「KAGAWA GALAXY 吉田源治郎・幸の世界」(7)
「KAGAWA GALAXY吉田源治郎・幸の世界」(7)
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第1回 「又逢ふ日迄」(故吉田なつゑの思い出)1917年8月(7)
又 逢 ふ 日 迄
――故吉田なつゑの思ひ出――
(前回の続き)
輝くみくにへ
8月1日午後4時半、長崎日本基督教会牧師畏友荒木兄の司式の許に納棺をした。座には12人の彼女の近親同級生友人があった。午後6時半、赤坂から落合の火葬場迄、兄と叔父とぱ棺馬車の後に従った。夕日は淡く空にあった。荒木、久田、高田諸氏が最後迄立會はれた。
父なる御神のまねき給へば
みもとへ行く身をひきな止めん
鉄の扉は彼女の遺骸を閉ぢこめた。翌2日朝9時半、兄は叔母と共に遺骨を拾いに行った。曇りがちな朝であった。
それ人は既に草の如く其栄は凡ての草の花の如し草は枯れその花は落つ
その日の午後2時半、東京市外静かな柏木の聖書講堂で彼女の葬儀が営まれた。式は内村鑑三先生の司會の許に始められた。
正面講壇の前には黒布に蔽はれた箱を据え、両側には輪形と十字形の花飾が置かれた。小じんまりした講堂にはしんみりとした情調が漂ふた。聖書の朗読に次いで先生の祈祷があった。荒木宗孝氏は立って履歴を朗読せられた。やがて友人高岡今平氏は信仰と愛と望とに充ちた弔辞を述べられた。
「なつえさんは花嫁として天國に嫁人りなすったのであります。ただ悲しむべきではありません。姦悪な此世から楽しい國に移されたのであります。我等の悲しみはつきませんが、それと共に我等の慰めもつきません」と。
彼女の兄は立上ったが、頓に言葉は出なかった。たゞ一言「塵は塵にされど霊は之を賦けし神に帰へるという一句の意味が始めて分りました。賞に高價な蟻牲でありました」とのみ語った。
最後に内村先生の説教があった。絶望的の諦ではない、充分な慰籍と希望に溢れた説教であった。祈祷を以て式は終わった
酷暑の際、遠路御列席下されし左の方々の御厚情、唯感謝の外ありません。
荒木宗孝、久田梅次郎、原弘一郎、今井賀照、石原秀雄、河合重治、九岡茂太郎、水野源十郎、齋藤齋吉、鈴木速彦、坂本栄、堤常、高岡今平、安夫保之諸氏
小高つや子、ミス・ライカー、坂本木枝、高橋なか、安井哲子、山桝まり子諸姉(ABC順)
9名より弔電、32名より葉書を以て、37名より封書を以て、弔辞を寄せられました。涙ど同情とが共一つ一つに秘められて居りました。諸兄姉の御高志いつ迄も記念したく存じてゐます。
彼女は眠りました。彼女を愛せし慈母と兄を後に、近親故旧を残して、一足先へ輝くみくにへと移りました。
我等は彼女の此地上に在りし日々を追憶して、癒し難き悲嘆に暮れざるを得ません。然し又逢ふ日迄の嘆きであります。今より後、死ぬる死人は幸福なり、我(キリスト)終末の日に之を甦すべしとあります。
此世が死なく哀しみなく、哭きなく、其栄ある完成城に違した時に、壊れる者は壊れざる者に、尊からざる者は栄ある者に、弱き者は強き者に甦さるると聖書は申してゐます(コリント前書15章42以下)
我等は其日を遥かに望んで歓喜に堪えません。今は我等の合唱は幕一重を隔てて、完全なハーモニーを致しません。然し其日には、彼女の慕ひまつりしエスの聖前にて我等は共に手を握って再會の歓喜を交はすでありましょう。
Till we meet again
Till we meet agaln
at Jesus’ feet
叉逢ふ日迄
また逢ふ日迄
エスの御許に逢ふ日迄に
今より後主に在りて死ぬる死人は幸福なり(黙示録14章13)
神彼彼等の目の涙を悉く拭ひ取り復死ず哀れみ哭き痛みある事なし、墓前の事すでに過去ばなり(同21章4)
此の小冊子が同じ悲痛に遭遇して嘆く人々を少しでも慰むるを得ば幸であります。
1917年8月22日 鎌倉にて
彼 女 の 兄
吉 田 源 治 郎