「KAGAWA GALAXY 吉田源治郎・幸の世界」(47)シュバイツァー「原生林の片隅にて」を読む


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KAGAWA GALAXY吉田源治郎・幸の世界」(47)


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第5回 「シュバイツァーの「原生林の片隅にて」を読む」(18)
吉田源治郎訳 シュバイツァー著『宗教科学より見たる基督教』
(原題『世界の諸宗教と基督教』)付録。大正14年9月8日、
警醒社書店より刊行


 シュワイチェルの「原生林の片隅にて」を読む


                               吉田源治郎


          十二 慈善専業か罪の賠償か


 シュワイチェルは、四年半のアフリカ生活を回顧しで叫ぶ。


 『病苦は至る所に蔓延している。われわれは、欧州の新聞が之を報道しないからとって、その惨状を雲煙過眼視してすもうか? 我々文明人の良心は麻痺してゐる。自分だけ医療の恩恵を私するが、未開地の病苦に呻く幾千幾万の貧しき人々の叫びには耳をかさぬ。若し、十年間、我々の家庭が、全然、医療の助けを与えられずに経過したらどうだろう。今は、眠りより醒めて、我々の責務に直面すべき時ではないか?


 私は、私の現在の仕事が、遥かなる星空の下で病苦の救済につくすことが、一生の事業と信じてイエスとその宗教が要請する同情に訴えるが、それと共に、私には、根本的な考えがある。


 彼等、黒人の為に尽くす仕事を我々が単なる慈善事業と考えてはならぬ。それは、避くべからざる我々の責務である。


 白人が――イエスに属く者と自称する白人が、アフリカ内地を発見して以来、自然人の社会は、目に見えて悪化された。民族絶滅の悲運も、其の他凡ての悪化は、白人の殖民地経営に関係を持たぬはない。


 強精飲料の輸入、いとうべき病気の伝搬、残虐と不正、白人の黒人虐待史の幾千ページ――誰か目をそむけずして、その一ベージ、一べ−ジを読むことが出来やう。


 我々と、我々の――欧州の――文明は、黒人に対して大きな負債をもつ。我等が彼等に尽くす一切は、慈善事業と目すべきでなくて、負債の返却であり、贖罪である。害悪を蒔いた凡ての人のために、誰かが助けの手を延べに行く――それは、我々の罪の幾千分の一つをつぐなふことにも價せぬ。それが、アフリカでの「愛の事業」の考究に当って基礎となるべき考えだ。こゝから我々の論理を進めていくのでなくてはならぬ。


 人道主義の運動は、其性質上、政府の施設にまかしで置けぬ。勿論、政府は、此種の贖罪行為を助力しなければならぬが、この問題についでの確信が、社会的良心として存在せぬ以上、政府は何事も出来ぬ。


 それで、私は、社会と個人の肩に此問題を置きたい。私たちは、進んでアフリカに出かける多ぐの医師の起る事を期待する。勿論、彼等は、郷土と文明とを棄てることから来る一切を忍ぶことを覚悟しなくではならぬ。然し、私は、自分の経験から云ふ。彼等は、善事の遂行のため放棄した一切に對して、豊かな酬を見出すであらうと。』


     (つづく)