査報告』①〜④(龍谷大学同和問題研究委員会、一九七九年〜一九八二年)のほか、「部落」一九八一年四月号および前掲書『宗教と部落問題』(部落問題研究所)所収の「宗教と部落問題―宗教の役割と意義」など参照。


(12)たとえば、工藤英一氏・萩原俊彦氏らによってすすめられている明治・大正期キリスト者たちの部落問題の取りくみに関する研究成果はその例証でもあろう。工藤氏の『福音と世界』(一九七九年)連載論文などは近く『キリスト教と部落問題』(新教出版社)として刊行予定(補註日一九八三年一月刊行された)であり、萩原氏のものは「対談・郡馬県の水平運動とキリスト者清塚良三郎」(『史朋』一五号)ほか参照。


(13)拙稿「部落解放論の基調を問う―全国水平社「創立宣言」の批判的検討」(「九州大学新聞」一九七八年一〇月二五日号)参照。