『賀川豊彦と現代』紹介批評テキスト化分(12)北川鉄夫「国民融合通信」1988年7月号


賀川豊彦と現代』紹介批評紙誌(12)


 「国民融合通信」(1988年7月号)


      テキスト化分


          賀川豊彦の生誕百年


         −鳥飼慶陽の「賀川豊彦と現代」
         

                      北 川 鉄 夫


 今年は、賀川豊彦(一八八八〜一九六〇)の生誕百年にあたります。そんなことから、さまざまな記念事業も計画、実施されつつあるようです。戦後の若い世代には、この行動的なクリスチャンの名も知らない人が多いと思いますが、明治の末期から戦後の昭和期と三代にわたって、神戸のスラムでの活動から、労働運動、農民運動、水平社とのかかおり、協同組合運動、普選運動、平和運動とあらゆる社会運動に携わった賀川の名は、忘れがたいものがあります。映画(死線を越えて賀川豊彦物語言山田典吾監督)でも完成して上映されれば、改めて彼の名と業績も世に知られようかと思います。


 私は直接に賀川を知る機会はありませんでしたが、大正期の中学生のころ、彼の著書「死線を越えて」が家にあったので読みました。スラムでの新見栄一(賀川)の活動にびっくりしました。えらい人がいるものだなと思いました。そして当時の「改造」誌に、この、「死線を越えて」が毎号広告が載り、版を重ねているのがわかりました。以来、賀川豊彦の名は私の頭の中にのこっています。今度、この賀川のことを、兵庫部落問題研究所の鳥飼慶陽さんが「賀川豊彦と現代」として、特に部落問題と賀川との関わりに重点をあてた一書として刊行されました。鳥飼さんは、現在、神戸の番町出会いの家の牧師であり、兵庫部落問題研究所の事務局長で、今日の賀川豊彦研究、特に部落問題との関わりでは最適の人であり、賀川と部落問題の評価については第一級の人材といえます。その意味で、今回の「賀川豊彦と現代」の刊行は、意義深く時宜を得たものといえます。


 賀川豊彦には、「貧民心理之研究」という一九一五(大正四)年刊行の書があります。この書の一部に「特種部落」への言及があり、ここでの賀川の説が「人種説」を起源とするという点て問題があります。また、同書刊行の四年後の一九一九(大正八)年に「精神運動と社会運動」の刊行があり、これには「兵庫県内特殊部落の起原に就て」の一節があって、ここでの賀川の言説に変化が見られ「私は部落民のことを思うと涙が出る。彼等を開放せよ。彼等を開放した日に、日本の仕会は完成に近いのだ」とのべています。


 この賀川の人種起原説は、たしかに誤りです。賀川の部落問題観について、どのように賀川を見るべきかが、今回の鳥飼の「賀川号彦と現代」の主要な論点になっていて、私たちに大きく示唆を与えており、私も鳥飼説に賛意を表するものです。この限られた紙数の中で、この問題を詳述することはできませんが、鳥飼は、「水平社運動・農民組合運動」の中で、西光万吉、阪本清一郎らと賀川の交流、水平社への共感と批判、水平社の抗議などで、賀川がどうかかわったかにふれ「貧民心理之研究」が「書き過ぎてゐたこともあったので、咎められるのも仕方がなかった。しかし、それは研究として書いたのであって、同志に対する尊敬と奉仕の精神は変らなかった」とのべていることを紹介している。賀川のこの書については、すでにこの書に序文を寄せている米田庄太郎も、「余は本書の研究法や材料に就ては、不完全なる点の少なくないことを認めて居る。又、著者の見解や、結論に就ては、余の賛成し難い点は多い。而して其等の点に就ては、他日本書を公に論評して、又は著者の帰朝の上、個人的に注意して、著者の反省を促したいと思ふて居る」と指摘している。


 ところが、戦後、この賀川の部落問題観について、新たに問題が起っている。それは、賀川の全集が、賀川の死後に刊行が具体化したとき、一部のキリスト教団体の要望で「貧民心理之研究」の問題個所を「全文削除」してほしいということが起りました。さらに部落解放同盟の確認介入で、全集第三版が出版元の自主規制から、「貧民心理之研究」「精神運動」の一部が削除されました。これは差別主義の悪しき影響です。著者は、賀川の「生き方」を歴史的に正しく見ようとのべています。著者の見解は妥当といえます。