「KAGAWA GALAXY 吉田源治郎・幸の世界」(37)シュバイツァー「原生林の片隅にて」を読む


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KAGAWA GALAXY吉田源治郎・幸の世界」(37


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第5回 「シュバイツァーの「原生林の片隅にて」を読む」(8)
吉田源治郎訳 シュバイツァー著『宗教科学より見たる基督教』
(原題『世界の諸宗教と基督教』)付録。大正14年9月8日、
警醒社書店より刊行


 シュワイチェルの「原生林の片隅にて」を読む


                           吉田源治郎


                四 中央アフリカ伝道史


 此の地方の伝道史は、十五世紀のポルトガル人の土地発見と共にそろそろ始った。一五二一年には、カトリックの伝道が、コンゴ―河とオグオエの両河の間の沿岸にはじめられた。ケープ・ロぺズと云う町が、オグオヱ川のはけ口にあるが、之は、此地方へ、一五七八年来た宣散帥オどアルド・ロぺズの名を記念したものだ。十八世紀には、ゼスイットが数千の奴隷と共に海岸地方に植民をしたが、奥地に迄は手をつけなかった。


 十九世紀の半ばになると、佛英の両国が、協力して奴隷商売杜絶に力をつくし始めた。そして、一八四九年には、ケープ・ロぺズの北に一地をトして救ひ出した奴隷を住はせる為の町を建でたーーリーブクヴィル(自由の町)と云ふ名は、之れに因んでつけられたものだ。


 第一の新教の宣教師達がオダオヱ流域に来たのは、一八六〇年であった。それは、北米の長老教會の派遣した人たちであった。然し、學校教育は一切フランス語に限ると云う佛国政府の要求に従ふことが出来なかつたが為、彼等は、その後、事業一切をパリ・ミツショナリー・ソサイチーの手に譲った。


今日では、此伝道協会が、此地方に散在する四つの伝道地を支えてゐる。一つの伝道地毎に、一人の未婚者と、二人の家族特の宣教師とその外に、一人の婦人教師が定住している。だから、幹部は五六人から成っているわけだ。カトリック教会の伝道地は三か所、その各々に、十人づつーー三人の司祭、二人の平信徒、五人のシスターがーー住んでぬる。原生林の入口のドクトルとして、シュワイチェルは、どんな種類の病気と戦ってゐるか?


     (つづく)