新著ブログ公開:『爽やかな風ー宗教・人権・部落問題』(第2回)


        爽やかな風


ー宗教・人権・部落問題ー




  第1章 「対話の時代」のはじまり

        ―宗教・人権・部落問題


 まず本章では、序章もかねて「宗教・人権・部落問題」の副題をつけた概括的で総論的なエッセイを公開いたします。既に17年もの歳月も経ましたが、あの「阪神淡路大震災」を経験し14階建ての高層住宅が全壊となり、避難先で書き下ろしたものです。1997年2月23日、57歳の誕生日を迎えたときに小さなブックレットとして、友人たちに手渡した作品です。


   第1節 万人の事として


   1 宗教・人権・部落問題


 最終段階を迎えた部落問題 本章の主題は「宗教・人権・部落問題」です。限られた誌面で欲張ったテーマを掲げています。「宗教」と「人権」については世界的な関心事でもあり、とりわけ日本において、二一世紀を目前にした大きな検討課題です。わたし自身にとってもこれは、個人的ないわばライフワークの課題でもあります。とはいえ、もっぱらいまわたしの当面の問題関心は「部落問題の解決」にあります。


 御存じのように、日本における大きな社会問題のひとつとして存在しつづけた部落問題は、『最終段階を迎えた部落問題』(新井直樹)『部落問題解決の最終段階を迎えて』(杉之原寿一)といった書物が次々と登場していることからもわかるように、この課題は文字どおり「最終段階」に到達していることは、多くの人々に受け入れられているところです。


 戦後社会の大きな変化もさることながら、一九六〇年代以降の集中的な取り組みによって、日本における部落差別問題は急速に解決の方向にすすんでまいりました。一九六九年からはじまって二八年間という長期間にわたって継続されてきた「同和対策」の特別法も、ようやくにして本年(一九九七年)三月末をもって終了します。あとは経過措置として、ごく限られた事業にのみ激変緩和の措置が取られ、「同和対策事業」が終了いたします。(補記:法的措置はなお五年間延長され、二〇〇二年三月末までとなりました。)そして、これまでの「同和教育」や「同和啓発」として取り組まれてきた分野も、基本的に見直しをすすめながら「人権教育」「人権啓発」などと名称を変えて「再構築」されていくことをめぐり、ひろく検討がおこなわれています。現在、部落問題の最終的な解決というプロセスのなかで重要な節目にありますが、これらの課題に関連しても紙面の許すかぎり触れてみたいとおもいます。


 ここでひとこと記しておきたいことは、物事(歴史)は、単に連続して移行するのではなく、つねに「非連続の連続」として飛躍・発展するものであるという一事です。ですから、メリハリが必要です。例えば、これまでの「同和教育」がダラダラと今後も「人権教育」に連続的に移行するのではありません。それには、これまでの取り組みの成果と問題点を的確に総括することが前提になります。従来の「同和教育」「人権啓発」はあまりに多くの試行錯誤を重ねてきただけに、特にこの点の見極めは重要であるとおもわれます。


 いま「人権教育への再構築」ということが、「国連人権教育の一〇年」と重ねられて提唱され、一部では「同和教育(啓発)=「人権教育(啓発)」とあたかも同義語のように用いて、従来の過ちを強引に増幅する傾向さえ見受けられます。そして「人権擁護施策推進法」がつくられ「審議会」が設置されようとしています。いずれにいたしましても、わたしたちは「部落問題の解決」という固有の課題の推移をハッキリと見定めることが大切であると同時に、他方では「部落問題」という限定された狭い窓から「人権問題」をとらえることを慎まなければなりません。 「人権」については、これからたずねていく課題ですが、新たな接近の仕方がいま求められています。


 21世紀を待たずに  わたしたちはこれまで「二一世紀まで部落差別を持ち越さない」ことを合言葉にして、目標のハッキリした取り組みを一歩一歩すすめてきたつもりです。すでに早い段階から、部落問題の解決をはかる「四つの指標」をかかげてきました。一つは、生活環境や生活実態に見られた周辺地域との「格差の是正」、二つ目は、たとえ誤った考えや偏見が一部に残されていても、それを受け入れない民主的な「地域社会の形成」、三つ目は、自立を遅らせるような生活態度や生活習慣が残されておれば、それらを地域のなかから克服していくこと、そして四つ目には、あらゆる分野での障壁をなくして、自由な社会的交流・融合・連帯を実現していくことが、トータルな視点として確かめあわれてきました。


 同和対策法の終結を前にして、一九九三年には総務庁による全国的規模の総合的な実態調査が取り組まれ、膨大な調査結果も公表され、わたしたちの神戸市はもちろんのこと、各自治体においても独自の実態調査が実施され、報告書がまとめられています。これらの最新の調査結果については、杉之原寿一氏(神戸大学名誉教授)の労作によって簡潔にまとめられ(総務庁調査は『部落の現状はいま』(部落問題研究所刊)、各自治体調査は『部落問題解決の到達段階』(部落問題研究所刊)『「同和啓発」を問う』(兵庫部落問題研究所刊)広く活用されています。そこでも明確に示されていますが、こんにちの同和地区の実態は、先の「四つの指標」から見ても基本的に解決された状態を迎えていることが分かります。まさに二一世紀をまたずして、それらの指標が現実のものになっているのです。


 今日を迎えるまでには、地域の人々はもちろん実に多くの人々の苦労が積み重ねられてきました。特に、かつての厳しい不当な差別の現実のなかで生活を強いられてきた年輩の人々にとって、この急激な地域の変貌と社会の変化は、予想をはるかに越えたもので、その感慨もとりわけ深いものがあります。


 わたしたちが暮らしてきた神戸の地域は、今あの大地震で大きな被害をうけましたが、大地震がもし三〇年前に襲っていたら、まさに壊滅的な事態を迎えていたことでしょう。幸いにも、この間の住環境の集中的な整備がすすめられたことによって、多くの生命を守ることができました。


   2 残されている部落問題と宗教界


 現実に背を向ける しかし、こうした現状に到達しているにもかかわらず、到達した現実をありのままにみることを拒み、かたくなに差別の厳しさのみを強調している人々も、少なからず存在しつづけています。部落解放運動を担う人々のなかにも、また「解放教育」をすすめようとしてきた先生方のなかにも、いまだに旧態依然とした発想と取り組みに固執している場合も残されています。


 もう二二年前(一九七四年)になりますが、日本の教育史上未曾有の「集団暴力リンチ事件」が兵庫県の但馬地方で起きました。わたしたちにとって生涯忘れることのできないあの「八鹿高校事件」です。この事件は、ゆがんだ解放運動の頂点であると同時に、解放運動の逸脱・堕落が日常化する渦中でおきた事件でした。この裁判闘争は、裁判史上でも特筆すべき歴史的なたたかいとなりましたが、ようやく九六年二月の最高裁の判決をもって関連するすべての裁判が終了し、「部落解放同盟」の関係者の「有罪」と、被害を受けた先生方の「完全勝訴」が確定いたしました。


 運動の未熟とはいえ、暴走した解放運動はその後も内部変革ができず、一部の政党や労働組合、そして全国同和教育研究協議会などまでが、不幸なことにこの「暴力犯罪」を支持・支援し、ほとんどのマスコミもこの「事件」さえ報道しませんでした。


 警察に守られて公然と白昼に、それも「解放運動」の名で「暴力」を繰り返したあの姿は、まことに無残なものでした。こうして、実に実に長かった裁判がすべて確定した現在でさえ、これらの運動団体や政党・組織は、なんらの反省や謝罪の意志もしめす勇気を持つことができていません。とくに「差別糾弾闘争」の時代は過ぎており、地域の人々の意識や感情もすでに大きく変化しているにもかかわらず、なかなか発想の転換ができないでいます。

 宗教界の「部落問題フィーバー」 ところで、このような「差別糾弾闘争」を長年にわたって積み重ねてきた「部落解放同盟」は自治体(行政)や教育(公立私立を問わず大学も)ばかりでなく、企業やマスコミ、また文学の世界などに対しても「確認・糾弾」をつづけてきました。


 ここで取り上げる「宗教」の世界もその例外とはなりませんでした。むしろ、宗教界においては歴史的に独自の封建的な残りものをひきずっており、水平社運動の初期の段階から厳しい問題提起がおこなわれてきました。戦前の時代のことはともかく、先の「八鹿高校事件」のような暴力事件が頻発しはじめて以後、とりわけ一九八〇年前後からは、宗教団体にも集中的な「確認・糾弾」が重ねられるようになりました。


 宗教界の内部のことは、ほとんど外部の人には知られることはありません。それでもみなさんのなかには「町田発言」問題といわれるものは御存じの方もあるとおもいます。この「町田発言」といいますのは、当時曹洞宗の宗務総長であった町田宗夫氏が、一九七九年の第三回世界宗教者平和会議で発言した、次のようなものでした。「日本の部落問題というのは今はもう有りません。だが、これを理由にして、何か騒ごうとしている一部の人たちはあるようですが、日本の国の中で差別待遇ということは全くありません。だから、これは(報告書の中から)取り除いて欲しい。日本の名誉のためにも、とおもいます。」


 この「発言」は、問題を含んだ発言であるととられる方もあるでしょうが、「差別発言」であるのかどうか。ひとつの意見として述べられたもので、異論をそこで発言して決すればいい「発言」です。ともかくこの「発言」がのちに問題視され「宗教教団への確認・糾弾」がエスカレートしていきました。


 そして、古くから研究者の間でも指摘されていた「差別戒名(法名)」問題もこの時点で新たに取り上げられていき、宗教界はついに、一九八一年三月に「同和問題に取りくむ宗教教団連帯会議」(「同宗連」)とよばれる新しい組織をつくり、部落解放同盟との「連帯」行動を開始することになります。このときから数えてもすでに一五年あまりが過ぎました。


 当時、研究者としてこの問題を憂慮しておられた藤谷俊雄先生が、これを「部落問題フィーバー」と名付けましたが、基本的には現在でもこの状況はいっこうに収まっていないのです。むしろ一部では、教団内部の事情もあってか、いっそうそれが過熱しているようでもあるのです。


 爽やかな風を すでに四五回をかされる全国部落問題夏期講座は、九六年七月末、大阪の中之島公会堂を主会場に開催され、その二日目に「宗教と人権問題」という分科会が設置されました。この講座には全国からの参加者かあり、宗教団体に属しておられる人々から、切実な訴えも出されました。わたしもこの分科会に参加し、「宗教と人権問題−その基礎理解を求めて」と題する報告をいたしました(当日の記録は『部落』一九九六年一一月号に掲載)。


 この課題についてはこれまで、基本的な問題については『部落解放の基調―宗教と部落問題』(創言社刊、一九八五年)において、また所属する日本キリスト教団で大きな問題となった「現代教会と賀川問題」に関連する具体的な事柄については『賀川豊彦と現代』(兵庫部落問題研究所刊、一九八八年)において、それぞれ率直にわたしの見解を論じて積極的な「対話」をもとめてきました。


 しかし、この夏期講座の経験をきっかけにして、あらためていまこの段階で、さらに語調を変えて、考えをまとめておく必要を覚えさせられました。何ができるわけでもありませんが、部落問題の解決が最終段階にきているなかで、日本の宗教界にも、いま現実に吹いている爽やかな「自然の風」を、ほんのちょっとでも届けることに役立つならばと願い、この課題に取り組むことにいたしました。


   3 万人の事としての宗教・人権


 「開かれた対話」を ところでしかし、現在それぞれの宗教界が抱え込んでいる問題は、上に見たような部落問題や人権問題との関連だけから考えても、各教団の歩んできた歴史的な経過や教団独自の伝統などもあり、外部から一方的にうんぬんできるものではありません。そしてまた、これまでの宗教教団の取り組みがすべて的外れで問違っていて、何らの生産的なものも残してこなかったのかといえば、けっしてそうでもない部分が含まれているはずです。これまで気付くことのなかった問題が、はじめて自覚的に、教団の組織上の問題や教学上の吟味に向かうこともあったとおもいます。


 これらの事柄について、それぞれの関係者のもとで自由に批判的な検討を深めることが必要です。部落問題にかかわる取り組みの歴史は、いつも過熱して行き過ぎたり、不本意な苦い経験がつきまといます。そのことをはっきりと文章にしたり発言したりすることは、少なからぬ勇気を要します。そうしたことは、実際にその渦中にあった人々でなければわからないことですから、当事者たちの正直な自己批判的な吟味がどれほど深められ、内部から乗り越えられていくのかにかかっています。それをとおして、若い人々の新しい視点からの参画もすすみ、二一世紀を迎えていくのでしょう。


 わたしたちの場合は、教団に属しているとはいえ、日々の地域における生活と部落問題の研究分野のことが専らであって、教団政治や教団内部の取り組みからは、一定の距離を置いてまいりました。つねに「開かれた対話」を期待しながら歩んできたつもりですが、諸個人の方々との「対話」は別にして、期待している生産的な「対話」は、これからの楽しみに残されています。


 ただ、現在の宗教界にはまだ十分に、自由で開かれた「対話」の精神が息づいているとはおもえません。まだまだ、どこかひきつった空気が支配的で、内部からも外部からも自由に批判を受け入れ「対話」を楽しみ、公明正大な研究と実践が促されるような「明るさ」があまりに少なすぎるようにおもわれます。


 この「壁」を超えて、真理のまえで謙遜になり、相互批判をごまかさないですすめながら、お互いに尊敬しあえる関係を生みだすことができるかどうか。こうした課題についても視野に入れて、これからたずねてみたいとおもいます。


 人生を信頼して ですから、できるだけ基礎的なところからコリをほぐしていく作業がもとめられています。普通「人権問題」「差別問題」となれば、異常なほどのこわばりと緊張をもって「対応」するものですが、宗教界の場合はまさにそれで、教団内部に向かってもそれが際立ちます。そんな「こわばり」がほぐれ、無用な「過熱」を鎮め、「真理・真実」はけっして自分だけでにぎりしめたり「所有」したりできないものなのだということだけでも、共通認識になればいいと考えています。


 そして、こうした問題について強い反発と懐疑を抱いておられる方々や、無関心を装ってかかわりを持とうとされてこなかった大多数の方々にも、小さな風穴かほんの僅かな窓でも開けることが出来るなら、問題の解決にはそれだけでも意味があるのではないかとおもいます。


 いつの時代でも組織の中枢におられる人々――宗教教団の場合は教団政治を担う人々の豊かな「良識」と「見識」が、大きく世界を変えていきます。同時にまた、それ以上に、世界を構成しているわたしたちひとりひとり――「門徒」「信徒」のひとりひとり――が、どれだけ自由に自分たちの人生を信頼して、「信ジテ生キル」よろこびが息づいているかどうかで、世界の空気はすっかり変わってきます。


 またここで、わたしのいちばんの願いをかくさずに申しますと、これからともに考えてみようとすることは、特定の宗教教団に所属しておられない人々、また「宗教」というものに対して否定的、あるいは反宗教の立場を自覚的にとっておられる方々を(こそ)視野において、この問題を見ておきたいと願っています。


 限られたなかで、半分は主として「宗教」と「人権」に関しての基本的・基礎的な課題を考え、後半で現在の問題状況を乗り越えるために、これからの諸課題のいくつかを検討してみたいと考えています。