「仲間 武内勝と吉田源治郎」(第5回)(『Think Kagawaともに生きる』(2010年)



賀川豊彦献身100年記念事業の軌跡:Think Kagawaともに生きる』(2010/11)


         仲間 武内勝と吉田源治郎




  (前回に続く)


             吉田源治郎の世界


 さて、現在ネット上で連載中のものは「吉田源治郎」のことです。実はこの人に関しても、私はほとんど知らないお方でありました。


 たまたま上記の武内勝の「お宝発見」の余禄として、私の住む神戸市長田区番町地域における「神戸イエス団」の活動拠点であった「天隣館」――この場所は、賀川や武内、馬島(医師)や芝やえ(賀川ハルの妹)たちの大正時代からの活動拠点で、医療活動のほか日曜学校なども活発で、戦後には保育所を開設していました。――で、戦中・戦後、この「天隣館」を拠点にして活躍していた人々――大垣坦弥・とよの夫妻、河野洋子ほかの方々の聞き取りを進める中から、「吉田源治郎のご子息・吉田摂氏が関西学院の学生だったころ、賀川梅子ら関学神学部の学生たちと共に「天隣館」に頻々足を運んでいて、摂氏は関学グリーで鳴らしたお方である」という情報を小耳に挟んだのでした。是非一度会って、その頃のお話を聴きたいという私の希望から、この新しい出来事が始まったものでありました。それも今年(2010年)4月になってからのことであります。


         吉田摂・梅村貞造両氏との出会い


 渡りに船ということであろうか、有難いことに若き日から吉田源治郎・幸夫妻とは西宮一麦教会及び一麦保育園などで身近に接し、吉田摂氏とも親しく過ごしてこられた梅村貞造氏(現在一麦保育園顧問で西宮一麦教会役員)の積極的な協力もあり、現在甲子園二葉教会(吉田摂氏の所属教会)の元正章牧師も加わり、4月5日午後、第1回の「西宮の一麦保育園における吉田摂氏の聞き取り」が始まったのであります。


 するとどうであろうか、吉田・梅村両氏とも御歳のことを申し上げるのも失礼ですが、お二人とも現在80歳。長年にわたって「賀川豊彦とその仲間たち」の大切なお一人としてご活躍の傍ら、それぞれご自身の歩みと重ねて関係資料の収集調査を積み重ねて来られた方々だったのです。梅村氏は主として「西宮一麦教会」並びに「一麦保育園」関連の諸資料を、吉田氏はご両親の生誕から逝去までの幅広く資料を集め、梅村氏はご自身の所属される教会史や保育園史に、吉田氏は「甲子園二葉幼稚園史」などに執筆して来られた方々だったのです。


 元正章牧師と私は専ら聞き役で、次々と取り出されてくる関係資料や写真類などに驚きながら、「吉田源治郎・幸夫妻の世界」に目を白黒させる事態となりました。思いもかけなかったことでありましたが、その後何度か一麦保育園での出会いを重ねるうちに、梅村氏所蔵の主として「一麦関係資料」と吉田氏所蔵の大量の「吉田源治郎・幸関係資料」が、狭い我が家に持ち運ばれる事態となったのです。これは、昨年の「武内勝資料」の「お宝」と同じ事態です。


 新たな「お宝」を喜んでお預かりはしたものの、さてこれをどうしたらよいのか判断のつかないまま、とにかく一通り資料の整理を進めていきました。



    (続く)