「KAGAWA GALAXY 吉田源治郎・幸の世界」(12)



KAGAWA GALAXY吉田源治郎・幸の世界」(12)


http://k100.yorozubp.com長期連載(150回)補充資料


第2回 「間所兼次と消費生活協同組合運動」(5)
賀川豊彦と協同組合運動―資料1
(『賀川研究』第2冊目所収昭和23年)


   間所兼次と消費生活協同組合運動


                     吉 田 源 治 郎

 
(前回に続く)


 賀川豊彦氏が我國消費鯉合――ロッチデールの流れを汲む消費生活協同組合運動の先駆者であることは周知の事実で、賀川氏のものした「産業組合の本質とその進路」を始め「新協同組合要論」やその他生活協同組合に関する著述、言及、交献改おぴただしい数にのぼる。賀川氏の影響指導下に、神戸消費組合、灘購買利用組合、共益社をはじめ、東京医療利用組合、中郷質庫信用組合等斯界の草わけ的組合が続々と矢つぎ早に設立され、終戦後はその主唱の下に日本協同組合同盟が設立されたことなど数えれば屈指に暇がない。


 また賀川氏の感化、示範により多くの協同組合運動者を興したことも注目に價しよう。即ち中山日吉(神戸消費組合)木立義道(日本協同組合同盟)金田弘義(大阪府生活協同組合連合會)坂井良次(滋賀県朝日村農業協同組合)等々その感化の幅は廣く、海の内外に及んでいる。かかる中に二十歳で協同組合運動に献身、二十五年問の長期間一路「この心、この身体の一切を献げ、家庭と自らの身体を忘れ私利私慾をはなれ」賀川精榊に動かされて、黎明期の我が國消費生活協同組合のために健闘、血を吐いて倒れるまで捧げつくした間所兼次は、賀川氏をめぐる協同組合運動の随一ならぎるも、ユニークな一在在として永く憶えられ注視されてよいであらう。


 ことに消費生活協同組合法が本年十月一日を期して実施せられんとする秋、兼次昇天三周年を迎えんとじで感慨なきを得ない。


 兼次は病床日記に記している。「賀川先生、菲才凡俗の自分をかくまで生かされたことを御礼申し上げる」と。それは、賀川氏によって消費組合運動のため「生かされた」生き甲斐を感じての告白でなぐて何であらう。


 自分は「協同組合を中心に、賀川氏をめぐる人々」の一人として間所兼次の片影をここに素描したが、更に機をえて資料の集り次第に「賀川豊彦と協同組合運動――資料(2)」として、近江湖北の朝日村に「兄弟愛意識にもとずく」農業協同組合を結成、その首長としてキリスト精紳をその基準として、日夜組合を薫陶撫育しつつある農村牧師坂井良次の横顔=彼は日本農民福音學校在學中賀川氏によって協同組合を教えられた一人である=を記してみたいと考えている。


                ――二三・九・七夜 西宮一麦寮にて――



ここにも今回吉田摂氏より見せて頂いた写真の一部をUPして置きます。吉田源治郎は、多彩分野で働いていますが、キリスト教の教派を超えた取り組みで「朝祷会」(朝食祈祷会)という全国的な取り組みがある。早朝仕事の前に集い祈祷礼拝をして共に朝食をして交わり、一日の仕事に出かけていくものです。残された写真のなかに、1971年と1972年の大阪クリスチャンセンターでの集合写真があった。


先ず、1971年の写真から。



次に、1972年7月24日の「第800回記念朝食祈祷会」の写真である。




次の写真は、「1964年1月16日」とえんぴつ書きされているが、どこで写されたものか? 人物も特定できないが、教示いただけることを期待してUPする。