「KAGAWA GALAXY 吉田源治郎・幸の世界(9)



KAGAWA GALAXY吉田源治郎・幸の世界」(9)

http://k100.yorozubp.com長期連載(150回)補充資料


第2回 「間所兼次と消費生活協同組合運動」(2)
      ―賀川豊彦と協同組合運動―資料1
      (『賀川研究』第2冊目所収昭和23年)


        間所兼次と消費生活協同組合運動


                    吉 田 源 治 郎

 
(前回に続く)


 消費組合協會は共益社の別動隊として経営されたされたもので、その収益中より共益社の不況時代にはその欠損を補填するために一萬圓以上を寄付してゐる。更に農村消費組合協會及東京学生消費組合のためにも少なからぬ援助をした。


 昭和八年消費組合協会を生活改造協会と改称して、四貫島セツルメントにその事業所を移しだ。


 兼次は昭和十五年大阪府産業組合中央会購買組合指導事務嘱託となり、大阪府下の消費組合の指導に尽力した。


 同十八年川崎重工業株式會社泉州工場労務課附主事として共益社の責任をもつ傍ら同会社のために力を尽くし、かつ旭乾燥機製造株式会社の創設に協力するところがあった。


 共益社は昭和六・七年及十六・七年の候二回に亘り非常な不振に落入ったが、その頃の兼次の苦心には惨憺たるものがあった。


   (つづく)



前回に続いて写真を数枚収めて置く。先ず「1931・12月22日」とある写真で賀川豊彦や吉田源治郎の顔もある。



次は、「1931年7月3日 四貫島 洗礼式」とある。前列に間所が見える。



次は、クルスマスの写真のようで、間所は真ん中に見える。ツリーの横に吉田源治郎。



次も四貫島セツルメントの復活祭(イースター)の日曜学校。右後ろに間所。



次は、四貫島セツルメントの「天使保育学校」