「KAGAWA GALAXY 吉田源治郎・幸の世界」(1)


KAGAWA GALAXY吉田源治郎・幸の世界」(1)


   http://k100.yorozubp.com長期連載(150回)補充資料


 第1回 「又逢ふ日迄」(故吉田なつゑの思い出)1917年8月(1)


          序 に 代 へ て


 それ木には望あり、暇令破るるとも復芽を出して其枝絶ず、たとひ其根地の中に老い幹土に枯るるとも水の潤霑にあへば即はち芽をふき枝を出して若樹に異ならず・・されど人もし死なばまた生きんや(ヨブ記14章7以下)


 若キリストに由れる我等の望ただ此世のみならば凡ての人の中にて尤も憐れむべき者也(コリント前書15章19)


 もし死にし者甦らずば飲食するにしかず我等明日死ぬべき者なれば也(同15章32)


 凡て父の我に賜ひし者は我(キリスト)一つをも失はず、我終末の日に之を甦らすべし、恁く為すはこれ我を遣しゝ父の聖旨なり(ヨハネ傅6章39) 


 (ここに吉田なつゑの三重県師範学校卒業記念(大正5年3月)と第三小学校在勤中(大正5年)の二枚の写真が入り、1頁から8頁まで内村鑑三の説教「死よ爾の刺は安に在るや―吉田なつゑの葬式に臨みて語りし所」が収められている。)


           又 逢 ふ 日 迄
   

          ――故吉田なつゑの思ひ出――


      今や泣く者は哭くべからず
      共愛する者は失せしと雖も
      再た会ふ日の歓喜り光に
      其曇りし眼に晴れん
                 (「独逸小歌」の一節内村氏訳)


 なつゑは明治29年12月23日に宇治山田市常盤町に生れ、大正6年7月31日夕東京市赤坂区順天堂分院の一室で永眠した。彼女に與へられた此世の生涯は只20年を少し越した許りで人生の正午にも達せずして彼女は逝いた。彼女の生涯は短くあった、然し乍ら彼女を愛せし者の懐ひ出は深く叉長いのである。彼女は4歳にして父に別れ爾来母の手一つにて養育せられた。


 母の云ふに「なつゑはまだ少さい子供の時分から優しい性質の子であった、よく背負れて居り乍らほ母様の肩が痛からうと揉んでくれたことがあった」と。


    (つづく)