「KAGAWA GALAXY 吉田源治郎・幸の世界」(44)シュバイツァー「原生林の片隅にて」を読む


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KAGAWA GALAXY吉田源治郎・幸の世界」(44)


http://k100.yorozubp.com長期連載(150回)補充資料


第5回 「シュバイツァーの「原生林の片隅にて」を読む」(15)
吉田源治郎訳 シュバイツァー著『宗教科学より見たる基督教』
(原題『世界の諸宗教と基督教』)付録。大正14年9月8日、
警醒社書店より刊行


 シュワイチェルの「原生林の片隅にて」を読む


                               吉田源治郎


          九 忙しい無言説教


 欧州の人たちは、かかる未開地での伝道者を目して、処女林に悠容と仕事をやっている村夫子先生のやうに考へてゐる。然し中々、そんな簡単なものではない。一口に云へば、ランバレンは、ビショップのシートであり、教育の樞府である。耕作と市場の経営地でもある――理想的に伝道をやるには、総主事としての宣教師一人、地方巡回専門の傅道者一人、少年の學校の教師たるべき婦人、建築土木等の仕事の出来る人二人、そして必ずドクトル一人。これだけの人数を揃なくってはならぬ。主任宣教師が旅に出てゐたり大工仕事をやっていては、肝腎な仕事は少しも進まない。學校の経営、管理、耕地の監督、市場の経営、寄宿児童、及び、雇人たち、ミッション所属の水夫たちの賄の心配。食糧は金以て求めることは出来ぬ、物々交換である。ミッションの店に土人たちを満足さす物品を供給しないでは、定期のマニオク、バナナ、乾魚等の支給を受けることは出来ぬ。週に二三回、土人たちは、之等の食糧品を持つで来ては、市場へ出かけてる。そして、鹽、釘、石油、魚貝、タバコ、鋸、ナイフ、斧、着物等と交換して行く。ラム酒や、強精飲料は、絶對に売らぬ。土人は大人も子供も共にアルコホル悪の為に、亡んで行く。それは皆白人の林業者などが土人の歓心と労働を得るために持ち込んだものだ。土人は賃金の全部を酒に代える。そして、酒を飲む金を得るために、又一年を材木切り出しの苦役につくのである。主任の仕事してはその外に、来客の応接はもとより、泥棒の用心。喧嘩の仲裁---土人は、悠々として何時間でも愚論を繰り返して、喧嘩を続けている。もし、ゆっくりと双方の云い前を仕舞いまで聞いてやる忍耐がないと、土人の間に名判事として重んぜられることは出来ない。カヌーが他の伝道地からくれば水夫たちをねぎらはなくてはならぬ。汽船到着のサイレンが聞こえて来れば、カヌーに乗って荷揚場まで出かけて、郵便物と荷物を受取って来なくてはならぬ。まだ此外に、建築修繕の手配に雇人の管理等、味わいのない散文的な仕事が主任の一日の活動の大部分を占める。


 『イエスの宗教の宣伝に出かけて来たものにとっては、これは、何という非ローマンチックな、没趣味な事務員生活であろう。もし、朝夕の学校での礼拝、日曜日毎の説教を司どらなかったら、自分が宣教師であることをつい忘れてしまうであらう。然し、彼が、此等の日常生活の間に示すキリスト信者としての同情と柔和が、彼の最大の感化力となって人々を動かすのだ。叙上の如き「言葉無しの説教」に於で、主任が成功しなくは、外に、そのまはりの社会の精神生活は高める道はないのだ。』


    (つづく)