新著ブログ公開:『爽やかな風ー宗教・人権・部落問題』(第8回)



         爽やかな風


      −宗教・人権・部落問題ー


             第8回



   第二章 新しい歴史の創造とわたしたち


   (前回の続き)


    第2節 部落問題との出合い


     1 随順・修行・卑下・社会性


 ところで、われわれのこれまでの歩みで、もし少しでも積極的なものがあるとすれば、それはただ、瀧澤・延原などのこの道の先達の指し示す、根源的基点の力にのみよるのである。


 もうすぐに10年ほど以前、1967年と68年の二回にわたって「牧師労働ゼミナール」〔日本基督教団兵庫教区職域伝道委員会主催〕が開かれた。いずれも尼崎教会を宿(どや)として、20名ほどの牧師たちが約1週間、工場労働を経験しながら共同生活を試みたのであった。題して「私は働きます」〔第1回〕、「わたしについて来たいと思うなら(マルコ8・34)−修行・卑下・社会性」〔第2回〕。


 一般に牧師は、「世俗」の労働につかず、もっぱら教会の宣教と牧会を中心とした務めに就く。しかし、その務めそのものが正しく成り立ち健やかに展開されるためには、牧師みずからが、根源的基点(《インマヌエルの原事実《Urfactum》〔瀧澤〕・「実在的接点」〔延原〕)による新しい思惟に目覚め、その動態に組み込まれているのでなければならない。かつてわれわれも小さなパンフ『現代における教会の革新―特に「礼拝のあり方」に関連して』〔1964年〕で、ささやかな試みを提示したが、さらにこれは、われわれ自身にとって牧師みずからの新しい出発へと進まねばならぬものであったのである。


 「僕たちは、献身をして神学部で修行時代を送った。〔中略〕僕は今、ひそかに感じているのであるが、1週間の修行を、更に延長して、何のカタガキもない働き人として修行に出る」〔第1回報告書〕ことを意欲し、さらに翌年には、「自らの生き方のひずみを建て直していくという、最も基本的な出発点へと連れ戻され、その出発点から新しく生き始めるところに、思いがけない不思議な道が開けてくる」〔第2回報告書〕ことを見たのである。


 このようなウォーム・アップのあと、われわれはこれまでの「教会」を背にして、自称「労働牧師」としての新しい出発をした。もちろん、それは確かに人の言うとおり、「ひとりの牧師が減って、ひとりの雑役工が増えたに過ぎない」とも言えるであろう。「職安」で探し当てた「N化学」のロール場で、そこの雑役工がわたしの「仕事場」であった。それまで読むことを禁じていた、シモーヌ・ヴェイユの『工場日記』も、新しい労働のなかで読むことができた。


 「夕方、疲れがない。美しい太陽が照り、さわやかな風の吹く中を、ピュトーへ行く、――〔地下鉄、相乗りのタクシー〕バスで、ドルレアン通りまで行く。快適、――B・・の家へ上がる。そして、遅く寝る。」〔『労働と人生についての省察』所収、79頁〕


 これまで経験をしなかった新しい生活ではあるが、こうして「働くこと」は、人としてあまりに当然のことであって、決して特別のことではない。ひとは、この働く生活のなかで、信じて生きるのである。内村鑑三のあの気迫に満ちた『聖書之研究』など、新しい生活に活力を呼び覚ます貴重なものであった。次に,拙稿・日録『解放』からその一部をあげる。


 「生活の中から自覚的につかみとった言葉,それが『解放』!なのだ。ベルジャエフの『真理とは何か』や『奴隷と自由』は深い励ましになった。部落及びゴム産業の現状も深い問題意識を呼び覚ましてくれた。僕のこれまでの生活の中には欠落していた言葉、それが『解放』であったのだ。そして、あらためて個人的にも社会的にも、古い我から、形骸化した諸伝統から解放されて、自立した新しい我、解放された我を常に探求していくことの悦びを知ったのである。解放! この言葉によって響いてくる声を洞見しながら歩まねばならない。」


 こうして雑役工が数年後、ようやくロール士という一職人として成長した。そして、いくたびかの倒産の後、急性腰痛症で労災認定、転職のやむなきに至る。

 
    2 部落解放理論の基礎視座


 労働の場をゴム工場の雑役工に、居住の場をいわゆる未解放部落に定めたのであるが、とくにこの「部落解放」の課題は、一住民・一生活者としての不可避的なとりくみとして関わることとなる。


 周知のとおり、部落解放の全国的な組織的運動は、大正11年のあの「全国水平社」の創立を起点としている。この運動の基調となるものは、同年2月、水平社創立発起者のひとり西光万吉の起草といわれる、次の呼びかけ趣意書『よき日の為に』に窺うことができる。


 「人間は元来勦はる可きものじゃなく尊敬す可きもんだ――哀れっぽい事を云って人間を安っぽくしちゃいけねぇ。〔中略〕吾々の運命は生きねばならぬ運命だ。親鸞の弟子たる宗教家?によって誤られたる運命の凝視、あるいは諦観は、吾々親鸞の同行によって正されねばならない。即ち、それは吾々が悲嘆と苦悩に疲れ果てて茫然としてゐる事ではなく――終わりまで待つものは救わるべし――と云ったナザレのイエスの心もちに生きる事だ。〔中略〕吾々は大胆に前を見る。そこにはもうゴルゴンの影もない。火と水と二河のむこうによき日が照りかがやいている。そしてそこへ吾等の足下から素晴らしい道が通じている。〔中略〕吾等の前に無碍道がある。〔中略〕起きて見ろ――夜明けだ。吾々は長い夜の憤怒と悲嘆と怨恨と呪詛とやがて茫然の悪夢を払ひのけて新しい血に甦へらねばならぬ。」


 ここには、確かに足下の無碍道への基本感覚とその息づきを了解できる。日本における最初に人権宣言とも言われる「水平社創立宣言」〔西光万吉起草〕も、人間であることを極度に冒涜され,心身の苦痛をまぬがれ得ない境遇の只中で、「なお誇り得る人間の血は、涸れずにあった」ことへの驚きと感謝をこめて、新しくとらえなおされた「人間の誇り」を高調している。人間の恣意や境遇によっては微動だにしない固い基盤に撞着し、この支えと励ましに照応して、ただちに立ち上がり得る実在根拠・可能根拠が、ここには気付かれているのである。          


     3 『私たちの結婚』を編んで


 しかし、この運動の初発性がそのまま無批判に是認されてよいと言うのではない。ここにもなお清算されるべき近代主義《Modernisumus》を同伴させていたのであり、その後の戦争を挟んでの試行錯誤と悪戦苦闘の歴史のもつ問題性は、今日もわれわれに引き継がれているといわねばならない。


 部落解放理論の探求においても、また具体的な実践・運動方法においても、これまで貴重な遺産を遺しているが,われわれはこれをさらに厳密に,根源的基点から批判的に検討・吟味していく必要があるのである。


 部落解放運動は、たんなる内的な被差別感情や、ふっきれない怨念を基礎とすることはできない。とりわけ部落解放理論の基礎視座は、これらを超克する積極的視点が回復されなければならないのである。(拙稿「部落解放理論とは何か》『RADIX』第八号所収」


 昭和25年3月号の雑誌『部落問題』は「部落と結婚」を特集し、次のような「あとがき」を載せていた。


 「『わが青春に悔いなき』人生を,部落の若人達は幾人ほほえんでいるでしょうか。因習を超えて結ばれた愛が、生木を裂くが如く破れんとしている事実、わたしたちは余りの多く知っています。
 しかしながら、冷たい長い冬の、荊の道を辿りながら、堅く結ばれた愛を見事にみのらせた美しい事例を,今は,二つ三つと数えることができるようになりました。」


 このように言われてから、はや四半世紀が過ぎた。その間、部落問題をめぐる状況も大きく変化し、「愛を見事にみのらせた美しい事例」も、今ではけっして珍しいことではないのである。


 最近《1975年》、部落問題との関連の仕事のひとつとして、差別を乗り越えて結婚を実現させた18組の夫妻を訪ね,その打ち明け話をきく機会を得た。そして、そのなかの13組の証言を収録・編集し、『私たちの結婚―部落差別を乗り越えて』〔兵庫部落問題研究所、1976年〕として刊行した。


 この問題への従来の接近方法は、差別の厚い壁ゆえに結婚が実らず、時には若い生命さえ捨てざるをえなかった諸事例に焦点をあて、今日における部落差別の厳しさを告発することに主眼がおかれてきた。


 しかし、今回のわれわれの方法は、人間としてのもっとも基本的な関係の成立のひとつである「結婚の絆」は、まったくの虚偽形態に過ぎない部落差別などによって、断じて踏みにじられてはならないことをはっきり押えた上で、直面する一つ一つの壁を、ていねいに乗り越えてゆく、若者たちの力強い歩みを、より前面に証示することにあった。


 事実,現代の若者たちは、部落差別のからくりを歴史的・社会構造的にも正しく見抜いている場合が多い。そして、不当な壁に直面すればするほど、逆にふたりの「愛の絆」がいっそう明らかになり、結婚の成立が,ただ単にふたりの思いつきや偶然によるのではなく、隠れた固い絆によることが、あらためて了解されてくる。それと同時に他方,結婚成立の積極的な根拠が正しく受け入れられることが、部落差別の虚偽性をもっとも根源的な基点から見破る、ひとつの大きな鍵ともなるのである。


 この仕事のなかで、われわれに強い印象をとどめた点は、新しい友情の世界の息づきである。壁を乗り越えるために、苦しみを共にする若い男女を支援し、祝福し、励ます友情の輪の美しさである。ふたりの愛とこれらの友情の結晶が、堅く閉ざしていた心の扉を開かせることにもなり、深い反省のうちに、真実の親子・兄弟関係が回復されてゆくのである。
           

    (つづく)