「KAGAWA GALAXY 吉田源治郎・幸の世界」(30)シュバイツァー「原生林の片隅にて」を読む



KAGAWA GALAXY吉田源治郎・幸の世界」(30)


http://k100.yorozubp.com長期連載(150回)補充資料


第5回 「シュバイツァーの「原生林の片隅にて」を読む」(2)
吉田源治郎訳 シュバイツァー著『宗教科学より見たる基督教』
(原題『世界の諸宗教と基督教』)付録。大正14年9月8日、
警醒社書店より刊行


 シュワイチェルの「原生林の片隅にて」を読む


                             吉田源治郎


      − 見棄てられたる門前のラザロ


    (前回につづく)


 アフリカでの土人の病苦に悩む実状を聞知したシュワイチエルは、医学を研究しだして、三十歳の時、――一九一三年の始め、医学大學を出ると共に、その春、兼ねて看護婦の資格を備えた彼の妻と共に、フランスから、中央アフリカの西海岸に注ぐオグヱ川の中流に位するラムバレン差して出発した。


 そこには、以前からパリ福音伝道團が、傅道をして居たが、その頃、同地に、睡眠病が蔓延してゐて是非一人ドクトルが欲しいとのことを聞いたので、特にラムバレンを選んだのであった。


 然し、家と病院用のバンガロウを建築すること、其他の補助は、同傅道團から援助の約束を得たけれど、病院の設備から、その凡ての経費は、シュワイチエル自身で工面をつけなければならなかった。


 それで、出発前、音楽會を開いてオルガン・レサイタルをやり、幾許の収入をこのために得た。そしてまた独仏英三ヶ國語で出版されてゐる彼の著作、楽聖ヨハン・セバスチアン・バッハ評傅の印税を之に充てることにした。


 所が、この挙を聞いたこ独佛瑞の友人たちが進んで、それぞれ金員の寄附をしてくれることになったので、アフリカヘ出発する時には、旅費を除いて、約二年間の予算を支えるだけの目当がついた。


 彼は一年約一萬五千フラン(その時の為替相場で六百ポンド)の予算を立てた。そして、それは大体に於いて間違ひのない経費であった。――然し一九一四年からの世界大戦中は、欧洲からの物資の供綸と援助が殆んど絶えて、一切の経費を自分一人で負って行かねばならなくなった。


 で、折角共働者として忠実に尽くしてくれたジョセフと云ふ土人の助手にもこれ迄通りの手常一ケ月七十フランを半減してみたが、後にはそれもやれなくなり、止むなぐ解雇をしたり、それにも拘はらす医療の要求は各方面から日に増し増えるばかり――粗食と過労、その上に多額の借金を背負ひ込んで――その結果、夫妻共、少なからず健康を害して、一時、帰欧せねばならなくなった。


   (つづく)