「KAGAWA GALAXY 吉田源治郎・幸の世界」(13)



KAGAWA GALAXY吉田源治郎・幸の世界」(13)


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第3回 保育に於ける自然研究(1)


     『子供の教養』(昭和14年11月号)


          保育に於ける自然研究


 昭和十四年十月七日、八日仙台市で第七回全国幼稚園関係者大会が附催され第二日目に研究発表があった。然し私の与えられた時間は、僅か五分間であって序論を述べてゐる中に時間が来てしまった。此処では、先づ其の五分間の発表の要点を記し、次で其の補遺として、其の時腹案としてもってゐて述べられなかったいくつかの資料を附記する事とする。


 私は保育に於ける自然研究を(1)其の動機、(2)其の現状、(3)其の原理及び態度、(4)幾つかの事例、(5)其の実施の方法と云う順序で述べようと思ふ。


 昭和六年の頃、日本でルンペンといふ言葉が盛んに用ひられ始めた頃、下村千秋氏が「街の浮浪者」といふ小説を書いた。(中央公論社発行下村千秋著「天国の記録」参照)


 物語は東京市社会課の児童係の一婦人役人が或る要保護少年を尋ねて某細民街にある安宿を訪問する所から始まる。十一、二歳の男の子が桐の木に登ってゐる。所は木賃宿心前庭である。(この少年は小學校への登校が極めて不規則なのであった。)
 「あの子はこの宿にゐる時は、何をしてゐるんでせうか」
と児童係が訊くと、さっきから相手になってゐた男がこれに答へる。
 「野原へ虫なんかを収りに行ってゐるんですよ」
 「それをどうするんでせうか、自分で焼いて食ふんでせうか」
 すると桐の木の上から
 「嘘だい。売りに行くんだい」
 といふ聲がする。
 「何處へ売りに行くんだえ?」
 男が聞く。
 「日本橋だの銀座など」
 「蛙なんか一匹幾らに売れるんだえ」
 「蛙が五銭、バッタが三銭、げんごろうが二銭、ハタフリが一銭」
 「そいつア好い商売だなア」
 「一度お前も連れて行ってやらア」
 「でも蛙を五銭で買ふ奴があるかえ」
 「ううん、奥さんだのお嬢さんなんてなあ、あら嫌アだなんて、嫁にお上品振ってゐやがって見もしねえけど、男の子はとても喜ぶんだぜ。彼奴ら生きてゐるバッタだの蛭だの見た事がねえんだもの」
 「それで一日幾らになるんだい」
 「三十銭――もっととれる時もあるぜ」


 こんな問答が交されて、児童係は煙に倦かれてしまつたのであるが、私は「彼奴ら生きてゐるバツタだの蛙だの見た事もねえんだもの」といふ言葉の中に一つの大きな社会問題を見出す者である。


 私が何故自然研究−−幼稚園の保育項目の一つである観察の要目としての――を熱心に主張するかと言えば、それは十四年以上大阪の工場街で隣保事業に従事して託児所の様な保育施設に関係を持ってゐる体験から来てゐるので、私共の周囲の町々に住む幼児達は蟻も知らなければ、小雀の姿も知らないのである。自然を離れた子供達がどんなに曲められて行くか、いぢけて行くか叉精神衛生的に見て不良化の危瞼が多いか――斯問題を皆様に御一考煩はしたく思ふ。


    (つづく)