「賀川豊彦の贈りものーいのち輝いて」(第3回)(未テキスト化分)



賀川豊彦の贈りものーいのち輝いて


  第3回(未テキスト化分


      はしがきー「賀川豊彦献身100年記念」を前に


   (続き)


 そして第四章〈「賀川豊彦」小さな断章〉に収めた二篇の小品は「寄り道の一服」といったものですが、そのうちの一篇は、1988(昭和63)年4月以来18年間にわたって、神戸・六甲山の豊かな自然のなかで学ぶ「神戸保育専門学院」の学生たちとの恵まれた出合いを経験させていただきましたが、そこでの感謝の気持ちを記したものです。この学院は、賀川豊彦の遺志を受け継いで建てられ、惜しまれつつ昨年(2006年)3月末で35年の歩みを終えました。


 最後の第五章「いのち輝いて」は、賀川豊彦にふれた部分はわずかですが、2005(平成17)年の夏、京都府京丹後市の幼小中高の先生方の主催になる人権教育関係の研究大会での講演草稿です。


 今日の学校教育の現場は、教師の方々も生徒たちも、また教育行政に関わる人々も、地域の父母にあっても、複雑な新たな問題を抱え込んでいます。


 賀川豊彦の生涯がそうであったように、困難のただなかにあって、いつもあきらめずに、「いのち輝いて」生きることのできる「確かな土台」が、すべての人と共にあることを、読者のみなさんにお伝えしたくて、本書の最後に収めることにいたしました。


 2006(平成18)年の世相を象徴する「漢字」に「命」が決まり、清水寺管主による見事な「命」の文字が揮毫されたニュースが、昨年暮れに流れました。


 この「いのち輝いて」という言葉は、近年「人権教育」の講義の主題にしていますが、賀川豊彦の波乱に満ちた生涯は、まさしく「いのち輝いて」あゆむ一歩一歩でした。


 賀川自ら書き残した365日の日々の黙想『神と歩む一日(WALKING WITH GOD』(日曜世界社、昭和5年)にしたがって、実際に「新しい朝」を迎えてみるときに、あらためて今、そのような想いがいたします。


 「いのち」は確かに「天与の賜物」です。「いのち」は授かったものですから、自分勝手にはできません。授けていただいたお方の「いのち」だからです。
「いのち」は確かに、まず第一に「天与の贈りもの」です。


 賀川豊彦は「天与の贈りもの」である「いのち」に出合い、「いのち」のダイナミズムに、すべてを委ねて、無心に毎日を生きました。


 そうした想いを活かして、第五章の表題を、本書の副題に入れてみました。
 果たして本書の全体が、うまく「起(第一章)承(第二章)転(第三・四章)結(第五章)」とつながって、無理なく読みすすんでいただけますかどうか。


 書名とした『賀川豊彦の贈りもの』は、前作『賀川豊彦再発見』のなかに収めた小稿のタイトルですが、あの小稿は「2001年神戸聖書展」のときつくられた『神戸と聖書―神戸・阪神間の450年の歩み』(神戸新聞総合出版センター)に寄稿したもので、賀川豊彦の〈独自のコスモロジー〉と〈「生き方」の開拓〉を、そこでは取り上げました。


 自らつけたこの「賀川豊彦の贈りもの」というネーミングが、なぜかわたしには気に入っていましたので、ここで活かしてみたのです。先日、本書の目次を先輩の延原時行先生にメールしたところ、すぐに短い返信があって「題が良いですね。贈りものは、賀川が天与の贈りとして受けたものでしょうね―第一義的には。第五章が貴兄の本領でしょう。楽しみに存じます。」と激励されました。この簡潔な返信の言葉は、「賀川豊彦」を物語るとき、特に大切なことでした。


       賀川豊彦献身一〇〇年記念」を前に


 ところで、間もなく2009(平成21)年の「賀川豊彦献身100年記念」の時を迎えます。すでに2005年5月には「記念事業委員会」の全国委員会が発足し、「関西実行委員会」の準備会も2006年2月にはじまりました。


 「賀川豊彦生誕百年記念」のときも、兵庫県や神戸市、コープこうべや神戸YMCA、神戸女学院関西学院、そしてイエス団系列の諸事業体等々、関係する多くの団体や個人が名を連ねた「関西実行委員会」がつくられ、多彩な記念事業がとりくまれましたが、今回はさらに規模を大きくして、「賀川豊彦献身100年記念事業関西実行委員会」の組織化がすすみつつあります。


 東京には本格的な「賀川豊彦記念・松沢資料館」が機能し、四国徳島には「鳴門市賀川豊彦記念館」が開館し、神戸にも「コープこうべ」の素晴らしい研修施設「協同学苑」に記念の資料室もできています。


 また、東京「本所賀川記念館」も、神戸と同じく地域に根ざした隣保事業が展開されており、新しい時代に仕える「賀川記念館」の事業展開が、日々継続されています。


 地元神戸の「賀川記念館」は、賀川没後三年目に建設されてすでに四三年が経ち、あの大震災を経験して建物も痛んできたため、「再建計画」が練られているときに、奇しくも「献身100年記念」の年を迎えることになりました。


 現在、「イエス団」関連事業所の大きなサポートのもとに、「再生プロジェクト」がつくられて、新しい夢―「賀川メモリアルホール(礼拝堂)」「アーカイブ」「友愛幼児園」「子どもミュージアム」「コミュニティー・サポートセンター」「臨床保育研究所」など―が語り合われています。


 ともあれこの小著『賀川豊彦の贈りもの・いのち輝いて』が、今回も読者のこころに届き、賀川豊彦を活かした「大きないのち」の世界に、共に生きることができるように願っています。あわせてこれが「賀川献身100年記念」の取り組みの上に、何かのお役に立つことができるなら、これに過ぎる喜びはありません。


 今後も各方面からの厳しい批判をお受けして、真理・真実の前での、自由で真剣な「出合いと対話」の醍醐味を、お互いにエンジョイできることを楽しみにしています。


  二〇〇七年正月

                         鳥 飼 慶 陽