「KAGAWA GALAXY 吉田源治郎・幸の世界」(50)シュバイツァー「原生林の片隅にて」を読む


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「KAGAWA GALAXY吉田源治郎・幸の世界」(50)


http://k100.yorozubp.com長期連載(150回)補充資料


第5回 「シュバイツァーの「原生林の片隅にて」を読む」(21)
吉田源治郎訳 シュバイツァー著『宗教科学より見たる基督教』
(原題『世界の諸宗教と基督教』)付録。大正14年9月8日、
警醒社書店より刊行


 シュワイチェルの「原生林の片隅にて」を読む


                               吉田源治郎


          十四回 生命への敬虔の哲學


 或人は、彼を呼んで『哲学者の衣をつけたジンゼンドルフ』と云った。『イエス伝の史的討究』(賀川氏著、警醒社版、『基督伝論争史』の第一編は、シュワイチェルの所論の紹介である)を著はして、神學思想界に、全終末論の嵐を巻き起こした彼、その音楽的教養を傾倒しては、深刻なバッハ評伝を著はして、世界を驚かした彼、−−シュワイチェルは、近代ドイツが生んだ革命の児であるーー宗教的に、思想的に。彼は一九二三年には、病める妻と幼女とを暫く郷国に置いて、中央アフリカへの独り旅に上った筈である。此間も、アフリカヘ行っていた宣教師に出會ったので、私は、彼の事を聞いてみたら、彼は、再びラムバレンに戻って、愛の奉仕に従事しでゐるとのことであった。


 彼の著書の主なもの(凡て英訳あり)挙げれば、(イエス伝論争史以外に)『パウロとその解釈者』(一九一二年)、『神の国の秘密』(一九一四年)、『キリスト教と世界の宗教』(一九二二年)、『文明の哲学』第一巻、第二巻(一九二三年)、『原生林の片隅にて』(一七六頁、一九二二年、ロンドン、エー・シー・ブラック出版)、それに加ふるに、一九二四年には、ロンドンのジョージ・アレン・エンド・アンウインから自叙伝『青少年時代の追憶』が出た。

 
 『文明の哲学』の序文によれば、彼の哲学は『生きんとする意志』に根ざして世界と、生命の肯定を見出して行く哲学であり、生命に対する敬虔を其の倫理學の原則とするものである。


 私は、処女林下に潜む人間苦征服のために、雄々しい奉仕をつづけているシュワイチェルと彼の事業に、熱い祈りを寄せざるを得ぬ。『苦痛の印記を帯ぶる者の一団』のつなぎの中に我々も叉、彼、及び、世界に於ける同種の奉仕に盡瘁せる人々に我々の最善の好意を寄せたいものではないか。


 彼の引用した、文明の奥座敷に文化生活を独り貪る金持ちと、門面にうごめく寄る辺なき窮民の譬は、日本の、我々にも、何かの暗示を与えるものである。


 文明の門前――今日の都市、田園にも又、『原生林の片隅』に見ると同じ暗黒が潜んでいるではないか! 


 日本の社会の『原生林の片隅』に飛び込んでイエスを生きる人は誰であろう。シュワイチェルの歩む方向は、凡てのイエスの友にとっての或る指標でなくてはならぬ。


    (一八二四年、七月二十七日夜中、ニューヨーク州アウボルンにて脱稿)