「賀川豊彦の贈りものーいのち輝く」(第8回)(未テキスト化分)



賀川豊彦の贈りものーいのち輝いて


 第8回・未テキスト化分


      第一章 賀川豊彦 没後四〇余年


   (前回の続き)


         第三節 21世紀に生きる賀川豊彦


          1 地球時代の平和と対話


 「賀川生誕100年記念」のおり神戸新聞は、賀川の写真入りで「賀川精神を二一世紀に生かすために」という特大の「社説」を掲載しました(7月1日付)。


 周知のとおり、賀川豊彦が生涯を貫いて思索し実践してきた基調となるものは、彼の遺言とも受け止められる最晩年の言葉で言えば、いまも「進行中の」「宇宙の目的」「宇宙の絶対意志」に即応して、現実の「宇宙悪」の超克に没頭することにありました。


 「私は世界苦の存在を否定するものではない。しかし、その世界苦のみをみて、宇宙の美しい方面、またその宇宙悪を補修せんとしている宇宙意志の動いていることを否定することは許されないことと思う。」(「宇宙の目的」360頁)


 「宇宙に目的ありと発見した以上、目的を付与した絶対意志に、これから後の発展を委託すべきだと思う。さればといって、なげやりにせよという意味ではない。私は、人間の意識の目ざめるままに、すべてを切り開いていく苦闘そのものに、超越的宇宙意思の加勢のあることを見いだすべきであると思う。」(同書、365頁)。


  このような哲学的な自覚にもとづく彼の志向性は、神戸の「貧民窟」で小さな「救霊団」をスタートさせ、1958年にバートランド・ラッセルらと共に核実験反対など、平和運動に参画する賀川の全活動・全生涯に具現されています。


  賀川は、すでに1910年代には「地球の精神」「地球精神の復活」を訴えました。(注1)


 もちろん賀川豊彦がいくら魅力的であるからと言っても、それは賀川が生きた時代のなかでの思索と実践です。


 21世紀を生きるわたしたちにとっては、それぞれの仕方でそれらを「読み替え」ながら、時には大胆に批判的に、新しい「21世紀の地球時代」に、その「基調」を受け継ぐのでなければなりません。


 その意味で、「21世紀の地球時代」ということで言えば、たとえば2002(平成14)年5月、「第10回国際哲学オリンピアード(International Philosophy Olympiad)」という催しが、日本・韓国をふくむ世界15カ国から30名の高校生の代表が集い、「平和と対話」をテーマにして東京国連大学で開催されました。わたしは参加したわけではありませんが、そこでは著名な教授たちの公開講演などもあって、4日間にわたる刺激的な「哲学エッセイ・コンテスト」であったようです。(注2)


 日本ではじめて開催されたこの「オリンピアード」のあと8月にも3日間、新潟・敬和学園大学を会場にして「Inter-University夏季セミナー」が企画実施されました。


 そこでの標語と、主催責任者である延原時行氏の、つぎのコメントはたいへん興味深いものです。それをここで簡略に紹介しておきますと、つぎのようなものです。


 「21世紀は、PDE(Peace and Dialogue on Earth)なる標語を掲げるに相応しい時代である。因みに二〇世紀は、PHP(Peace and Happiness through Prosperity)を標語にしてきた。


 21世紀は『平和と対話』を基調とし、『地球憲章』(The Earth Charter)(注3) とシャルダンの『地球の精神』(L Esprit de la Terre)(注4) と鈴木大拙の『大地性』(注5) が、時代の基礎理念となる。」(http://www.keiwa-c.ac.jp 参照)(注6)


 「賀川豊彦」は、「シャルダン」や「鈴木大拙」と共に「21世紀の地球時代」を先取りして生きた、大切な先達のひとりであることを、あらためて思い知らされます。


 2001(平成13)年に刊行された前記延原氏のユニークなバイリンガルの好著『地球時代の良寛』(考古堂書店)には、「地球時代」を、つぎのような簡潔な言葉で説明しています。


 「地球時代」とは「政治・経済・科学技術・情報・通信・文化・教育・宗教等、文明のあらゆる面にわたって地球上の全人類が、それぞれの国民生活の真っ直中で、地球規模の一体感・連帯意識をもって生きることを迫られている時代」(2頁)であると。


 そして「『良寛』は『一囊(いちのう)一鉢(いっぱつ)と、騰々(とうとう)として之(ゆ)く所に任す』あの『騰々天真に任す』詩的宗教性でうがった」(7頁)のだと。


 「賀川豊彦」もまた「良寛」にも似て、独自な「詩的宗教性」をもって、その思想性を表現した希有な先達のひとりだと、わたしには思えるのです。


 賀川は言います。


 「私は仏典の中で、法華経維摩経華厳経の三つが最も好きである。」(「暗中隻語」春秋社、大正15年、9頁)


 「兎に角私は、宗派の相違で喧嘩するのは大嫌ひである。」(同書、17頁)。


 言うまでもなく賀川は、徳島中学の時にキリスト教と出合い「牧師」となったキリスト者ですが、自宗派の独善に自足することはありませんでした。


 いま時代の先端は、上記のごとく「仏教とキリスト教」など「諸宗教間の開かれた対話」が、21世紀の世界平和の実現に向けた試金石のひとつとされ、「地球時代における平和と対話」が、大切な共通の智慧のひとつとして動きはじめています。


 こうした時代の新しい流れを着実に準備してきた先達として、わたしが忘れることの出来ないのは、日本では前記の「鈴木大拙」や「西田幾多郎」(注7) 、そして「仏教とキリスト教」(法蔵館、1950年)などを著わして、わたしたちに思索と実践の晴朗な指針を示し続けた哲学者「滝沢克己」などの不朽の功績があることは、あらためて指摘するまでもありません。(注8)


 21世紀の世界に生きる「宇宙論キリスト教」(注9) に照応して、新たな輝きを発揮するひとりが「賀川豊彦」であり、彼の魅力の第一は、まずこの点に存在するものと思われます。(注10)


                 注


1  賀川豊彦『地殻を破って』(福永書店、大正9年)1頁以下参照。また賀川豊彦の「日々の瞑想」を集めた『神と歩む一日』(日曜世界社、昭和五年)231頁参照。


2  「毎日新聞」2002年6月7日付け東京夕刊参照。そこには「21世紀の人類がかかえる多くの問題解決のための哲学教育の重要性と、日本における取り組みの遅さを考えさせられた。(中略)日本の哲学教育の遅れは、平和に安住し切っている一つの証拠でもあろうか」と記されている。なおこの「第10回国際哲学オリンピアード」の会長を務めた延原時行氏は、アメリカ宗教学会(AAR)常設共同研究部会「プロセス思想と西田学派仏教哲学」座長として活躍し、現在新潟県新発田市にある敬和学園大学にあって「東西プロセス研究プロジェクト」を主宰している。私にとって大事な師の一人である。


3  延原時行氏のバイリンガルの著作『地球時代の良寛 RYOKAN in a GLOBAL AGE』(考古堂書店、2001年)3頁以下に広中和歌子事務所訳とThe Earth Charter Initiative,http://www.earthcharter.org/draft/charter.jp.htm の紹介がある。


4  ティヤール・ド・シャルダン(1881〜1955)。邦訳でも『著作集』全9巻(みすず書房)ほか『自然の中の人間の位置』『宇宙の中の神の場』(何れも春秋社)ほか参照。


5  鈴木大拙(1870年〜1966年)。新しい『全集』全40巻刊行中(岩波書店)。上田閑照・岡村美保子共編『鈴木大拙とは誰か』(岩波現代文庫、2002年)など参照。


6  「地球時代の平和と対話」に関連して、取りあえず延原時行氏の『地球時代のおとずれ』(創言社、1995年)、『ホワイトヘッドと西田哲学の〈あいだ〉』(法蔵館、2001年)参照。


7  西田幾多郎(1870年〜1945年)。『全集』(岩波書店)ほか参照。上田閑照氏の『西田幾多郎―人間の生涯ということ』(岩波書店『同時代ライブラリー」、1995年)は味わい深い好著である。


8  滝沢克己(1909年〜1984年)。『全集』全10巻(法蔵館)ほか参照。なお『仏教とキリスト教』は「法蔵館名著復刊コレクション」の一冊として新装版が1999年に刊行された。


9  前掲延原『ホワイトヘッドと西田哲学の〈あいだ〉』付論のタイトル「21世紀の宇宙論キリスト教」(251頁)。


10  前掲拙著『賀川豊彦と現代』165頁以下参照。