「KAGAWA GALAXY 吉田源治郎・幸の世界」(10)



KAGAWA GALAXY吉田源治郎・幸の世界」(10)

http://k100.yorozubp.com長期連載(150回)補充資料

第2回 「間所兼次と消費生活協同組合運動」(3)
賀川豊彦と協同組合運動―資料1
(『賀川研究』第2冊目所収昭和23年)


    間所兼次と消費生活協同組合運動


                     吉 田 源 治 郎

 
(前回に続く)


 兼次の精紳生活について略述すれば年少の頃、郷里にありし日、日本基督山田教會日瑠学校にて宗教々育を受けた。宇治山田市立商業学校に同教会故長山萬次牧師により洗礼を受けた。


 故人は児童の宗教教育に使命を感じ、昭和四年五月大阪市此花区酉鳥町の自宅にて日曜学校を開設した。叉故人は多年四賀島セツルメントの憐保事業及び大阪イエス團教会(今の大阪四貫島教会)の役員としてつくすとこころが少くなかった。


 且又イエスの友会の中央委員として関西方面の同会の事業のためにつくしたが昭和十五年七月には、イエスの友會賀川中央委員長より「基督の証者」としての証者証を交附された。


 兼次は平素頑健といふ身体ではなかったが、共益社の幹部が次から次へと職場に倒れた中にあってよく激務に堪へた。此の間の心の消息を次のやうにその病床日誌「療魂」に記してゐる。


「賀川先生
 非才凡俗の自分を斯くまで生かされたことを御礼申上げる。満二十歳にして先生主唱になる消費組合に投じ、其後三年経営上の関係等にて考ふる事あり、他に転ぜんとしたるも、遂に賀川主義精神は、自分をとりこにし、自分は又それに生甲斐を感じて約二十五年日本の消費者層に何等か寄興せんとしで戦ふ。此間に於ける先生の犠牲と努力は日本の消費組合の歴史に特筆大書すべく、非才乍ら自分としは此の心、此の身体の一切をささげ私利私慾を離れ新しき特代への夢を追ひつつ、家庭と自分の身体を忘れて悪戦苦闘した積りである。病床生活既にIヶ年半に及ぶ。されど我が夢はつづく。果してその夢を此身体をして描かしむるや否や?」(昭和二十年四月十二日附)
 

    (つづく)


写真の続き。今回拝見した写真の中に、吉田源治郎の深く関わった「日本の農民福音学校」の初期の写真があった。賀川豊彦の右に吉田が、前列左2人目が杉山元治郎、右端には金田の顔が見える。




次はの写真は説明書きはないが、農民福音学校とも深い関わりもあり吉田源治郎の働きも大きかった和歌山県南部の労祷学園の写真であろうか、吉田の横に升崎外彦夫妻であろうか、多くの女性の集いの記念写真である。