『賀川豊彦と現代』紹介批評紙誌テキスト化分(5)布川弘(『日本史研究』)


賀川豊彦と現代』紹介批評紙誌(5)


 布川弘『日本史研究』第322号(1989年6月)


      テキスト化分


            鳥飼慶陽著
           「賀川豊彦と現代」


 本書は、表題の如く社会運動家として国際的評価を与えられている賀川豊彦の生涯とその現代に継承されるべき思想・運動の意義について明らかにしようとしたものである。著者の鳥飼氏は、キリスト者として永年にわたり部落解放運動に尽力され、徹底した民主主義者であり、実践家である。それ故、本書では他の賀川豊彦伝には見られない著者ならではの深い賀川理解が可能となった。


 本書は賀川の生涯を詳細にあとづけることをねらったものではない。著者の強烈な実践的課題意識に裏付られたひとつの「福音」である。かといって賀川の科学的評価がないがしろにされたわけではなく、実践的課題意識をもつが故に徹底した科学的評価が成立しているのである。著者の実践的課題意識とはなにか。それはキリスト教界における誤った部落解放運動を正す、その一点に絞られる。しかし、その課題は部落解放運動全体の課題の一環であり、民主主義社会実現の運動の一環なのである。


 高圧的な部落解放運動の圧力に屈する中で、キリスト教界では賀川の「貧民心理之研究」などの著作を「差別文書」とし、賀川を「差別者」と決めつける傾向が強くなった。著者はそうした傾向を問題にすることにより、キリスト者が部落問題をどう理解しどう運動に係っていくかを賀川の足跡を科学的に評価することによって解明しようとしている。したがって、本書のひとつの論点は賀川と部落問題の関わりの歴史的評価である。著者は「貧民心理之研究」の中で賀川が部落問題について明らかに誤った認識をもっていたことを率直に認めた上で、その後賀川が部落問題についてより科学的な評価を目指そうとしたこと、また、水平運動に関わっていく中で認識が大きく変化したことを強調している。著者は賀川評価を通じて、時代状況の中で認識をとらえていく必要性とそうした認識が変化していったということ、この二つの意味での歴史的評価が重要であるとする。そうした歴史的評価が学問的であるためには、いかに後世誤っていると判断された文章であるにせよ、全面的に公開していく必要があるとしている。著者はそうした立場から、「賀川豊彦全集」第三版から「問題箇所」が削除されたことを憂慮している。


 著者はさらに賀川と部落問題の関わりを歴史的に評価するためには、賀川の思想・運動の全体像を明らかにすべきだとする。著者は賀川の思想について著者ならではの宗教者としての興味深い評価をしている。著者は賀川が「新川」スラムヘ入っていく宗教的契機を問題にし、神は絶対的価値をもつもので一人ひとりの人間の中に存在するものであり、自己のなかに存在する神に励まし導かれながら奮闘することによって、自己が無価値ではない神と同一化した存在として生かされるという賀川独自の宗教観を明らかにする。賀川は自己の中のキリストに目覚め、「贖罪愛」による実践を追求していくのである。こうした賀川の思想こそ実は著者の思想であり、絶対的価値をもつものが人間全てに存在するという強固な平等主義・民主主義思想そのものなのである。また、こうした思想は部落解放運動に関わる宗教者の基本的立場なのだと著者は言う。


 本書について触れるべき点は数多く、重要な指摘が各頁に見られるのだが、それは読者諸兄が実際に本書を手にとって触れられることを期待する。


   (一九八八年五月刊、兵庫部落問題研究所。二〇四頁、一八〇〇円)(布川弘)



 (付記)


 布川先生(広島大学総合科学研究科教授)は、本年の賀川豊彦学会(2012年7月14日・明治学院白金校舎)に於いて基調講演「国際的な平和運動における賀川豊彦新渡戸稲造の役割」を行われる予定です。

 先生には労作『神戸における都市「下層社会」の形成と構造』があり、広く注目されてきました。未刊の作品に数年間にわたる連載論文「近代の社会的差別」においても、神戸における賀川豊彦の初期の活動に関する重要な論究を展開していられます。

 なお、昨年丸善より先生の著書『平和の絆―新渡戸稲造賀川豊彦、そして中国』が刊行されています。