「KAGAWA GALAXY 吉田源治郎・幸の世界」(32)シュバイツァー「原生林の片隅にて」を読む



KAGAWA GALAXY吉田源治郎・幸の世界」(32)


http://k100.yorozubp.com長期連載(150回)補充資料


第5回 「シュバイツァーの「原生林の片隅にて」を読む」(4)
吉田源治郎訳 シュバイツァー著『宗教科学より見たる基督教』
(原題『世界の諸宗教と基督教』)付録。大正14年9月8日、
警醒社書店より刊行


 シュワイチェルの「原生林の片隅にて」を読む


                           吉田源治郎


       二 原生林中での思索

    
 此等の著述の準備は凡て熱帯處女林の沈黙裡の瞑想の間にはぐくまれたものだ。彼はそれについて次のやうに記してゐる。


 『私の健康はさして悪いといふのではないが、大丈夫とは云へない。熱帯的貧血が既に私の身に巣喰ふてゐる。それで何でもない事に疲労する。自分の住宅から治療室ヘの丘を登るのにさヘ――たった四分間かかるのみであるが――ぐったり疲れる。それにこの症状に件ふて過度に神経質になり易い。その上、歯まで土地の影響のせいかよく痛む。私と妻とは、代り番に歯医師になって一時的の治療をやるが、充分な手当は出来ぬ。


 然し、幸に、私の心的保健は叙上の貧血や、疲労に係はりなぐ始んど完全に保持されてゐる。あまり疲れを感じない日は、一日の忙しい施療を丁っての夕食後、書斎――と云つでも堀立小屋のやうなバンガロウの一室――に閉ぢ籠って、人間思想史研究の一部として一九〇〇年以来私の心を傾けてゐる倫理と文明の研究に没頭する。幸に、之れに要する参考書は、友人のチューリッヒ大學教授ストロール君が送ってくれる。


 私の書斎の周圃の光景は頗る異様である。私のテーブルは、ヴエランダヘ導く格子戸の内側に寄せかけてある。それは、少しでも多量に夕方の微風を捕えるためである、棕櫚が、コホロギとヒキガエルの騒々しい音楽に伴奏しでサヤサヤと鳴る。人跡絶えた原生林からは、異様な様々の叫び聲がが洩れて来る。


 私の忠実な犬のカラムバは、ヴェランダで自分の所在を知らせるかのやうに低い聲で唸ってゐる。そして私の足許には、矮小なカモシカがうづくまってゐる。私はかゝる静平な環境の中で、私の思想を秩序立てやうとしてゐる。その結果が、多少でも文明の回復に貢献出来たら幸だ。おゝ原生林の寂莫! 私はお前に對して限りない戚謝の念を抱く』


   (つづく)