新著ブログ公開:『爽やかな風ー宗教・人権・部落問題』(第7回)



       爽やかな風


    −宗教・人権・部落問題ー


                (第7回)


   第2章 新しい歴史の創造とわたしたち    


 よい友だちとよき師に出会うことのできた喜びは、前の章で少し触れました。この第2章に収める作品は、世界的な激動期でもあった1970年代の半ば過ぎ、当時の総合雑誌『世界政経』が1977年1月号で「新しい価値創造と歴史意識」という特集を組み、その折り求められて執筆したものです。原題は「現代の危機と革命神学」といういくらか勇ましいものでした。わたしもまだ30歳代の作品です。


    第1節 晴朗なる徴表


      1 近代主義を超克する視点


 近年急速に宗教に対する積極的な関心が強まっている。それはたんに既存の制度的な宗教への期待というのではない。むしろ、今日の宗教を批判的に止揚し、宗教そのものを成立させる当のもの、つまり根源的基点とでも言いあらわすべきものへの積極的な関心であり、この根源的基点から湧出するところの、新しい思惟と行為への期待なのである。


 近代、ことに日本の近代は、この根源的基点への探求を正確にたどるゆとりのないまま、近代化を驀進せざるを得なかったのであるが、現代に生きるわれわれは今、この近代の空洞に痛切に気付きはじめている。すなわち、人間としてのもっとも重要な「足台」がしかと踏みしめられず、大地から足が浮いていたことにも気付くことなく、漠然とした近代人の誇りに翻弄されながら、ここまで突っ走ってきたのである。そして物質的・精神的を問わず、この根源的基点の曖昧と無視によって、『私的簒奪』《Privateigentum》を招来し、あらゆる時と場所で抑圧と差別を結果せしめてきた。


 従来の近代主義的な宗教も、ほとんどの場合、この近代の空洞と抑圧・差別を、根源的基点から解放する知見を身をもって証しするかわりに、これにつけいり逆用して自己目的的な「宗教の復興」をもくろむことをよしとすることで、今日まで生き延びてきたと言わねばならない。それもまったく「善意」のうちに。


 あらためて指摘するまでもなく、現代に生きるわれわれにとってもっとも重要な課題は、これらの「宗教の復興」で近代の空洞を安易なかたちで埋め合わせることにあるのではない。むしろまったく逆に、「宗教」を含むすべての思惟と行為の根源的基点を明らかにし、そこから湧出する新しい思惟と行為を証示することにこそあるのである。


 もともと宗教はもっぱらこの課題に答えることを本務とする。つまり、人間の営みのもっとも根本的な出立点とその帰趨にかかわる事柄を明晰判明にすることにあるのである。したがって、宗教は万人共通の心の基軸・芯にふれる、朝夕瞬時の具体的な事柄だと言わねばならない。


 このような視座から見るとき、じつに幸いなことなのだが、新しい思惟と行為の根源的基点を明らかにする晴朗な徴表《Symptom》のあとは、すでに着実にたどられていることを知ることができる。


 その第一人者は、何と言っても、あのユーモアにあふれた20世紀を代表する神学者カール・バルト(1888〜1968)であろう。彼は、日本では『モーツァルト』〔新教出版社、1966年〕などで知られる以外多くは知れていないが、少なくとも神学・哲学の世界においては、あまりに著名な先達である。なかでも彼が「発見者の喜び」のうちに物した画期的名著『ローマ書』以後、エーミル・ブルンナーの近代主義的思惟の残滓をもつ「自然神学」《Theologia naturalis》を厳しくしりぞけ、断固たる「否!」《Nein!》をなげつけたことは有名である。まさに彼の神学は、その断固とした表現のなかに、新しい思惟と行為の根源的基点を証示する「発見」《Entdeckung》の迫力がこめられている。


 そして、さらに幸いなことに、この画期的な「バルト神学」にもなお清算すべき旧い思惟、つまり孤立的・抽象的な西欧的思惟の習癖が残るとして、1934年以来今日まで、日に日をおっていっそう思索の厳密を期す「神・人学者」瀧澤克巳(1909〜)があげられる。〔カール・バルトは、神学を「神・人学」《The−anthropologie》と呼んだが、瀧澤の学問は文字通りそれにふさわしいであろう。〕


 瀧澤の著作は、『著作集』全10巻〔法蔵館〕のほか多数におよび、多くの人々によって深く読まれつづけている。ただし、瀧澤の師・西田幾多郎が最晩年に「私の論理というのは、学会からは理解せられない、否未だ一顧も与えられない」〔絶筆「私の論理について」〕と記したごとく、彼の学問にたいしても同様の事態のあることも否めないところである。


 しかし、現代に生きるわれわれが、今ここで「新しい一歩」を踏み出し、真正の宗教の基点を問いなおし「新しい歴史の創造」に参画しようと志すとするならば、どうしても西田の『思索と体験』のあとに、また瀧澤の『わが思索と闘争』のあとに、学ぶ必要のあることだけは確言できるであろう。


    2 絶対無償の愛・歓びの湧出


 カール・バルトはその絶筆『最後の証し』〔新教出版社〕で次のように述べている。


 「単なる倦怠、単なる批判、従来のもの――現今の言葉で言えば既存の体制(エスタブリッシュメント)――に対する単なる侮蔑と抵抗は、教会の大いなる出発の運動とはまだ何の関わりも持たないのです。」〔99頁〕


 この指摘は、われわれの思惟と行為の根源を問いなおすための忠告として、今日も新しく聴かなければならないものである。


 さて、先にあげた瀧澤の、バルト神学の批判的吟味をとおして獲得した「新しい思惟」の証示とともに、われわれにとって大きな力となったものは、同じくバルト神学と対決折衝しつつ独自な神学〔たとえば、あとで少しふれる「平和の神学」〕を展開する若い神学者・延原時行〔1937年〜〕の歩みである。


 延原は、1964年の春から、兵庫県川西市に「加茂兄弟団」を設立し、当初土方をしながらの「自立的牧師」として歩みだした。それは、いわゆる「教勢拡張的伝道」ではない、新しいかたちの「友達づくり」と「新しい聖書研究」のなかから、「教会の大いなる運動」〔バルト〕につらなる稀有な牧師の誕生であった。「兄弟団」の手づくりの雑誌『雄鹿』創刊号〔1964年〕の巻頭エッセイは、今も忘れることの出来ないものである。その一部を次に引用しておきたい。


 「わたしは鹿である。谷川を求めて歩く孤独な鹿である。〔中略〕さようなら、過去よ。私は鹿だ。私は谷川と共に流れるのではなく、谷川を奥へ奥へとより深き水のあるところを求めて、流れに逆らってたどらざるを得ない雄鹿なのだ。途中で倒るるも本望である。真理を求めながら死んでいったと、そう言われるだけでよいのだから」


 ここには、「真理」につかまれた人間の、絶対無償の愛に撞着した男の、歓びの湧出のサマが躍動している。そして、これまで『雄鹿』〔9号〕、『BAMBINO』(62号)、『在家基督教通信』〔1号〕をはじめ、『BAMBINO叢書』の刊行などにおいて、数々の独創的試論が展開されてきている。なかでも、『「イエス・キリスト」問題へのanalogia actionis〔行為の類比〕の提言〔増補版〕』〔『BAMBINO叢書1』〕で展開された、「言語概念」〔ここでの「新しい思惟」〕と「行為概念」〔同じく「行為」〕の区別と関係の解明は、とくに重要な学問上の貢献と言わねばならない。ここでは立ち入って論究・検討することができないが、これは現代の、特にキリスト教神学の直面している問題の、原理論的〔教学的〕考察であり、問題の所在を明晰にしつつ、その解決の方向を積極的に提示したものである。彼は、先の『雄鹿』のごとく「谷川を奥へ奥へとより深き水のあるところを求めて、流れに逆らってたどる」その途上において、瀧澤「神・人学」に出合い、いっそう根底の固い、独自な行為論と組織論を展開する。


 このように、「新しい思惟」〔瀧澤〕と「新しい行為」(延原)が、それぞれその成立の根源的基点から躍動するところに、今日の宗教の新しい胎動のひとつの徴表を見ることができるのである。 


   (つづく)